第25話 再試対策

 GWもあっという間に過ぎ去り5月も末。

 我らが結衣山高校2年1組の各所で悲鳴が上がっていた。


「先日の中間テストを返却する。例年通り、赤点だった教科は来週に再試だからな。しくじったおバカさんはちゃんと勉強しておくように」


 キズナ先生は月曜日なのにやさぐれモードだった。

 テスト期間、忙しいのは教師側も同じらしい。


 結衣山の定期試験は、はっきり言ってしまえばそんなに難しくない。授業中に言ってたことをなんとなく覚えているだけで50点くらいは届くはず。けれどもおバカさんはどこにでもいるもので、毎度必ず再試は行われる。


「で、清浦。お前は再試な」


「うす」


 わかりきっていたことなので驚くことはない。

 解答用紙を眺める。埋めたのは前半だけ。後ろ半分は我ながら惚れ惚れする白紙っぷりだった。


「他の教科は普通なのに、なんでよりによって俺の担当科目で赤になるかなあ。おかげで平均点下がっちゃったじゃんか。国語で再試って滅多にないんだぞ?」


「ちょっと日本語わからなくて」


「帰国子女か。ったく、お前ひとりのために再試テスト作らないといけねえじゃねえか」


「ごめんなさい。迷惑かけてもいいのはキズナ先生だけだったから」


 キズナ先生が、すぅーっと視線をずらした。

 俺の後ろの誰かを注視している。誰を見てるかは知らんけど。


「馴れ合いもほどほどに」


「はーい」


 なんのことかは分からんけど。


 国語以外はオール平均点越えの答案を片手に回れ右。

 自席に戻る前に俺は親友2号に声をかけた。


「どうよ。ムラサキ。今回の調子は」


 気だるそうに顔をあげたムラサキは5枚の答案用紙を並び替えた。

 そしてその全てを机に広げる。


 英語 28

 数学 29

 理科 30

 社会 31

 国語 32


「ストレート」


「ほざけ、ばーか」


 30点未満で赤点だ。今回は英語と数学が引っかかったか。

 これでもマシになった方だ。去年のいまごろは五教科全部引っかかって親友連合総出でムラサキに勉強を叩き込んでいた。


「なんとかして」


「じゃあ、いつも通り勉強会だな」


「……ん」


 ムラサキの頭を撫でる。

 再試でさらに落ちると補習三昧、なんて言われているがこの1年ギリギリのところで踏みとどまってきたムラサキだ。今回も油断しなきゃなんとかなるだろう。


「あ、そういや、下野。テストどうだった?」


 なにげなく、後ろの席だから、そう聞いただけだった。


「へっ!? ぇあッ、なにごとぞ!?」


「………」


 意味わからんリアクションだった。

 いや、意味わからんっていうか、バレバレというか……。


「おい、下野。テストの点見せろ」


「や、やめてよ。プライバシーの侵害でしょ。個人情報保護法を発動するわ」


「駄々こねるなら、ここで大声出す。下野うらかは全教科赤点だって」


「ぜ、全教科じゃないし! バカにしないでくれる!?」


「ってことは、いくつかそうなんだな」


「うくっ……」


 机の下で答案用紙がくしゃっと音を立てた。

 相当見せるのが嫌らしい。俺は下野に目線を合わせて語りかける。


「な、俺たち仲間だろ。大丈夫だって。ムラサキなんか一時期赤点だらけだったから。ムラサキっていうか、マッカだな」


「わ、笑わない?」


「そんなに愉快な点数だった?」


「そうじゃないけど」


 ようやく下野はテスト結果を披露してくれた。


「どれどれ…………ん?」


 オーバーに笑ってやる準備をしていた俺は、その数字の羅列に絶句した。


 国語53

 数学10

 英語12

 理科6

 社会22



「マッカだなあ!?」


 俺は去年の悪夢を思い出した。


「よくこんな成績で黙り込んでたな!? 自虐に走るか助けを求めろよ! 何も言わずに沈んでいくタイプか!?」


「だ、だから知られたくなかったの! 絶対バカにされるし……」


