第26話 クズ先生

 その日の朝も穏やかな晴れ模様だった。

 梅雨前線が結衣山に近づいているらしく、夕方から夜にかけて雨の予報だ。


 でも俺らは大丈夫。帰宅部だから。雨が降る前に帰れる。

 強制入部の結衣山生徒は全員雨に濡れるハメになるだろう。くっくっく、可哀そうに。


「透真くんが悪い顔してる」


「ルールに迎合するしかない連中を憐れんでいる」


「ゲイ、ゴー……? 品のない話はやめてくれるかしら」


「え、どこが??」


 バカ下野がなんか言ってる。

 もしかしてまた補習確定だろうか。

 次回からは助けてやらないので勝手に自滅してくれ。


「ああ、迎合ってそういう。もっとわかりやすい言葉で話しなさいよ」


「へい。すいやせんね」


「まったくもう」


 ぶつくさ文句を言う下野だが、その位置はほぼ俺の真隣だ。

 軽いはずみで肩がぶつかりそうになる。


「………」


 俺はそれとなく道の端に寄った。

 すると自然な動きで下野が隣を陣取る。なんと無駄のないディフェンス。これではマークを外せない!


 もう一歩踏み込む。俺のオフザボールについてこれるかな?


「ちょっと。キミ」


「がっ……!?」


 腰に手を回された。ぐいっと、女子とは思えない力で引き寄せられる。


「田んぼに突っ込む気? まっすぐ歩きなさい」


「あ、はい」


 テスト勉強以降、下野との距離感が近い。物理的にも心理的にも。

 教室での会話も増えた。ことあるごとに話しかけてくる感じ、付き合いたての彼女みたいで可愛いっすね。


 みたいなことを伝えたら鼻で笑われた。


「お子ちゃま」


「なに?」


「男女が2人で歩いてるくらいでカップル認定してくるなんて、ずいぶん幼稚なのね。そんなんじゃ東京で生きていけないわよ」


「……ああ、そっすか」


 俺は忘れていない。

 1ヶ月前、1年生たちに誤解されたくないからと俺に正拳を叩き込んだ女がいたことを。〇んぐり返しをネットに晒された屈辱を。


「あ、どこいくの」


 振り切るために走り出した俺に、下野は難なくついてくる。

 さすが神に愛された女(運動能力に限る)だ。俺とレベルが違う。


「なんでそんなゆっくり走ってるの?」


「きょとん顔でアオってくんな」


 わざわざ朝から体力を消費して学校に到着。

 俺は肩で息をしているのに下野は汗ひとつかかず、むしろ心配そうな顔を寄せてくる。


「大丈夫? ちょっと走ったくらいでこんなに息が乱れるなんて……体調悪い? 保健室いく? おんぶしようか?」


「だからアオってくるなって。え? おんぶしてくれるの?」


 心が揺れるわ。

 ついでに地面も揺れた。俺が邪な考えをしていたせいだろうか。本気で不安になったがどうやら違うらしい。それは大勢の男たちによる足音だった。


「むっ、あいつらは!」


 やたら体格のいい男たちが接近してくる。

 下野はファイティングポーズをとった。


「懲りずに来たわね。柔道部! ボクシング部! そしてアメフト部!」


「ぜんぶ男子部の方じゃね?」


「最近は男子の方でも練習相手になれって誘われるわ!」


 大人気かよ。今でも勧誘されてんのか。

 臨戦態勢の下野が叫ぶ。


「何度言われてもお断り————」


 下野のセリフが言い切られることはなかった。

 何故なら男連中は下野の横を素通りして校舎に消えていってしまったからだ。なにやら全員必死な形相だった。課題でも提出し忘れたのだろうか。


「なんか、みんな変じゃなかった?」


 下野も同様の違和感を覚えたらしい。

 部活動に所属している連中など気に掛けるべくもない。だが、なぜだか妙に胸がざわつく。このままだと落ち着かない。


「見てくる」


「え。じゃあ私も」


 だからなんでついてくるんだよ。


 後ろにぴったりな下野を振り切れないまま、俺たちは校長室前までたどり着いた。大勢の生徒たちが群がっている。まるでライブ会場みたいな喧騒だが、飛び交う怒号は物騒なものだった。


「出てこいや校長!」

「こんなの横暴だ!」

「納得できる説明をしてください!」


 なんだ、なんだ?


