第31話 良いニュースと悪いニュース

「良いニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」


 帰宅直後、お父さんがそんなこと言ってきた。

 シンプルにうざい。運動直後に相手したくない。そのハゲ頭を視界の端に追いやった。


「疲れてる。あとにして」


「うらかたん。こんな遅くまでどこで何をしてたんだい」


「走り込みとサッカーの個人練習」


 面倒すぎるから簡潔に答える。

 お父さんは予想通り目を丸くしていた。


「ランニングはともかく……サッカー? どうして」


「球技大会」


 厳密にはちょっと違うけど、そういうことにしておく。

 廃部集団でサッカー部に挑むなんて説明してもお父さんには何のことだかわかるはずもないし。


「もしかしてこっちの学校で部活に入るとか?」


「そこまでじゃない。ねえ、本当に邪魔。お風呂入りたい」


「よし! パパと一緒に入るか!」


「マジで死ね」


 女子高生の娘に何言ってんだ。気は確かか。

 変態親父はひざまずき、お母さんのひざの上で咽び泣く。

 どうしようもない旦那だろうに、お母さんは優しくハゲ頭を撫でていた。


「あとで私と入りましょうね」


「それはいい」


「去勢します」


「アーッ!!」


 うっさいなあ。


 三人家族とは思えないくらいに騒々しい。昔からそうだ。私はもっとおしとやかな家庭が良かったのに。スポーツ好きなお父さんの影響をモロに受けてる。


 孤高でクールでミステリアスな美少女に……いや、もういいか。また透真くんにバカにされるのが目に見えてる。腹立たしいわね。カオスタイムでぎゃふんと言わせてあげるんだから。


「で、なに。早くして」


「東京に帰ろう」


「………?」


 お父さんの言葉の意味がわからない。

 帰るも何も、今の住まいはここだ。結衣山にある。


「あっ。夏休みになったら遊びにいくってこと? いいじゃん」


「上司になんとか掛け合って、今月いっぱいで東京に戻れるようにしてもらった。大変だったんだからな? ちょっとはお父さんに感謝してくれよ」


「…………」


 火照っていたはずの身体が、爪先から冷えていくのを感じた。

 ようやく頭に理解が追いつく。でも、それを拒否したい自分がいた。


「きゅ」


 言葉が喉の奥でからむ。


「急すぎるよ……」


「ほんとよねー、せっかく慣れてきたところだったのに。偶然仲良くなれたお友達とサーフィンに行く約束までしてたのに」


 お母さんは文句を言いながらも、全然不満そうには見えない。

 結衣山に来るときだって二つ返事で承諾した人だ。お父さんのためならどこへでもついていくだろう。


 つまり、私も一緒に行かなければならない。


「二人は元々反対してたじゃないか。これでも申し訳なく感じてたんだからな。家族を振り回してるって」


 お父さんが私を見つめてくる。


「うらかの荒れ様はすごかったよな。絶対に東京から離れたくないって。きいたこともない田舎なんか嫌だって。こっちに来てからしばらくお父さんとは口きいてくれなかったもんな」


「え、えっと、うん」


「でも、もう少しの辛抱だ」


 お父さんは達成感に満たされた晴れ晴れしい顔で笑いかけてくる。

 それは、私からの反応を期待しているように見えた。



 ああ、そっか。



 お父さん、だいぶ無理をしたんだな。

 自分で言うのもなんだけど、結衣山への引っ越しが決まったときは本当に荒れていた。突然すぎて全然納得がいかなかったし、こっちに来てからもイライラとした気持ちはなかなかおさまってくれなかった。家でも学校でも八つ当たりをしていたし、特にお父さんとの関係は最悪になった。


 ずっと気にしてたのかもしれない。

 私はお父さんのことをそこまで好きじゃないけど、お父さんは私のことを好きみたいだから。


「悪い方のニュースは?」


「職場からはすぐにでも東京支社に行けって言われてる。人手不足の部署みたいでね。だから大急ぎで引っ越しの準備を進めなきゃならない。忙しくなるから、うらかもお母さんを手伝ってほしい」


「が、学校はどうしたらいいの。また転校?」


「いったん籍だけは結衣山高校のままだけど2学期から編入できる学校を探す。前の学校に戻してやれるわけじゃないが……そこは許してほしい」


 会話を重ねていくうち、現実感がこみあげてきた。

 本当に東京にいくんだ。また、あっちに住める。それは嬉しい。


 でも結衣山高校には通えなくなる。

 透真くんたちに会えなくなる。


 それは————


「うらか。どうしたんだ。もっと飛び跳ねて喜ぶかと」


「えっ、えっと」


 私は慌てて取り繕う。


「いきなりで驚いただけ。転校してばっかり大変」


「す、すまない。迷惑をかける……」


「別にいいけど」


 足早に自室に戻る。これ以上お父さんに何か言われたくない。

 部屋のドアを閉めたところで、そういえばお風呂に入ろうとしていたのを思い出した。でも、あとでいいか。


「東京……」


 帰れるんだ。

 ようやくだ。この日を待ちわびた。そのはずなのに……。


「お父さんのバカ」

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