「お前ここに来たとき言ってたじゃんか。結衣山が嫌すぎて解答用紙全部白紙で出してやったって! 本当は埋めなかったんじゃなくて埋められなかっただけじゃねえの!?」


「う、ぐぐぐっ……!」


 下野が拳を高くかかげる。

 しかしそれが振り下ろされることはなかった。何故なら、それをやると困るのは下野のほうだから。下野は犬歯を剥き出しにしながら、震え声で口にした。


「べ、勉強教えてください……!」


 どうしようもないおバカちゃんを一名追加して。

 俺たちの再試対策が始まる。



「緊急メンテナンス開始じゃあ!」


 勉強会はグランシャリオ結衣山で決行となった。

 横綱食堂は勉強に不向きだし、陽キャハウスはもっと論外だ。ヨウキャのパッパとマッマのおもてなしが止まらないだろうし、どうせゲームする。


 その点、ムラサキハウスは絶好の場所だ。娯楽の類いは一切なく、WI-FIもないから携帯をいじる気にもならない。なんかあんまりいたくないな。


「なんのノリ? おかしくなっちゃったの」


「あと1週間で4教科どうにかしなきゃならんのに、思ったより下野の学力がやばいからおかしくもなるだろ!」


 点数ももちろんひどいが、解答を見れば基礎ですら身についてないのが読み取れる。

 どこから取り掛かればいいだろう。理系にできるだけ時間を割いて、暗記系は直前に全部叩き込む? そもそも下野って地頭はどの程度なんだ。


「教科書睨んでどうしたの」


「下野の勉強プランを練ってる」


「ふっ。プランね」


「あん?」


 なんで鼻で笑われたんだ、俺。

 お前のために悩んでんだぞ。


「なんかキミが頭良い感じのこと言うの面白いね」


「なんだと」


「だって透真くんだって赤あるじゃん。しかも国語で。どうやったら国語で赤点になるの? キズナ先生が言ってたけど学年で1人だけだって。ぷくくく」


「くっ!?」


 テストで赤点を取ったのは俺の意思だ。

 その責任も不名誉も甘んじて受け入れるつもりだった。


 が、この笑顔は腹が立つ。分からせてやりたい。


「お、俺、別に、問題が解けなかったわけじゃねえし……」


「えー、なにそれ。本当は答えがわかってたのに、わざと解答しなかったって言いたいの? そんな酔狂なことする高校生がどこにいるっていうのよ。本当の実力隠してクラスで暗躍~! とかアニメの世界ですか? そんな人がいたら痛々しいわよ」


「………」


 決めた。再試は100点取る。満点の答案突き付けて黙らせてやる。それしか方法はない。


「ねえ、トウマ。まだ?」


 お行儀よく座ったムラサキが俺を呼ぶ。しかもちゃんと勉強道具をそろえて。

 俺はひそかに衝撃を受けた。いつもウダウダしてるくせに。なんで背筋伸ばしてんだよ。キレイだな。


「よし。ムラサキのやる気が消える前に始めるぞ。数学からでいいか」


 下野もようやく姿勢を正す。しおらしく教科書を取り出した。


 そう。俺は焦っている。

 ムラサキを万全な状態で送り出すのに、いつも一週間丸々かかる。今回はそこに下野が入ってくる。しかも4教科。断言する。俺のキャパを超えてる。


 補習だけは勘弁願いたい。

 単純に2人と遊べなくなるのも困るが、きっと補習の担当教師はあいつだ。あんなやつに俺の親友たちを関わらせたくない。


「下野。さっそく間違ってる」


「え、うそ」


 授業二日目くらいに教わった公式がまるで定着してない。

 俺は絶望的な気分になった。下野は素晴らしい運動能力と引き換えに頭は残念な感じになっているらしい……。


「ここの解き方はこう」


「なんでそうなるの。途中式なくない?」


「いや、さすがにこの程度は省略でいいじゃん……」


 下野と額を突き合わせるようにして数学と格闘する。

 そんな下野でも、教えていくうちに段々と呑み込みが良くなって————ということはなかった。本当に勉強が嫌いで苦手らしい。何度説明しても理解してくれないし、10分前に教えたことがすぐに抜け落ちる。


