第38話 ヒロインは遅れてやってくる


 長針がまた動いた。

 壁時計を何時間もじっと眺めるなんて初めてだけど、本当に秒針のリズムは一定で休むことなく動き続けている。地味にすごいことだと思う。


「いやいや。華の女子高校生がなにやってんのよ」


 またカチッと音がする。現在14時37分。

 お昼ご飯を食べてからというもの、私は部屋にひきこもってずっとこうしてる。あまりにも暇すぎてやることがない。


 でもお父さんとお母さんは大忙しだ。ドタドタバタバタとした物音に混じって、引っ越し業者との話し声が聞こえる。


「ええ、そうです。そのデスクと本棚から。結衣山から東京まで何時間くらいで届きますか。————ああ、いえいえ。1日くらいは。私も新居の方で準備をしたいので」


 夕方には出発だ。

 だからそれまではおとなしくしてなきゃいけない。

 本当は行きたい場所があって、会いたい人がいるけど。


「ああ、もうっ」


 球技大会はとっくに終わっているはず。

 もうサッカー部との対決は始まっているだろう。本来なら私も出ているはずだった。っていうか、私がいなきゃ勝てない。絶対。でもここを出ていくわけにもいかなかった。


 悶々とした気分でいるとノック音が響いた。


「だれ? お母さん? 入ってきていいよ」


 私は応える。でも誰も入ってこない。

 訝しんでいるとまたノックされた。あれ? 音がおかしい。なんかガラスを叩いているみたいな。鳴っている場所も扉側じゃないし……。


 すぐ横の窓に視線を移す。


「ぎゃあああああっ!?」


 悲鳴を上げながら私は椅子から転げ落ちた。

 だって窓の外に人影が! ベランダとかないのに! 幽霊!?


 人影がまた動く。またノック。

 私は震える手で鍵をあけた。

 途端、小柄な少女がするっと転がり込んできた。


「とっとと開けろ。腕が疲れる」


 体操服のさきなだ。

 いやいや待って。おかしい。ここ3階。どうやって登ってきたの。それに、どうしてこんなところにさきなが来るの。学校は?


 さきなは私の部屋を見渡した。


「ふん。やっぱりな」


「………」


「じゃ、いくか」


「い、いく? どこに?」


「学校に決まってる」


 窓の外、ずっと先にある結衣山高校を指差して、さきなは言う。

 困惑してる私の腕を引っ張ってくる。華奢な身体に似合わないすごく強い力だった。私は必死になって抵抗した。


「だ、だめ。いなくなったら怒られる」


「そうか。でもそれこそダメだ」


「なんで!?」


「トウマを見てほしい」


「えっ」


 透真くんの名前を出されて一瞬力が抜けた。

 その隙を逃さなかったさきなは、窓の外へ私をいざなう。


「まってまって! シンプルに危ないから! わかった、いく! いくから、玄関から出ていいよね!?」


「家族に見つかったら面倒だろ。ヘーキ、ヘーキ。これくらいの高さから落ちたってなんともないから」


 いや打ちどころによっては致命的————


 気が付いたら宙を舞っていた。

 さきなと2人、手を繋ぎながら落下。無理やり姿勢を正す。迫りくる地面、タイミングを合わせて衝撃を逃がす。ぐるっと世界が回っていた。


「よし。走るぞ」


 裸足の私に上履きが放られた。『清浦』と書いてある。

 え、え、これを履くの? 問いかける前にさきなは駆け出していた。

 慌てながら靴を履いて、なにげなく自宅のマンションを見上げた。不用心に開いた窓が確かにある。


「い、意外と大丈夫なの?」


 もう2度とやりたくないけど。





 あの10番にゴールを決められてからというもの。

 試合の流れが完全に変わっていた。


「もう全員で守れ! あいつ止めろ!」


 すぐに失点が重なりスコアは0-2になった。もうあとがない。

 ずっと一方的な展開だ。サッカー部は中盤の選手も含めた大人数で攻め込んでくる。こちらもそれ以上の人数で応戦しているが、ペナルティエリアにずっと居座られている。こぼれ球がうっかりゴールを割ってもおかしくない状況が続く。