 ウチの校長が何かやらかしたんだろうか。

 もう少し近づかないと事情が掴めない。が、さっきから肩というか背中が重い。


「くっつかないでくれる?」


「ねえ、透真くん戻ろう? ここ危ないわよ」


 運動オバケのくせして急に女の子らしい声出すなよ。

 ギャップで変な気起こしそうになるわ。


 騒ぎ立てているのは主に運動部連中だが、よく見ると文化部の顔触れも見える。どういう集まりなんだろう。




「廃部とか冗談じゃねーぞ!」




 俺は耳を疑った。


 廃部。この結衣山高校でそんなことはあり得ない。

 生徒全員に部活動への入部を義務づけるトンデモ学校だ。新しく部活が出来上がることはあってもその逆はあり得ない。1年とはいえ、どの部活も活動実績があるのだから。


「いやあ、そのね。廃部といってもまだ確定というわけではなくてだね」


 やけに弱々しい言い訳がきこえてきた。

 生徒たちに囲まれているのは、これまた虚弱そうな初老だった。我らが結衣山高校の校長である。得意技はさいみんじゅつ。


 校長は続ける。


「実績が乏しかったり、活動が不透明な部活は予算削減した方がいいんじゃないかって言われてね。あまりにもひどいようなら廃部にしなきゃだけど……」


「ウチらの部活はちゃんと活動してますよ! 確かに公式戦で1勝もできてないけど!」


「うーん、そうかあ、おかしいなあ。廃部の通知なんてしてないんだけどなあ」


 どこか他人事みたいな校長の口ぶりに場が紛糾した。

 少し話してみればわかることだが、ウチの校長はとにかく自分の意思がない。すぐに他人の言葉に流され、発言はしょっちゅうひっくり返る。付和雷同と朝令暮改の四字熟語はこの人を見ながら覚えた。


「とにかくすぐに撤回してください! 俺たちこんなの認めません!」


「うーん、そだねえ。こんなに反対されちゃあねえ。もう去年と同じままの配分でいいかあ」


 また適当な口ぶりだがなんとか収拾がつきそうだ。

 首を突っ込むような一件じゃなかったな。下野の言う通りさっさと退散しよう。


 が、そのとき校長の後ろから角刈りの男が姿を見せた。


 全身の血が一気に冷たくなる感覚があった。足は地に縫い付けられたみたいに動かない。よせばいいのにずっと目が離せない。二度と関わりたくないと、そう思っているはずなのに。


「ざわざわうっせえなあ、おい」


 そいつが喋った途端、あたりは一瞬で静かになっていた。

 誰もが険しい顔をしてそいつを睨んでいる。しかし誰ひとりとして口火を切れずにいる。校長にはあれだけ啖呵切れるのに。


「あれ、だれ」


 唯一、緊張感の欠片もない下野が小声できいてくる。

 俺は簡潔に答えた。


「去年の担任。九頭」


「え、クズ?」


「合ってるよ、それで」


 俺だけじゃない、たぶん全員がそういう認識だ。


「邪魔だ、どけ。先生様に迷惑かけんなガキどもが」


 九頭は近くにいた生徒を突き飛ばしながら我が物顔で闊歩する。その態度はこの学校で最も偉い校長よりもずっとふてぶてしい。


「あ、ああ、クズ先生……。ぼ、暴力まがいの行為はちょっと」


「校長。教師が歩いていたら生徒が道を空けるのは当然のことでしょう」


「は、はあ。それとあの、この廃部通知書のこと、クズ先生はなにかご存知ですか」


「ええ。今朝早く配っておきました」


 皆の目が一斉に九頭に向けられる。元々険しかった表情は今や憎悪に塗りつぶされていた。


「く、クズ先生。この件はまだ正式決定ではなかったはずですが……」


「校長。まさか私がしたことに文句でもあるんですか」


「文句というか、ああ、なんというか」


 校長はおろおろとして、しまいには黙り込んでしまった。

 肩書きとして校長のほうが偉いはずなのに、どうにも力関係が逆転している気がする。


「お前らいつまで突っ立ってんだ! とっとと自分の教室に戻れ!」


 しっし、と虫でも追い払うかのような仕草だった。


 だが、おとなしく九頭に従う生徒は1人もいない。


「お前らいい加減に……!」


「なんで俺たち廃部なんですか! 新入生のおかげでやっと人数揃ったのに!」


 九頭に食ってかかったのは坊主頭の生徒だった。同じ髪型がさらに数人いる。顔ぶれから野球部だとわかった。


「去年、俺が手ほどきしてやったのに結果を出さなかったお前らが悪い」


「何が手ほどきだ! あんな滅茶苦茶なメニューで上達なんかするもんか! 充分なストレッチもさせずに走らせて怪我人を何人も出したくせに……!」


「練習についてこれねえやつが根性なしだっただけだ。それを先生様のせいにしやがって。良い迷惑なんだよ」


「なんだと!」


 九頭に掴みかかろうとした野球部は周りの連中に止められていた。九頭への怒りはみんな同じだが、殴ってしまえば全員が不利になってしまう。


「だったら、僕たちが廃部の理由はなんですか」


「ああ?」


 次に意見したのは、どこか野暮ったい見た目の男子だった。


「僕たちパソコン部は昨年度から規定人数を揃えて活動しています。活動内容も学校のホームページ作成、学校行事での機械設営など雑務をこなしながら学外のコンテストにだって————」


