第39話 ゲームチェンジャー

 屈強な体つきをした運動部たちがひしめくコートに、あまりにも小柄で華奢なムラサキが躍り出る。アウェイな空気の中、堂々とした歩き方である。


 見物人の反応は大まかに2つに分かれる。


 ムラサキを心配げに見つめたり、場違いだと侮る視線。

 そのほとんどが今年入ったばかりの1年生だった。


 一方、俺と同じ2年生たちはその真逆だ。

 動揺や困惑はあっても、ムラサキを軽視する目は一切ない。見た目は可憐な少女でも、見た目通りにか弱いとは誰も思っていない。


 あのガンテツでさえ、顔が険しくなっている。


「ね、ねえ。さきな、大丈夫なの」


 ちなみに下野は前者だ。

 何を今更、と思ったが、そういえば下野はムラサキの異常な部分を見ていないのだった。ひったくり犯との件も、未だに犯人が勝手に転んだと思っている。


「大丈夫だよ」


「本当ね? もしものときは透真くんが頼りなんだから!」


 え、女子にそういうこと言われるの嬉しい。

 下野からの信頼にくすぐったさを感じながらピッチへ。

 審判のキズナ先生と目が合った。


「そんなに彼女が心配かい」


「何度も言ってますけど俺ら付き合ってないです」


「おっと~? 今の『カノジョ』は女性を指す三人称だぞ~? 誰も御杖村さんを清浦の彼女だなんて言ってないが?」


「うざ~!」


 キズナ先生のノリが中学生まで退化している。

 馴れ馴れしく肩まで組んでくるのが本当に鬱陶しい。


「まあ心配はしてますよ。怪我させたくないなって」


「おっ、認めるか」


「部活動に支障が出たら申し訳ないし」


「ん?」


「接触が起きそうなら試合中断してでも止めてくださいね」


「ん!? もしかして御杖村さんじゃなくてサッカー部を心配してるのか!?」


 当然。

 ムラサキは頑丈なんだ。心配するだけ損ってもんだ。

 今からでも受け身のやり方を教え……だめだ、時間がない。俺は無力だ。


 センターサークルで準備運動をしているムラサキを尻目に俺はDFラインに戻ろうとした。どうやって守るかマルティンと話したい。


 が。


「トウマ」


 静かな声なのに、よく響く。

 振り返る。ムラサキが手招きしてる。


「どこいく気」


「守備をやろうかと」


「ん」


 1文字で隣に来いと言いやがる。

 こういうとき、俺に拒否権はない。

 すまない。マルティン、速水。お前らに任せた。


「あたしの近くにいろ。勝手にいなくなるな」


「事前に言っておけばいいのか?」


「却下」


「なんなん」


 俺の不満を聞き流して。

 ムラサキはボールを弄んでいた。


「ボール遊びとか懐かしい」


「……小学生のときはよく遊んだな」


「覚えてる? 横綱食堂で、新聞紙丸めただけのボール作って走り回ったこと」


「当然。俺だけ怒られたやつな」


「そうだっけ」


「お前はすぐ逃げるから」


 今でも許してないぞ。


「にひひ」


 何がおかしいのか、ムラサキが緩んだ口元を見せる。

 幸せそうに笑ってるコイツには何も言えない。まあいいか、なんて思わされる。多分、俺の心の機微を全部見抜いているんだろうな。長い付き合いになると弱点を隠せない。


「じゃあ始めるか」


「おう」


 後半戦開始。

 昔は無邪気にボールを追い回すだけの遊びしかしてこなかったが。

 高校生ムラサキがどんなプレーをするか見ものだな。

 なんて考えていたときだった。




 ひゅん、と風を切る音。




「え」


 何かが視界を横切っていった。

 右足を振り上げたムラサキの足元にボールはない。


 ガンテツが鬼気迫った表情で飛び上がる。その顔面にボールが当たった。

 決死のブロックだ。いや、でもそれよりも……。


「チッ、入れよ」


 ウソだろう。

 50メートル離れた位置からゴール狙うか普通?