「クッ!」


「………」


 何度目かわからない、マルティンと10番のマッチアップ。

 対決が重なるにつれ、両者の苛烈さは増していく。最初は対応できていなかったマルティンも、徐々に攻め手のパターンを理解したのか、セーフティなディフェンスだ。失点を2点までに抑えられているのは間違いなくマルティンの功績だった。


 でも、それ以外の部分は埋めようがない。


 10番がボールを放した。サッカー部たちによる細かいショートパスでフィールドがかき回される。どこからシュートを打ってくるかわからない。打たせたら一撃死だ。


「っ! 速水、8番!」


 俺の声に反応した速水の動きだしが速い。

 一瞬で8番の目の前に移動してシュートブロックする。身体を張ったナイスなディフェンスだ。


 ロストしたボールの落下地点に走り込んだ俺はコーナーに向かって蹴りを入れる。なんでもいいから試合を止めたい。さっきからずっと走りっぱなしで疲れる。


 だがサッカー部がかっさらう。ごちゃごちゃした密集地帯なのにこぼれ球がサッカー部ばかりに集まる。攻撃の手が緩まらない。


 またしても10番ボール。対応するのは当然マルティン。

 だが相手に比べてマルティンの消耗が激しい。当然だ。1対1だけじゃなく、全体のカバーにも神経をすり減らしているからだ。素人チームの穴埋めを押し付けてしまっている。


 10番のスピードに、ワンテンポだけマルティンが遅れた。

 シュートコースが開く。咄嗟に俺は跳躍した。


 顔面に衝撃。少し遅れて猛烈な痛みが込み上げてきた。

 揺れ霞む視界でボールの行方を追う。パソコン部のキーパーがボールをがっちり抱えて丸まっていた。どうやらゴールは奪われなかったみたいだ。


 うずくまってる場合じゃない。マイボールで攻め上がりたい。

 無理やりに身体を起こそうとしたそのとき、笛が連続して鳴った。


 なにごとだ?


