第27話 やはり下野は欠かせない
旧校舎の外階段はいつにも増して陰鬱な雰囲気だ。空が分厚い雲で覆われているせいだろう。夏が近づいているはずなのに、春先に下野と過ごしていた時期より肌寒く感じる。
「なんなのあいつ!? 本当に大人? チンピラが間違って先生になっちゃっただけじゃないの!?」
「クズだよ」
「それはさっき聞いたわよ! お似合いのあだ名ね!
「九頭先生だよ。あだ名とかじゃなく、ちゃんと本名な」
聞いてるのか、いないのか。
下野は自分の膝をペチペチ叩いてどうにか怒りをおさめようとしている。
「ねえ本当になんなの!? なんであれだけ滅茶苦茶やってるのに問題にならないの!? 暴言とかは百歩譲っても、竹刀で殴るのはガチ暴力じゃん! 処分されないわけ!?」
耳がキーンとする。鼓膜が破れそうだ。
「それはともかく。よくクズに手出さなかったな」
いつかのカラオケみたくスマホ叩き割るかと。
下野の性格を考えると九頭に文句の一つや二つぶつけると思ったが、あの場ではあっさりと見逃した印象がある。
「手を出したのは私じゃなくて、さきなだったけどね」
「そうだっけ」
「そうよ。あと、透真くんがずっと怖い顔してたから」
「え」
そんなだったか?
自分の顔を触ってみる。俺は今、本気で驚いている。
「マジで心当たりない。へらへらしてた覚えならあるけど」
「確かに人を小馬鹿にした薄ら笑いだったけど」
「言い方よ」
「でも目の奥が暗かった。ちょっと……本当に怖かった」
怖いというわりに下野から伝わってくるのは温かみのある気遣いだった。
動揺はまだ続いている。だって本当に、俺はそんな感情を出したつもりがないから。今まで誰にも指摘されたことがない。オヤカタ、ヨウキャ、それにムラサキ————あの親友たちにだって隠し通してきた。
でも、もしかして。
みんな見て見ぬふりをしてくれていたのだろうか。
知らない間に、あいつらに気遣われていたとしたら。
「去年の担任だって言ってたわね。何があったの」
優しい声音でたずねてくる。
俺は答えに詰まった。どう話すべきだろう。聞かせて愉快な話じゃない。面倒がられて避けられるんじゃないかそんな不安が一瞬よぎる。
いや、下野がそんなやつじゃないって、俺はもう信じ切ってる。
「言いたくなかったらそれでも————」
「おいおい。お二人さん。こんなところでサボりとは感心しないよ」
頭上から、からかうような声が降ってきた。
俺と下野は本気で驚いて飛び上がった。
階上から現れたのは俺たちの担任、キズナ先生だった。
「また逢引き? 御杖村さんに言いつけてみようかな」
「ち、違うんです先生! 私は嫌だって言ったのに清浦くんが無理やり!」
一瞬で俺を売ってんじゃねえぞ下野ォ!!
無理やり連れてきたのはお前の方だからな!!
