第30話 河川敷での特訓
放課後。
結衣山高校からほど近い距離にある河川敷に俺たちは集結していた。
打倒サッカー部を掲げ、血のにじむような修練が幕を開け————
「だからァ! 俺がセンターフォワードだっつってんだろ!」
「うるせえんだよ! デカいだけのやつはゴールキーパーでもやってろ!」
「デカいのはお前もだろうが!」
「やるかこのデブ!」
「だからお前もだろうがい!!」
ラグビー部とアメフト部の2人が揉めてる。
いやその両名に限らず、他の面々もポジション争いで言い合いになっている。全然、誰も譲り合わない。こいつら本当に高校生か?
「おい、お前らなにやってんだ。落ち着けよ」
呆れ半分で近づいていく。剛腕が目の前を横切っていった。あぶねっ!
「帰宅部は黙っておけ!」
「邪魔だ!」
シンブルな拒絶ぅ。
もうちょっとで怪我するところだったぞ。
「一応俺が主催になって集めたんだから、仕切ってもよくね?」
「二度も言わせんな。俺たちはガチで部活を守りてえんだよ。遊び半分のやつに混ざられたんじゃ迷惑だ。消えろ」
「ふむ……」
納得してしまった自分がいる。
実際、俺はこいつらほどの熱量はない。部外者みたいなもんだ。俺は下野さえ試合に出させればそれで満足なのだ。
「じゃあ一つだけ。10番のゼッケンは俺が預からせてもらう」
「は、はあ!? ふざけんな! サッカーの10番はエースの証。それを好き勝手に持っていっていいわけが————」
「下野うらかに着せるから」
「……。…………まあ、やつが10番でいいか」
便利だな。下野うらかってワード。名前さえ出しておけば屈強な男たちがみんな引き下がっていくんだから。本人は不服だろうけど。
「というか、お前ら。俺を追い出すならそれでもいいけどさ。ちゃんとサッカーできるのかよ。やってたやついる?」
全員が手を挙げた。
「そういうんじゃねえよ、おバカ。ちゃんとしたクラブか部活で指導受けたやつはいんのかって聞いてんだ」
全員が手を下げた。
実に頭の悪い集団である。
「サッカー漫画なら読んだことあるんだけどなあ。キャプテン翼とか」
「いつの漫画だよ。今はやっぱブルーロックだろ!」
「俺アオアシ派」
「レッドカードも読んでくれ」
「一瞬の風になれ、なら」
ため息がこぼれる。
下野の言う通り、こいつらに勝ち目はないかもしれない。あと、1人だけサッカーじゃない作品をあげたやついるな。速水だろ。
指導者が必要だな。
「おい、マルティン! そんな隅っこにいないでこっちに来てくれよ」
「え?」
俺に呼ばれたマルティンは驚いた顔で振り返った。
「こいつら全然サッカー経験ないらしい。お前が教えてやってくれ」
「あ、いや、その……オレは」
わたわたと両手を突き出したマルティンはやがて恥じ入るように口ごもってしまった。おいおい、そんな図体しててシャイボーイかよ。そういうのはヨウキャで間に合ってるぞ!