 撃った瞬間が見えないとかどんな速度だよ。


「拾え、トウマ!」


 ルーズボールは空中だ。俺は急いで落下地点まで駆けた。

 周りは敵だらけだ。ボールキープなんてできない。飛び上がった俺はヘディングでムラサキへボールを献上した。


 再び一閃。


 さっきもそうだったがインパクトの瞬間が見えない。

 マイボールになった瞬間に撃ちぬいている。

 だがどれだけ速くても、目の前に壁が並んでいたらゴールはありえない。


 ボールは自陣にまで跳ね返されていた。


「くそっ、入らない!」


「強引すぎる! いきなり撃つなバカ!」


 高校生になっても、ムラサキは変わらない。


 攻守が切り替わる。

 最悪なことにボールは10番に渡っていた。


「やばっ……」


 スイッチだ。

 敵が一斉になだれ込んできた。中盤は完全にサッカー部たちに支配されている。容易にパス回しを許した俺たちは攪乱され翻弄され、わけがわからなくなったところで10番が抜け出していくのが見えた。


「くっ!」


 全速力で本来のポジションへ。

 だがスピードに乗って勢いづく10番を止められる気がしない。向こうにとって理想的な攻め方になってしまっている。


「どいてトウマ」


「うえっ」


 無理やり立ち位置を入れ替えられ、ムラサキが前に。

 対峙した10番は怪訝そうに動きを止めた。


「足止めんなよ。あたしじゃ不満ってか」


 挑発的に煽るムラサキを意に介さず、10番は大きくボールを出した。一見、隙だらけに見えるがこれは罠だ。飛びついた瞬間、ワンアクションで一気に置き去りにする気だ。


 たぶん、奴の得意なムーブなんだろう。

 サッカー部内でも対応できる人間はいなかったとみた。


「なっ……!?」


「あたしを甘くみたな1年男子!」


 難なく並走してきたムラサキからのタックルで10番の余裕が初めて崩れた。ボールを奪うためにムラサキはさらにチャージングを仕掛ける。


 対抗しようと10番も腕やひじを使おうとしたが、ムラサキとの体格差に躊躇いが生じたのだろう。どんどん苦しい体勢に追い込まれていく。


「お優しいこと」


 ボールを奪いながらムラサキが言う。


「でも嬉しくない」


 再び廃部連合軍の攻撃。


 奪って奪われてさらに奪い返して。

 普通のサッカーみたいなカウンター合戦だ。前半とはまるで異なるリズム感に大半の生徒がついていけてない。

 チャンスは何度も訪れない。どんな形でもゴールまで押し切りたい。


「だから絶対撃つなよ。撃つなよ!?」


「丁寧な前フリ?」


「ちがうわ! 俺にパスを————」


 言い終える前にボールが飛んできた。

 ほとんどシュートみたいな勢いで顔面にせまってくる。遠い過去から掘り起こされる苦い記憶があった。


 重々しい一撃を俺は胸トラップで受け流す。

 痛みを無視してムラサキを探す。サッカー部たちに埋もれて小さなシルエットがうごめいている。ノータイムで即時返却。若干の恨みを上乗せして。


 真後ろからの俺のパスに、ムラサキは振り返らない。

 だが着弾の寸前、ムラサキがわずかに足の裏をみせた。見てもないくせにタイミングが分かっていたらしい。ボールは足元にピタリとおさまった。


「えっ?」

「は?」


 マークにつこうとしたサッカー部2人が固まる。

 隙だらけだ。ムラサキと難なく中盤を突破する。


「あっ、ありえねえだろ、こいつらのワンツー!?」

「勢い強すぎんだよ!」

「なんでそんなパス取れるんだよ!?」


 パスの認識はない。たぶん、あいつも。

 俺たちにとってサッカーは、ただ強いボールを相手に蹴り込むだけの遊びだった。ドッジボールに近い。思い出してみても一方的にやられた記憶しかない。おかげでトラップやら受け身やら異様に上手くなった。


