第33話 勝負成立

 俺は勘が悪くないつもりだ。

 相手がそれなりの密度で過ごしてきた友人なら尚更。


 だから下野が何かをひた隠しにしているのは確信しているし、それが俺たちにとって望ましくないものだってわかる。


「わかるけど……」


 どうしたものだろうか。

 もし真相が俺の考える通りだったとして、俺には止めようがない。そうするべきなのかも迷う。下野が望んでいるのだとしたら……。


 寝転がって目を閉じる。

 まぶたの裏に浮かんでくるのは親友たちの姿だった。

 オヤカタ。ヨウキャ。それにムラサキ。


 幼いときからずっと一緒だった。これからもきっとそうだ。


 いずれ別れのときがくる。なんて言うけど俺には実感がない。

 世の中のほとんどの人たちにとっては身近なんだろう。でも俺たちには当てはまらない気がしている。根拠はないけど。


 もしあいつらがどこか遠い場所に行くことになったら。

 俺はそのとき何を思うんだろう。


「現実逃避はここまでにするか」


 俺は果たし状を見つめた。

 テンション下がる。カオスタイムに勝負を仕掛けるとか廃部を覆すとか、今となってはどうでもよくなってしまった。下野が乗り気じゃないなら俺が動く理由がなくなる。


 思い切って破り捨ててしまおうかとしたときだった。


「どけってんだよ!」

「ここは俺らサッカー部の場所だ! 負け組は引っ込んでろ!」

「かけっこならよそでやれボケが!」


 めちゃくちゃ物騒じゃないですかー、やだー。


 いつから我が校は治安が悪くなったのでしょう。元からか?