「恥ずかしがってないでこっちに————」
もう一度マルティンを呼ぼうとして、俺は気付いた。
クスクスとした笑い声。交錯する粘っこい視線。頭で考えるよりも早く肌で感じ取れる悪寒。
俺がこの世で最も嫌いな空気だ。
「やめとけって。英語話せないと会話にならねーぞー?」
また笑い声が起きる。
マルティンは居たたまれない様子で、その大きな身体を縮めていた。ここにいるのが申し訳ないとでも言いたげに。俯きすぎて顔なんて全然見えない。
俺は感情をこめないように淡々と言った。
「えー、あいつ日本語話せるだろ。てかそれしか話せないってよ」
白けた空気が流れた。
つまらないものを見るような目を向けられる。
「何マジに返してんだよ」
「んー?」
「冗談を真に受けんなって」
「あー、気付かなかったわ」
「ふん。空気読めねえのかよ」
「だって冗談とかジョークとかって、お互いで楽しむもんでしょ。片方だけで楽しんでたら別物じゃん」
「ああ……?」
何か言われる前に俺はマルティンの腕を引っ張る。
「はいはい! 今日のところは各自で練習! 適当に帰るってことでよろしく~」
「おい、てめえ待て! 今のどういう意味だっ!?」
きこえない、きこえない。
なーんにも、きこえない。
◇
「ごめん」
「なに」
「オレを庇ったせいで嫌な感じにさせてしまって。本当にごめん。俺がいるといつもこうだ……」
マルティンは卑屈な笑みを浮かべる。
俺は足を止めて振り返った。
「おい、マルティン。俺はお前を親友みたいに大切にする気はない」
「え、あ、うん」
「だから、自分のことくらいちゃんと自分で守れ。言い返せ。そうやって怯えてるから相手が調子に乗るんだよ」
「………」
マルティンは茫然として固まっていた。
少しきつい言い方だったかもしれない。でも偽らざる本音だ。俺はこんな大男を守ってやるつもりはないし、どうにもできないほど弱いやつに見えない。足りてないのは気持ちだけだと思う。
マルティンは目を細めて笑った。
「そんな風に言ってくれたの、君が初めてだよ」
「はあ」
「同級生とか、先生とかも。俺の見た目のことで色々言ってくるんだ。……怖がられちゃってるのかな」
「んなわけない。しょうもない」
この歳になって肌だの出身だのでとやかく言ってくる連中がまともなわけない。
そういう手合いを相手にしてたら疲れるだけだ。
「君は強いな」
「今度はなに」
「去年から知ってたんだ、キヨウラくんのこと。あれだけ周りに何を言われても……それでもどこの部活に入らないままで。君なりの信念があるんだろうなって、ずっと感じてた」
「………」
「今も、だけど」
こいつと話してると背中がかゆくなってくるな。
持参したサッカーボールを投げつけてやる。
「わっ、おっと」
「おしゃべりに来たわけじゃない。アップしたら相手して。適当に1on1とかで」
「う、うん」
「負けたやつがジュース奢りな」
「え」
5分後。
財布をカラにした俺がいた。
「うそだろ……?」
マルティンは超強かった。1回もまともにボールを奪えなかった。
こんなに実力差を感じるような勝負がかつてあっただろうか。例えるならプロ選手と駆け出しが対戦するようなものだった。
「あの……こんなに奢ってもらっても困る」
マルティンは各種様々な飲料水を腕に抱えこんでいる。
俺に申し訳なさを覚えているせいか、どれにも口をつけていない。
「なんでそんな上手いんだ。実は世代別代表とか?」
「お、大袈裟だよ。オレなんて本当に大したことない。1人で蹴って遊んでばっかりで、どこかのチームに入ったことないし」
「……おらっ!」
「わっ」
不意打ちでボールを奪おうとしたら、華麗な足さばきで躱された。姿勢が一切ブレない強い体幹だ。ボールはマルティンの身体の一部になったみたいに自由でゆとりのある動きをしていた。
しかも飲み物で両手塞がってるはずだよな……?