「うぅ……」


 しまいには涙目になっていた。


「泣くなよ」


「もういやだ。勉強なんか何の役に立つっていうのよ」


「うわ、面倒くさいこと言い始めた」


「こんな数式、大人になったら使わないし。英語も話さないし。生物の分類なんて絶対できなくていいでしょ」


「社会は?」


「…………もう私は社会に出ない」


 逆張りですごいこと言い出した。

 こうしてニートが生まれていくんだな。俺は無力だ。


 ムラサキに教えるときもここまで苦労しないだけどな……。


「あ、やべ」


 全然ムラサキの相手できてねえ。

 きっと捗ってないはずだ。俺はいったん下野から離れてムラサキのノートをのぞきこんだ。


「あれ?」


「なんだ」


 見間違いだろうか。

 ムラサキがちゃんと問題を解いている。きれいな数式と答えを添えて。解答と見比べてみる。全て合っていた。


「あれ? あれれ?」


「さっきから耳元でうっさい。くすぐったい」


 おっかしいぞぉ~?

 俺の親友がこんなに勉強できるわけがない。


 でも、こっそり答えを盗み見る性格でもないし。潔く諦めるタイプのはずだ。


「うらか」


 混乱する俺の横で、ムラサキは静かにつぶやいた。


「孤高でクールなミステリアス美少女になりたいんでしょ」


「うぐっ!? ごめん、さきな。そのフレーズ誰からきいたの……?」


「トウマ」


「キミってやつはー!!」


 すまんな。

 面白かったんで、つい。


「あたしもバカだから、クールとかミステリアスとか意味わかんねえけど」


「さ、さきな。そこイジらないでもらってもいい? なんだか胸が苦しくて」


「勉強はできた方がいい」


「そうは言うけどさ……」


「頭の足りない女は、悪い男にひっかかる」


 なんでもないようにムラサキは言う。

 でも、俺も下野も思わず真顔になってしまった。ムラサキの言葉はあまりにも実感がこもっていたから。


「良い女に見られたいなら————」


 ムラサキはそこで言葉を切る。

 俺たちの反応をみて、気が変わったみたいだ。


「まあ、母親からの受け売りだ。忘れろ」


 勝手に締めくくる。そんでもって、さっきまでと同様に1人で勉強を再開する。しかもちゃんと解けてて……なんか茶化したくなるな。


「お前の口からそんなセリフが出てくるとはな。だったら最初から赤点取るなって話ではあるけど」


「トウマ」


 俺の軽口を一切無視して、ムラサキがペンを回す。


「あたし、ひとりで出来そう。うらかを見てやって」


 遠回しな拒絶に、俺は色々な意味でショックを受けた。


 いつもそっちから構ってほしそうにするくせに。

 気遣ったみたいな言い回しで遠ざけられたことが悔しい。


「けっ! すぐ俺に泣きついてくるのに1万賭けるわ!」


「1人でやってろ」


 最後までノリを合わせてくれないムラサキに物寂しさを感じつつ、無理やり下野に向き直る。見るべき方向はひとつでいい。


「やるぞ、下野」


「ええ! さきなの言葉で目が覚めたわ。かかってこい!」


 威勢が良かった下野だが、わずか数分後には半泣きになっていた。



「ぜ、全回避しました~」


 へろへろの下野が再試結果を報告してきた。

 全部30点ギリギリだった。


「そうか……よくやったな、本当に……」


 もう二度とコイツの勉強はみたくねえ。

 再試までの1週間、食う寝る時間以外の全部を下野に捧げたのにギリギリの点数かよ。


 ムラサキって優秀な生徒だったんだと、つくづく思い知らされた。


 ちなみに俺は狙い通り100点で国語の再試を突破した。その答案も手元に用意している、がもうそれを下野に自慢する気も失せた。もうそんな元気残ってない。虚しいだけだ。


「帰る。ゆっくり寝たい……」


「おう。じゃあな……」


 言葉少なに下野と別れる。

 俺が1人きりになったタイミングを見計らって、2つの影が迫ってきた。


「平気か。キヨ」


『お疲れ様。キヨくん』


 オヤカタとヨウキャに労われる。

 だが、それはこちらのセリフでもある。


「いや、2人の方こそ。色々と助かった」


 下野への指導だが、俺ひとりきりだったら正気を保ってなかっただろう。

 頭と体が疲れ切ったときに差し入れでもらったオヤカタのおにぎりはマジで美味かったし、ヨウキャの図解イラスト付きノートも大いに役立ってくれた。


「すまんね。埋め合わせしたいんだけど、ちょっと野暮用があってさ」


 先んじてそう言うと親友2人が複雑そうな顔で見つめてきた。


「俺たちへの礼はいい」


『それよりキヨ君にしかできない頼み事があって』


 え。俺にしかできないってなんだよ。

 身構えた俺を前に、ヨウキャはペンを走らせる。何故かその手がガタガタ震えている。


『ムラサキさんの機嫌が悪くて』


「ああ、ヨウキャ。そこまででいい」


 なんだ、そのことか。


「これから屋上に行くつもりだったよ」



「ムラサキ。頼むからもう少し追いかけやすい場所にいてくれねえかな」


「………」


 無視である。

 毎度我が身を危険に晒す俺を案じてほしい。あといくらお前でも危ないからやめてほしい。


「今回は悪かった。あんまりお前を手伝えなくて。下野があんなにバカとは予想外だった」


 補習リストにムラサキの名前はなかった。

 だからムラサキが再試を突破したのはわかっている。それもほとんど、っていうか全く俺の手を借りることなく……。


「すごいな。よく頑張ったじゃん」


 手をのばし、ムラサキの髪を梳く。

 よく手入れされていて触り心地がいい。あとなんか甘い香りがする。


「……ねえ」


 1分くらい頭を好き勝手撫でまわしていたら、ムラサキがたまらず声をあげた。


「いつまで触ってんだ」


「やめどきがわからなくて」


「昔からたまにやるよね。なんで」


「なんでって、そりゃあ……」


 だって満更でもなさそうに見えるから。

 って、そのまま言うと鉄拳が飛んできそう。


「きれいだから、とか?」


「………」


「なんちゃって————うおっ」


 バシッと手を払いのけられる。

 ものすごい勢いで距離を取られた。


「え。なんでそんな遠くに」


「近づくな」


「お、おう。じゃあ俺は失礼して————」


「勝手にどっか行くな」


 どうしろと?


 身動きできないのでアホみたいに突っ立ってるしかない。

 でも無言を続けるのもマジでアホっぽいので対話。


「俺がいなくても、もう大丈夫そうだな」


「なにが」


「勉強。1人でも出来るようになったみたいだから」


「別にあれくらい前から出来たけど」


「………」


 俺は驚かなかった。

 強がりや詭弁じゃないのはこの1週間近くで見せてもらったから。

 あれは学習する習慣が身に着いた人間の過ごし方だった。


「つまり。本当は解けるくせにバカのふりしてたと?」


「こんなの適当に教科書ながめてるだけでも赤点くらいなんとかなるだろ。できねえ奴はよっぽどのバカだ」


 やめろ! 下野の悪口はそこまでだ! 可哀想だろ!

 いくらバカでもひとりの人間なんだよ! 尊重しなきゃ!


「なんでそんな酔狂なことしたんだよ」


「トウマがわざと赤点取ってくるから」


「…………いや、あの。俺はアレだから」


「どれ」


「テスト範囲間違えただけだ」


「毎回見間違えるなら眼科行け」


 もっともすぎる。


 でも俺が赤点取るのはムラサキがマッカだからで————いやムラサキは俺が赤点取るからわざとマッカになってるんだよな。頭こんがらがってきたわ。どっちが色でどっちが名前だよ。


「頭痛くなってきた」


「なおさら病院行け」


「結局ムラサキがわざとバカなふりしてた理由が納得いかないままだし」


「朝から晩までトウマが付きっきりになる口実が欲しいから」


「………」


「うらかが羨ましかった」


「………」


「なんて言ったらどうする」


「超可愛いなって思う」


「え」


 俺のクソ適当な軽口にムラサキが反応した。


「マジ?」


「………」


「おい、黙るな。おーい。こら」


 ムラサキの小さい身体が跳び回る。

 うざったい猛攻に俺は黙秘を貫いた。


 ムラサキとの関係性が決定的に変わっちまうような気がしたから。

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