 ペナルティエリアまでもう少し。

 立ちはだかったのはこの大男だった。


「締めるぞお前ら。うろたえるなよ」


 最終ライン、ゴール目前というところでガンテツが仲間を鼓舞する。

 浮き足立っていたはずの面々が落ち着きを取り戻していく。ちっ、余計なことを。この勢いのまま奇襲を仕掛ければフィニッシュまで行けていたはずなのに。


「とんだチャンバラサッカーだが惜しかったのは認めてやる」


 ガンテツはムラサキへの警戒度を強めている。

 直感的にわかる。このままじゃこいつを出し抜けない。また弾き返されてしまうだろう。今にして思えば最初の一撃が最大のチャンスだった。


 せめてもう1人……欲を言えば2人。ついてきてくれるヤツがいれば。


「キヨウラくん!」


「っ!」


 後方からマルティンの声。

 え、なんでこんな前線に。守備を捨てて上がってきたのか。でもナイスすぎる。


 敵味方誰も予想していなかった加勢にフィールドが動く。

 ムラサキだけを警戒していたはずのガンテツが、マークの対象を変える。猛然とマルティンとの距離を詰めてきた。

 ガンテツが動いたことでサッカー部守備陣もポジションを調整する。ムラサキに2枚で俺に1枚。人数が散ったことでディフェンスの圧力が格段に弱まった。どこにでもパスが出せる。


 ムラサキに決めてほしい。観客全員を魅了するようなシュートで。


 でも一気にムラサキには渡せない。マルティンを経由するのがベスト。

 マイナス方向のマルティンへバックパス。俺の意図を感じ取っているだろう。マルティンは頷いてみせると、ダイレクトでボールをはじいた。


 精度、タイミング、ともに秀逸。

 確実にムラサキに届く。


 決まった。勝った。


「え、なっ……は?」


 ムラサキが奇想天外な動きをしやがった。

 何を考えたのか、その場で軽く跳ねるとマルティンからのパスをスルーした。


 なになになにしてんの??


「トウマ以外から受け取りたくない」


「俺のこと好きすぎだよ!!」


 言ってる場合じゃなかった。ボールはサイドラインを割ろうとしている。せっかくここまで攻め上がったのに。誰か、拾ってくれないのか。


「え」


 視界に稲妻が走ったみたいだった。

 はるか遠く、右サイドライン際を猛然と駆け抜けるやつがいる。


 速水だ。


 ただ走っている、それだけなのに心が躍る。

 速水のスピードはケタ違いだ。余裕でボールに追いついてみせた。


「このあとどうすればいいんだ」


「くれー!!」


 思いきり両手を振ってアピール。クロスを上げてほしい。

 速水は俺の要求に応えてくれた。だが俺は忘れていた。速水にまったくボール練習させてなかったことを。


 足のどこに当てたのか、ボールはふにゃふにゃとした軌道で飛んでいく。その行き先は誰にも読めない。いや待て。なんかこれ、無回転っぽくないか。

 謎軌道シュートがふいに右にブレた。ゴールに入る……?


「おのれぇ!!」


 ガンテツとそれからゴールキーパーがコースを塞ぐ。止め方になんて気を配っていられない、身体のどこかに当たればそれで構わないといったブロックだった。


 誰のどこに当たったのかボールはゴールポストに直撃。

 全員がその行方を目で追う。どこに落ちてもおかしくない。


「あたしか」


 勝利の女神がムラサキに微笑む。

 軽く蹴り込むだけで決まる状況だった。ガンテツもキーパーも、まだ倒れたまま。これ以上のお膳立てはない。


「決めろー!」


 しかし、またしても予想外の奇行。

 ムラサキは気だるそうにボールを転がす。ゴールへじゃなく、横へ。


「へっ」


 意味がわからなすぎて誰も動かなかった。

 ボールは何故か俺のもとへ。

 ムラサキは不敵に笑っていた。


「あたし、男を立てられる女だから」


「良い女を気取ってんじゃねえよ!!」


 ディフェンダーたちが一斉に詰めてくる。コースが狭まる。

 迷う時間は1秒未満だった。


 やけくそで放つ。

 立ち上がりかけていたガンテツの頭上をわずかに越す形で、俺のシュートが決まった。




 廃部連合が初めて一矢報いた瞬間だった。

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