「素人意見だけど、本当に上手いよ。プロ目指せよ」
「だ、だから大袈裟だって」
「どうしてサッカー部に入ってない?」
何気なく口にしたつもりだった。
だがマルティンの反応は顕著だった。
「その。いろいろと、ね」
「ふーん」
考えていることがすぐに態度に出る男なんだな、マルティンは。
いいだろう。見て見ぬふりをしてやろう。話されても困るだけかもしれないし。
「それはそうとさ」
俺はひたすら走り回ってる男にむかって叫んだ。
「いつまで走ってんだ、速水ー! せめてボールにくらい触れー!」
「むっ」
こちらに気付いた速水が一直線に駆けてきた。砂埃が舞う。けっこうな距離があったはずだが数秒とかからずここまで来やがった。
「走るしかやることがない」
「お前、むこうの連中と練習してたんじゃないのか」
「やり方を教えろと言ったら追い出された」
俺とマルティンは互いに顔を見合わせた。
信じがたい気持ちを共有できたと思う。
「マジで言ってるのか。サッカーだぞ。オフサイド以外なんも覚えなくていい、あのサッカーだぞ」
「え、えっと。さすがにそこまで簡単じゃないけど」
マルティンは苦笑していた。
速水のほうは心外だと顔をしかめていた。
「俺は馬鹿じゃない。ボールをあそこまで運べばいいんだろ」
「おっ、そうそう。わかってるじゃないか」
「腕に持って運ぶんだよな」
「ハンドボールと混同してる?」
「アイシールドをつけて走りまくればいいんだろ」
「ああ、アメフトのほうか」
あの作品、超面白いから語りたいけど今は後回し。
「サッカーは、このボールを足で蹴るんだ。で、ゴールネットを……いや。正確にはあのゴールラインを越えた位置までボールを運べばそれで得点になる」
「手使っていいのか」
「足だけだ」
「足だけ!?」
速水は驚愕していた。
「そんな、馬鹿な。足は地面を蹴るためにあるんだぞ」
「まあ、うん」
「で、何点取れば勝ちなんだ。11点か? あ、それで11人でチームなのか」
「間違った知識で納得するなって。サッカーは点数じゃなくて時間でゲームが終わるんだ。ホイッスルが鳴ったときに点を多く取っていた方の勝ち」
「試合時間は」
「90分」
「90分!?」
速水は腰を抜かしていた。
「と、当然、その時間ずっと走りっぱなしなんだよな」
「え? まあ、そうだな」
「SUB90でも目指してるのか!?」
「さ、さぶ? 何の話だ」
あとで調べてわかったことだがSUB90とはハーフマラソンを90分以内で走破することを言うらしい。競技人口の上位5%しか当てはまらないのだから、その難易度が凄まじいのがよくわかる。
「甘く考えてたみたいだ。わかった。まずは身体から仕上げてくる」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、ハヤミくん。誤解してるみたいだけど、サッカーで90分間走ってもせいぜい10キロにしかならないよ。長距離マラソンをするわけじゃない」
「なに、たったの10キロ?」
速水は落胆したような、失望したみたいな表情になった。
「なんだ。そうなのか」
「速水。俺たちは持久力勝負をするんじゃない。サッカーをするんだ。本当にわかってるか」
「つまりは障害物競争だろう?」
微妙に噛み合わない。俺は頭が痛くなってきていた。何度も同じ説明をするのは下野との勉強会で懲りている。勘弁してほしい。
「マルティン、相手してやろう。その方が手っ取り早い」
「あはは……」
マルティンが放ったボールは速水の足元に転がっていった。
速水はつまらなそうにそれを見つめる。
「俺たち2人を突破してみな」
「わかった」
てーん、と速水が爪先でボールをはじいた。
俺のすぐそばに転がってくる。余裕で奪える。
呆れながら足をのばそうとした瞬間、ボールが目の前から消えた。
「あれ?」
直後、俺のすぐ横を速水が通り過ぎていった。
もちろん、ボールは速水の足元におさまっている。
振り返る。速水とマルティンが対峙していた。
速水が再びボールを蹴り出す。当然、そこには誰もいない。速水とマルティンは同時に駆け出しボールを追いかけた。
単純な速さで、速水のほうが先にボールに触れる。しかしマルティンもすぐに追いつき、ゴールとの間に身体を滑り込ませた。シュートブロックに間に合う。
だが速水はゴールとは全然違う方向へボールを蹴り出した。
「なっ」
再び両者の走力勝負。また速水が先に追いついてマルティンが後手に回る。そして速水がまたボールを手放す。それが何度も繰り返された。
一見、無駄に走り回っているだけに見える。だが、徐々にマルティンは速水に追いつけなくなっていた。縦横無尽なイナズマステップに翻弄されている。
「障害はなくなった」
速水が加速する。そのままゴールラインを割る。ボールとともに。
言葉をなくした俺たちを前に、速水はのんきな口調で告げた。
「そこのスポドリもらっていい?」
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