「あー、あー、はいはい」


 九頭はうんざりした口調だった。


「御託はいい。機械をカチャカチャいじってるだけの奴らにどうして学校の予算を出す必要がある?」


「なっ……活動内容が不透明だというから説明したんです! 学内外で活動実績のあるパソコン部が廃部処分になる道理がありません!」


「口答えしてんじゃねえぞ!」


 九頭は壁を殴りつけて怒鳴った。


「お前らがやってるのは部活とは呼ばねえ。華々しい実績のある俺のサッカー部こそ我が校の部活としてふさわしい。どうせお前ら隠れてゲームしてるだろ。そんなに遊んでたいなら学校やめて勝手にやってろ!」


 パソコン部の男子はそれきり口を閉ざした。そばで聞いていた誰もが……俺も絶句していた。暴論ですらない。こんなの九頭が手前の機嫌で喋っているだけに過ぎない。相変わらずだ。なんでこんなのが教師なんかやってるんだ。


「オラァ! とっくにチャイム鳴ってんだよ。失せろガキども!」


 九頭が再び怒声を張り上げた。

 憤懣やるかたない様子の面々ばかりだが、みんな渋々その場を去ろうとした。朝のホームルームに遅刻確定なのは事実だったからだ。


 流れに沿って俺も踵を返した。どうかあのクズがこちらに気付かないと祈りながら。

 だがどうやら今日の俺は運が悪いらしい。


「おい清浦ァ」


 ぞわぞわとした不快感が込み上げてくる。

 下野が心配そうに俺を見ていた。


「きこえねえのか清浦ァ!」


 流石にこれは無視できない。

 回れ右した俺は愛想笑いで応対した。


「どうも。お久しぶりですね、クズ先生」


「元担任に挨拶もなしか? ずいぶん偉くなったなあ清浦」


「教室に戻らないといけないので」


「けっ。外面のいいガキだ。気に入らねえ」


 ずいっと九頭が顔をよせてきた、ひどい口臭がただよう。


「俺にあんな恥かかせておいて、よく平気で学校来れるな。反省してんのか」


「反省ですか。なんかありましたっけ」


 突然、九頭の腕が伸びてきた。胸ぐらを掴まれる形になる。

 興奮で顔を真っ赤にした九頭が至近距離で捲し立てる。


「てめえ舐めてんのか! あることないこと適当こいて俺に迷惑かけておいて、すっとぼけてんじゃねえぞ!! 土下座して詫びるのが筋だろうがあ!?」


 うーん、惜しい。今の録音しておけばなあ……。


 俺の足を浮かせようと執拗にシャツを引っ張ってくるが、そんな非力でぐらつくようなヤワな体幹はしていない。


「服のびちゃうんですけど」


「貴様……ッ! おい、そこのお前! それよこせ!」


「え? あ!」


 九頭は偶然通りがかった女子剣道部から竹刀を強奪した。

 そのままの勢いで振り回し、先端で鳩尾を突いてきた。人体の急所へダメージが入り、嘔吐感と激痛が襲ってくる。まともに立ってられず膝をついた。


「ぐっ……」


「その腐った性根を叩き直してやらあ!」


 九頭は竹刀を振り上げさらに追撃しようとしている。

 襲いくるだろう衝撃に備え咄嗟に頭を庇う。だがいつまでたって痛みがない。


 おそるおそる目を開けたとき、視界にあったのは綺麗な黒髪だった。


「なんだあオメエは! 邪魔すんなよアマがあ!」


「いいかげんにしなさいよ、アンタ」


 振り下ろされた竹刀は下野が片手で掴んでいた。

 九頭は竹刀を動かそうと両腕でじたばたしていたが、下野がガッチリと握り込んでいるせいでびくともしない。


 力勝負で下野に敵わないと悟ったのか、九頭はあっさりと竹刀から手を離した。だが、心底腹立たしいのだろう。青筋を立てながら吐き捨てた。


「ふん、女相手に大人げなかったな。今回はこれで勘弁しといてやるよ」


 ドスドスと大股で床を鳴らしながら九頭は職員室の方へ消えていった。

 下野が竹刀を放る。慌ててキャッチした剣道部員がそそくさと離れていって、この場に下野と2人きりになった。


「何が勘弁してやるよ。ふざけんな」


 悪態をつきながら下野がこちらに手を差し出してくる。

 無言のまま握り返すと、勢いつけて俺を立たせてくれた。


「お前って本当にカッケー女だな……」


「ふんっ」


 下野は全く嬉しくなさそうに鼻を鳴らした。

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