「ハーフタイム! 15分後に再開!」


 え、まって。なに。だれ。

 カオスタイムに審判とかいないんだけど。


「清浦も早く出るんだ」


 聞き慣れた担任の声に、俺はゆっくりと顔を上げた。


「キズナ先生。これ3点先取だから前後半の概念ない……」


「気付いてないのか。試合始まってから45分経ってるぞ」


 え、そうなのか。

 体力に自信はあったけど、通りで疲れるはずだ。


「いいから休んでこい。ここからは俺が審判をやろう」


「……わかった」


 キズナ先生が他の生徒たちにも声をかけていく。

 みんな戸惑いながらも次々とピッチの外に出ていく。


 少し頭がふらつくな。

 顔面ブロックの衝撃でじんじんする。


 顔を洗いたい。だが突如として巨体が俺の前に立ち塞がった。


 ガンテツだ。


「なんだ」


「意外にも献身的なプレーだった」


「……本当になに?」


「目立ちたいだけの阿呆かと思ったが、勘違いだった。マルティンから全幅の信頼を得ているのだな。お前さえいなければ早々に試合は終わっていたはずだ」


「………」


 リアクションに困る。

 ほとんど何も覚えてねえよ。


「だがその抵抗も長続きしないだろう」


「聞いていい?」


「なんだ」


「あの1年生……10番の。どうして最初から出さなかった」


 スタメンだったら、あいつ相手に45分も耐えられた気がしない。

 こっちにしてみれば嬉しい采配だったが。


「お前たちのディフェンスを崩すのに、あいつが必要になった。それだけだ。本当は出したくなかったが」


「あんなに上手いのにか。よくわかんないな」


「それは……」


 俺たちは会話を中断させた。

 クズがこちらに歩いてくるのが見えたからだ。


「また」


「ああ」


 それだけ言って別れる。

 クズが舌打ちする音はここまで聞こえてきた。

 そのまま去るべきところだったが、俺は物陰に隠れて2人の様子を見守った。


「なんでまだ終わってねえんだよ。俺のサッカー部が弱いみてえじゃねえか」


「すみません」


「それとテメエなぁ。誰があの1年を出していいつった? あんなクソ生意気なガキは一生走り込みだけさせておけばいいんだよ。目上の人間様への敬意が足りねえ」


「俺が判断しました。あいつがいないと困るので」


「それはなんだ。俺のやり方に不満があるってか。ああ? 黙ってねえで何か言えや」


 これ以上は目の毒だし耳が腐る。

 俺はその場をあとにした。今日もクズは絶好調だった。


「大変なんだな。ガンテツ」


 で、それは俺も同じだった。

 反逆者サイドのベンチに戻ったら、えらいことになってた。


「ふざけんじゃねえー!」

「廃部になったらどうしてくれんのよ! アンタらのせいなんだからね!?」

「何が俺らに任せろだよ!! ぬか喜びさせやがってー!!」


 言ってない、言ってない。

 それ言ったの即退場していった連中じゃないかな。知らんけど。


 ウチのサポーターは過激で困る。

 点を決められたときも2回とも凄まじい荒れ様だったし暴言が飛び交っていた。普通に怖い。負けたら何をされるやら。


 と、遠巻きに観客を眺めていたらこちらの選手の何人かがゼッケンを脱ぎ捨て始めた。


「お前らなにしてんの」


 なんて聞くまでもないことだけど。


「うるせえよ。もう意味ねえだろ」

「これ以上笑いモンになるとか勘弁だわ」

「あとはお前らで勝手にやっとおけよ」


 口々にそう言って、全く躊躇なく去っていく。

 控えで座っていた何人かもそれに続いていった。


 引き止めようか迷ったが結局やめた。

 部活がなくなってもいいのかよ、なんて正論ぶつけられてもきっと響かないだろうから。


 残った者も全員覇気がない。俯いた姿勢のまま、じっと動こうとしない。俺にはそれが負けを受け入れる準備のように見えた。


 マルティンと速水はどうだろう。

 あの2人も折れているだろうか。


 速水の方が見つからなかったので、マルティンに先に声をかける。


「どうしよう。キヨウラくん……」


 ん?