あとキズナ先生、お願いですからムラサキには言わないでください。
「いや、つーか、キズナ先生なんでここにいるの。だって今は」
「現国の授業中じゃないかって? 自習にしてきた」
「職権乱用じゃねえか」
「朝のホームルームと1限をサボっている君に言われてもねえ」
キズナ先生の話し方に違和感がある。
作られたキャラクターっぽさを感じない。妙な演技が入っていないというか……。
「先生、もしかして素で話してる?」
「まあ、いいじゃないか。今日くらい。気を抜いたって」
別にキャラ作れとは言ってねえよ。自分でやってるだけだろ。
よいしょ、とキズナ先生は腰を下ろした。懐から乳酸菌飲料を取り出して一気飲みしてる。自宅にいるみたいなくつろぎ方だった。
「いやいや。マジで何しにきたの。教室戻りなよ」
「さっき九頭先生からお小言もらってさ」
「は?」
「『オメエが担任としてだらしねえから、ああいうクソガキがのさばるんだよ』って言われちゃった」
ああ、そういう。
自然とため息が出た。
「お説教に来たのね」
「だからこう返しておいた」
「なんて?」
「『途中で担任を外された九頭先生に言われましても』……と」
「えッ」
振り返る。キズナ先生をまじまじと見つめてしまう。
その顔つきからしてどうやらマジらしい。え、マジでそんなこと言っちゃったの? やばくない? クズでも一応先輩教師だろ。
「ぶふっ!」
こらえきれずに下野が噴いた。
「そ、そしたら? そしたらっ!?」
「顔真っ赤にして震えてたけど、他の教師の手前何も言えずに戻っていったよ」
「やるぅ!」
下野は手を叩いて笑っていた。
「てかあのクズ、途中で辞めさせられてたの!?」
「あ、うん。三学期には副担任がそのまま担任に」
「なんで? なんでっ!?」
期待の目を向けられても困る。
心当たりはある。が、俺たち生徒には詳しいことは知らされていない。諸事情によりクズが担任を外れるとしか……。
無言のままキズナ先生を見やる。
「絶対に言っちゃ駄目だよ?」
そう前置きしながら、先生は声を潜めた。
「当時のクラス保護者からクレームが入ったんだ。それも複数。クズ先生は体罰や暴言のことで厳重注意を受けたばかりだったから、さすがの校長も処分を下すしかなかったんだ。それが去年の冬休みの出来事」
「ふぅん。なるほど……」
ちらりと意味ありげな視線を送ってくる下野。
「やるわね」
「なにが?」
「透真くんがそう仕向けたんでしょ。クズもそんなこと言ってたし。あることないこと適当こきやがってーって」
「ああ、あれか」
「裏工作とか得意そうだもん。保護者という大人たちを巻き込むなんてね。まあそれで正解でしょうけど」
下野はうんうんと勝手に納得している。
俺が陥れたみたいに思い込んでるみたいだけど、マジでなんもやってねえよ。
実際、九頭が担任から外れたときは本当に驚いた。奇跡が起きたのかと。
「じゃあどうして透真くんを目の敵にしてるの。すごかったわよアレ」
「それは先生的にも気になるな」
急なカットイン。キズナ先生が身を乗り出してきた。
「クズ先生が一部の生徒を悪く言うのはいつものことだけど、清浦は別格だよ。ことあるごとに名前が出てくる」
「知りたくないこと知っちゃったな」
「『あいつのせいで俺の評価が下がった』って。清浦、クズ先生みたいなのが相手でも無難に立ち回れるはずでしょ。なにやらかしたの」
「それは……」
さきほど言いそびれた事実を俺は2人に告げた。
「去年、俺が校長に直談判したからだ」
九頭の傍若無人ぶりは入学当初から健在だった。
自分の価値基準を絶対のモノと譲らず、少しでも反抗的な態度を取った生徒はとことん屈服させねば気が収まらない、そういう性格の持ち主だった。初めは抵抗をみせた生徒も九頭の粘着質なまでの罵詈雑言と激昂に心が折れてしまい、従順にすることが最善だと誤った学びをする始末だった。
九頭が標的にするのは決まって体格の小さい者や学内で孤立気味な者、生まれながらにハンディキャップがある者など、必ず弱みを抱えた生徒ばかりだった。いわゆる『学校の人気者』には下手なちょっかいをしないあたり、人間味があると捉えておこう。
残念なことに俺の親友たちは執拗に狙われた。
オヤカタの体型のことを馬鹿にしたり、理由なくヨウキャの髪を引っ張ったり、ムラサキにはセクハラまがいなことをしていたり……なにひとつ思い出したくない。
俺があいだに挟まることでだましだまし場を収めてきたが、さすがに限界がきて俺は校長をたずねた。それが去年の秋だったか。