 首を突っ込む気満々で声のするほうへ。部室棟近くのグラウンドで目にした光景は、予想通り穏やかじゃないものだった。複数人の男子が1人を取り囲んでいる。


「あれ。速水じゃないか」


 速水は大勢を前にしても毅然とした態度だった。


「今は障害物競争の時間じゃない。どいてくれないか」


「オメーが消えろよ。このグラウンドはサッカー部のモンだ」


「この時間は陸上部が使う」


 サッカー部たちが小馬鹿にしたように笑う。


「陸上部は廃部だろうが。張り紙見てねえのかよ」

「どうせ潰れんだから練習なんてする意味なんかねえだろ」

「はいはい、負け組おつ~!」


 どんっ、と1人が速水の胸を押した。

 思わず飛び出していきたくなった。数で圧倒した上に暴力とは。


 だが速水はまったくよろけていなかった。日頃の鍛錬の感じる、強い体幹だ。


「非力だ」


「ああん?」


「そんなんじゃ足速くなれないぞ。女子にもモテない」


「う、うっせーな! 足速くてモテるとか小学生かよ!」


 ムキになった男子が速水に詰め寄る。さすがに俺は駆け出した。速水は友人でもなんでもないが、顔見知りに怪我をされても目覚めが悪い。


 だが俺がたどりつくよりも早く、巨漢が現れた。


「なにをしている」


 最初はオヤカタかと思った。

 だが身体に余計な脂肪は一切なく、隆々とした筋肉を見て別人とわかった。


「が、ガンテツ……」


 男子が顔をひきつらせて呟いた。

 ガンテツってなんだっけ。最近どこかで聞いたような。


「お、俺ら練習をしようとしてただけだって」

「それなのにこいつが邪魔しやがってよ」

「負け組は痛い目みないと理解しないって」


 ガンテツと呼ばれた男がじろりと睨む。

 口々に言い訳をしていた3人はたったそれだけで怖気づいた。


「お前らが自主的に練習するとは思えない」


「ひ、ひでえな。俺らが補欠だからって偏見持ってんのかよ」


「補欠かどうかは関係ない。普段の行いを見ていればわかることだ。おおかた、サッカー部の所属を盾に嫌がらせをしたんだろう。ウチの部の汚名になる。今すぐやめろ」


 ガンテツの眼光がさらに鋭くなった。

 いよいよ悲鳴をあげた3人は足早に逃げ出していった。


 あとに残ったのはガンテツと、当事者のくせに他人事みたいな顔をした速水、それに中途半端な位置で固まった俺だけだった。俺の場違い感なんなんだ。


 ガンテツは深々と頭を下げていた。


「部長として非礼を詫びる。ウチの部員がすまなかった」


「気にしてない」


「今月までは陸上部のお前も好きに使ってくれていい。来月からはおそらく、全面的にサッカー部が使うとおもうが」


「陸上部はなくならない。廃部は撤回させる」


 ガンテツが目を見開いた。

 次の瞬間には煩わしそうな顔になっていた。


「ああ、お前もそういう手合いか。となりのやつも同じ陸上部か」


「へっ?」


 ガンテツがこっちを見ている。

 反射的に否定するよりも早く、速水が告げる。


「いや。こんな足遅いやつは陸上部に認めない。だが俺たちのボスだ」


 ボスってなんだよ。そんなものになった覚えはない。

 ドスドスと不穏な足音を響かせながらガンテツが迫ってくる。間近で見上げてみるとなるほど、中々の迫力がある。


「お前が清浦透真か」


「フルネームどうも。そういうガンテツくんは本名なんていうの?」


「正直、お前のせいで迷惑してる」


 ええ、なんの話。


「サッカー部に勝てば廃部は取消などと、ありもしない嘘を吹いて回っているそうだな。ここ数日はちょっかいをかけてくる連中のせいで部としてまともに練習できずにいた。どうしてくれる」


 どうもしねえよ。そいつらに言えよ。

 んで、真横にいた速水はガタガタ震えていた。


「まて。廃部は取り消せないのか……?」


「そう上手くいけば苦労はない」


「足が速ければなんでも叶うんじゃないのかっ!?」


「お前好きだねえ、その考え」


 ガンテツまで呆れていた。


「そいつの肩を持つわけじゃないが、廃部は己の責任だろう。きちんと結果を残していればこういう事態にはならなかった。同情はするがこれを機に自分を見つめ直して……」


 不自然なところでガンテツの言葉が途切れる。何事かと思ったが本人はまじまじと速水を凝視していた。頭の先から爪先までまるで値踏みでもしているようだったが、ふいにその表情が柔らかくなった。


「良い筋肉だ」


「えっ、筋肉?」


「特に足が素晴らしい。日頃から研鑽を積んでいるのがわかる。大会でまともな結果が残せなかったのなら不運としか言いようがないな。同年代に手強いやつでもいたか」


 速水はジャージ姿だ。筋肉なんて見えようがないが……。わかるやつにはわかるのか。


「いない。俺が最速だ」


「だったら何故」


「俺は去年、新人戦、夏・冬の大会どれも出られなかった」


「む……?」


 ガンテツが訝しむ。俺も同じだった。

 大会の時期にだけ体調でも崩したのだろうか。いやそんなのありえない。赤点で出場停止処分になったのか? いや、赤点常習犯の俺にはわかる。速水の顔はなかった。


「どういうことだ」


「大会へのエントリーが受理されてなかったり、会場でいきなり帰らされることもあった。何度説明しても大人は誰も取り合ってくれなかった」


 足先から冷たいものが這い上がってくるのを感じていた。

 陰湿なまでの周到な根回し。発言や主張を上から押さえつけ、集団から孤立させる。


 俺はこのやり口を知っている。


「おい、そこのゴミどもォ」


 背後から声がかかる。

 振り返るよりも早く、後頭部を掴まれる。隣で速水のうめき声が上がった。


「俺が創ったサッカー部になにか用かぁ? お前らみてえなカスにうろちょろされると迷惑なんだよ。人様の邪魔して楽しいかよ、清浦ァ! 速水ィ!」


 ギリギリと力が強まる。

 抵抗しようとすると毛髪を引っ張られる。俺と速水がもがいているところに太い腕がのびてきた。


「クズ先生。その手を離してください」


「ああ? 誰に命令してんだお前。部長様がそんなに偉いんか?」


「いえ、そんなことは……。俺はクズ先生を一番に尊敬しています」


「ふんっ、そうだよなあ。そりゃあ当然のことだ」


 機嫌良さそうに鼻を鳴らしたクズは俺たちから手を離した。

 ガンテツは不本意そうに顔を歪めていた。さきほどの発言は、ガンテツの本心から出たものじゃないらしい。それこそ当然のことだが。


「よくわかっているじゃないか。さすが、俺が育ててやっただけのことはある」


「………」


 ガンテツの拳は強く握られていた。

 不満がありありと漏れている。どの口が言うのかと。


「それに比べてお前らは惨めだよなあ。反抗的な割に学校に何の貢献もしない帰宅部に、もう片方は大会への出場申請もまともにできねえ間抜けときた。こんなやつらがいたんじゃ、いくら俺のサッカー部が実績を上げてもまるで意味がないじゃないか」


「……アンタのじゃない」


「ああ?」


 ぼそっとした速水の呟きに、クズが反応した。


「なんだ。何か言ったか」


「玉蹴りのことなんて、俺は全然わからない。でも外から見てるだけでわかる。アンタは指導なんてしてない。足が遅いやつの言葉は響かない」


「ふん。何を言い出すかと思えば。頭わいてんのか。あ? ようはまともな指導者がつかなかった僻みだろ。あのとき俺の指導を拒んでいなかったらこうなってなかったろうになあ」


「必要ない。アンタから教わるようなこと一つもない」


 クズは怒り狂う寸前になっていた。

 なるほど。サッカー部だけじゃなく、陸上部にも元々目をつけていたのか。そして上手く取り入れなかった腹いせに、速水が大会に出られないようにいやがらせを……。去年からの数々の暴挙を思い出させる悪辣さだ。


「指導ってどういうことですか、クズ先生。まさか俺たちだけじゃなく、陸上部にまで何かをしたんじゃ」


「チッ……てめえはどっちの味方なんだ。ああ?」


 クズは自分よりずっと体格の大きいガンテツを睨み上げた。

 わずかに声を落としているが俺の位置から全てきこえる。


「黙ってりゃ部費は増額。練習日と活動場所だって今より増やしてやるって言ってるだろ。その環境を整えてやろうってのに文句つけんのか」


「ですが」


「いいか。ガキが大人の言うことをきくのは当たり前だ。生徒が先生様の命令通りにするのも当たり前のことだ。お前はそんなこともわからんのか」


「………」


「そんなに不満なら出てくか? あのガイジンみたいにな」


 ひっかかる言葉が出てきた。


「それってマルティンのこと?」


「っ! 何故お前がマルティンを知っているんだ」


「この前、知り合ってね。めちゃくちゃサッカー上手かった」


「マルティン……」


「やっぱりあいつ、元はサッカー部だったんだな」


 あれだけ上手いのに部活に入ってないのは妙だと思っていた。

 サッカー部の名前を出したとき、明らかに動揺していたし。


「なんだ。あいつまだ学校辞めてなかったのか」


 クズが、教師なら絶対に言わないことを言う。


「クソ外国人に伝えておけ。この学校に———いや日本に黒人の居場所はねえ。今すぐ国に帰れってな」


「っ!」


 ガンテツが反射的に腕を上げた。

 だがそれは誰にも振るわれることはなく、静かに下ろされていく。己の感情を無理やりに封じ込めて激情に耐えるその姿に、俺のほうが堪えきれなくなった。


「ふざけるなよ」


 しっかりと俺の声が届いたらしい。

 クズは不愉快そうに顔を歪めた。


「なんか言ったか、清浦」


「あんたは名前の通りクズ教師だって言ったんだ」


「教師に暴言か。学校にいられなくしてやろうか、ええ?」


「暴言吐きまくりはどっちだよ。お前こそ居場所ねえよ。俺でもマルティンでもなく、先生が出ていきなよ」


「な、なんだお前……」


 真正面からクズに反抗するのは初めてだった。

 予想外の反撃にクズはたじろいでいた。こんなことなら最初からこうしておけばよかった。


「お、俺はサッカー部の顧問だぞ。この結衣山高校で、一番実績ある部活の顧問だぞ!」


「だからなんだよ。後乗りのくせに。だいたいそんな肩書き、すぐに意味のないものにしてやるよ」


「な、なにおう……!」


 制服に忍ばせておいた果たし状をガンテツの胸に押し付ける。

 ガンテツは困惑していた。


「これは、なんだ」


「果たし状。遅くなったけどカオスタイムで勝負を申し込むよ。サッカー部は倒させてもらう」


「……本気だったのか」


「サッカー部に恨みはないけど、いつまでもこの先生を調子に乗らせたくない」


「自惚れじゃないが俺たちは強いぞ。もちろんわざと負けるつもりもない」


「それでいいよ」


 ガンテツと話し込んでいる間にクズはようやく余裕を取り戻したらしい。

 耳障りな怒声を響かせる。


「ガキが……! 大人に、教師様に口答えしやがって! 土下座して詫びろ、清浦ァ!!」


「もし俺たちが負けたらいくらでも。煮るなり焼くなり好きにすればいい。けど俺たちが勝ったなら先生こそ土下座して詫びなよ。先生の暴言と暴力で傷ついた人たちに」


「ガキが一丁前に意見してんじゃねえ!」


「勝つ自信ないんですか? 先生が育て上げた自慢の部なんですよね?」


 クズはぎょろぎょろとした目をガンテツに向ける。

 そして勝ち誇ったように嗤った。


「おい、部長。絶対に負けるな! 負けたらわかっているだろうなっ!?」


「……はい、はい」


 渋々といった様子でガンテツが頷く。

 かくして、サッカー部と廃部連合軍のマッチングが成立した。

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