 即、違和感が伝わった。

 額面通りなら不安から漏れてしまった言葉のはずだが。

 そういう風には聞こえなかった。


「すごく楽しい」


「お? おお?」


「ゴメン。コテンパンにされてるときに。でも、オレ、こんなに楽しい試合は初めてかもしれない。もっとぶつけ合いたい。オレの全力、彼らの全力を」


 いつもの気弱さがどこかに吹き飛んだみたいな。

 怖いくらいに生き生きとした表情だった。


「キヨウラくんはどう?」


「どうって」


「楽しんでる?」


 楽しめるわけないだろ。サッカーとか好きじゃないし。

 でも言葉にならなかった。本心のはずだが、それだけじゃない気がして。


 だって試合中、俺はずっと没頭していた。

 無我夢中で走り回って叫びまくっていた。

 成り行きで立っているはずのこの場所で。


「おい、清浦」


「うおっ」


 いつの間にか速水がいた。

 どこ行ってたんだ。問い質す前に速水は言う。


「教えてくれ」


「なにを」


「あとどんくらい走れば勝てる?」


「………ふふっ」


 何言ってんだこいつ。

 ずれた質問しやがって。おもしれー男。


「たくさんだ」


「丁度いい。まだ走り足りなかったところだ」


 速水がまたどこかに走ろうとするので首根っこ掴んでおく。

 なんにせよ、この2人がやる気満々で助かった。


「でもこのままじゃジリ貧で負けるな」


「ウン。守備で手いっぱいだね。仮に攻撃に転じても、てっちゃんからゴールを奪える人がこのチームにはいない」


「だよなあ」


 マルティンが攻撃参加できればガンテツと勝負になるかもしれない。

 でもマルティンが抜けた瞬間に失点するだろう。そもそもさっき運動部が何人も抜けていったおかげで、こちらはさらに心もとないメンバーになってしまった。人数的にギリギリ11人に足りているのだけが救いだが……。



 運動能力にパラメータ極振りしたあの女がいてくれたら。



「下野がいてくれたらなあ」


「連れてきたけど」


「っ!?」


 どいつもこいつもいきなり驚かすのやめてくれてないかな。

 このわずか数分間で何度も心臓がきゅっとしてる。


 でも今回はひと際驚いた。


「え、え、下野?」


「あ、えっと、おはよう?」


 下野うらかがいる。何故か私服姿で。

 葉っぱとか泥がついて、汗までかいている。一体なにがあったんだ。


「あたしもいるぞ」


 ムラサキが俺と下野のあいだに割り込んできた。

 すまない。頭一つ低いから全然視界に入ってなかった。


「ムラサキが、連れてきたって?」


「うん。いきなり部屋に上がり込んできて、いくぞって」


「それは……」


 なんでだ。

 ムラサキを見る。頭突きで胸を突かれた。


「褒めろ。ついでに撫でろ」


 意味わからん。

 あと手が汚れてるから無理。


「つまりこういうこと? 下野を連れてきたのは、ここから逆転を————」


「ああっ!?」


 急に下野が大声出した。びっくりした。俺の鼓膜と心臓を労われ。

 何事かと思ったが、この場にいる全員が俺の顔を見つめている。


「はな、はなっ、鼻血!」


「え、うそ」


 鼻を拭う。ぬるっとした嫌な感触があった。

 うわっ、マジだ。さっきの顔面ブロックのせいだろうか。今頃になって……。


「ど、どうしよう、どうしよう」


「いや。いいから」


「ティッシュとか持ってないし、ああっ、もうこれでいいか!」


「んぐっ」


 下野の腕がのびてきた。衣服の袖口を使って鼻血を拭いてくる。

 まてまて。服がよごれる、やめろ。力強すぎて痛いし!


「もういい。やめろ」


「あっ」


 鼻血は出切ったみたいだけど、代償に鼻がすごい痛い。


「ムラサキ。ハンカチかティッシュ持ってないか。いつも持ち歩いてるよな」


「あるけど貸す気が失せた」


「なにゆえ」


「ムカつくから」


「……そうか」


 なら仕方ない。


 俺はずっと預かっていた10番のゼッケンを取り出した。


「とにかく。来てくれたなら有難い。後半から入ってくれないか。下野がいてくれないと勝てそうにない」


「うん、それは勿論……って言いたいところなんだけど」


 下野が言い淀む理由はわかった。

 衣服は普段着のままで、準備運動もまともにしていない。靴だって上履きで……おい、それ俺のじゃねえか。


「うらかが出るのはナシだ」


「なんでだ。そのために連れてきてくれたんじゃないのか」


「そもそも。女の力を借りて勝とうとか、みっともなくねーか。トウマ、男としてのプライドはないわけ。そういう男はあたし的にポイント低い。好きじゃない」


「………」


 え、ここでそういうこと言う?

 そりゃあ、女子の前でカッコつけたい想いはあるけど。


「でもあたしも鬼じゃない。トウマが困り果てているときくらい手伝ってあげる」


「どういう意味」


 ムラサキが俺の手元からゼッケンを奪い去った。

 怖いくらいにわざとらしい笑みを浮かべて言い放った。


「あたしが出てやる」


「え」


 え?

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