当時は校長が事なかれ主義だなんて知る由もなかったから、これで丸く収まると思っていた。だがその翌日も九頭は何食わぬ顔をして学校に現れ、そこからは俺も九頭の標的の1人になった。おそらく校長は、俺がクズに対して不満を持っていることを本人にそのまま伝える形で注意を行ったのだろう。
「だから多分、クズは疑っているんだろうな。保護者たちに噂を流して担任から引きずり下ろしたのは俺じゃないかって。実際は何もしてないんだけど」
「なによそれ。そんなの逆恨みじゃない!」
そうだな。俺もそう思う。
遅かれ早かれ九頭はトラブルを起こす、それだけは確信していた。たまたまクレームという形で問題が発覚しただけだ。実際には色々な火種が眠っていたはずで、俺を目の敵にしたって意味ない。
まあ。クズに狙い撃ちされてる間、ある種の達成感があったけど。
おかげであいつらへの被害がなくなったからな。
「キズナ先生、あんなやつ教師の資格ないわよ! すぐに辞めさせて!」
「こらこら。今の担任を困らせちゃいけません」
仲裁に入る。下野はキッと鋭い目を向けてきた。
「なに笑ってんのよ」
「清浦スマイル。下野も笑えばいいと思うよ。なんてね」
「ふざけないで」
ガチおこだ。これ以上やると下野と険悪になりそう。
「こんな間違ったことがまかり通るの、絶対おかしい」
「よくあることじゃん」
「こんな辛いことがよくあることだっていうの」
「えっ」
一瞬、頭が真っ白になった。
そうだよって普通に返そうとした俺は、咄嗟にその言葉を飲み込んだ。まるで俺のその感覚が間違いだよって、下野が訴えているみたいだったから。
「私……悔しいわよ」
下野は泣きそうな声でそう言う。
ずっと、どうして下野がここまで感情的になっているのかが掴めずにいた。
俺だって悔しい。理不尽だって思う。でも感情的に怒りをぶつけたってどうにもならないってことを、いつしか学んでしまって……いつからそんな風に考えるようになったっけ。
そういえば、俺。
面と向かって九頭に反抗したことなかったな。
あいつらが辛い目に遭っているときでも……。
「なんならウチの親を使ってもいいわよ」
物思いに耽っているあいだに、とんでもない発言がきこえたような。
「クズ教師がいるってお父さんにいえば、確実に怒鳴り込んでくるから」
「下野さん、それはちょっと————」
困り顔で何かいいかけたキズナ先生を、俺は手で制した。
ここは俺に任せてほしい。先生は静観しててくれ。
「そういうのは駄目だよ」
「どうして。それでクズを追い出せるかもしれない」
「学校の評判が落ちる。下野のお父さんに結衣山を悪く思ってほしくない」
「っ……! そんなこと言ってる場合じゃ」
「というのは建前で」
率直な心中をそのまま下野に伝える。
「悪い噂を流して意図的に誰かを孤立させようって……なんか最低じゃん。人としてやっちゃいけないことだよ。たとえその相手がクズでもさ」
同じことをやり返したら、俺も同じになっちまう。
オヤカタやヨウキャ、ムラサキを追い込んできた人たちと。
「もちろん、ふいに嫌なこと思い出したりするんだけどさ」
「だ、だからその元凶をなんとかしようって話で————」
「下野がいてくれたらそれでいい」
「は……?」
「うん。今気付いたけど、お前がいてくれたら俺はやっていけそう」
「え。ええっ!? なに急に! バカなの!?」
なかなか面白いリアクションを見せてくれる下野だ。
こういうところに本当に救われる。嫌な記憶は消し去ることはできないけど、下野がそれを頭の片隅に追いやってくれる。さっきも九頭から守ってくれたおかげでネガティブにならずに済んだ。
「うんうん。やっぱり何度考えてみても下野は欠かせない。だから勝手にいなくなったり離れたりしてくれるなよ。絶対に————ねえ、なんでうずくまってるの」
「し、知らないわ」
「そう。で、キズナ先生までどうして」
「十代の青春をまざまざと見せつけられて、胸が苦しいんだ」
よくわからない理由で倒れられても。
俺またなんかやっちゃいました? なんてね。
「でも下野がやる気満々みたいだから、丁度いい具合の仕返しを思いついたよ」
「なによ。その方法は」
下野が顔を上げる。燃えるように真っ赤だった。血気盛んなことである。
「あれだ」
俺は本校舎の校庭を指差す。
体育の授業中らしく、皆で白と黒のデザインのボールを追いかけ回している。
下野は困惑気味に呟いた。
「サッカー?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます