第24話 ほっぺにチュー?

「た、食べ過ぎたかしら……」


 重くなったお腹をさすりながら私は食堂の外で休んでいた。

 餃子の味もさることながら、やはり運動(労働)のあとのご飯はおいしい。一日中食べていなかったら空腹も良いスパイスになった。


 満腹になったから眠たくなってくる。けど寝るわけにはいかない。ちゃんと家まで帰らないと。外泊するなんて言ったら、きっとお母さんもお父さんもうるさい。


 ちょっとだけ透真くんたちが羨ましい。みんなはそのまま泊っていくみたいだから。さきなは我が物顔で客用のソファを占領して眠りこけている。私には真似できない……。


「よっ」


「わっ」


 いつの間にか透真くんが真横にいた。

 洗い物から戻ってきたらしい。あと片付けをしてもらったのはありがたいけど……。


 私はそっと彼から距離を取った。


「ん?」


 が、透真くんはこっちに詰めてくる。


「ち、近づかないでくれる?」


「なんで」


「餃子いっぱい食べちゃったから、その……」


「???」


 全然伝わっていないみたいだった。

 デリカシーのない。これだから透真くんは。


「餃子くさい女だって思われたくないの!」


「???」


「いやこれでも『?』が浮かぶのはおかしくない!?」


「今更においとか気にする間柄でもないでしょ。ドッジボールのときだって汗くさ————ぐぼあっ!?」


 失礼なことを言いかけたので鉄拳。

 え、っていうかやだ。汗くさい女だと思われてたの?


「………」


 おらっ。


「おい! なんで改めて一回強めに殴った!?」


「べつに。あ、ノドかわいた。飲み物買ってきて」


「暴君!? ムラサキひとりで間に合ってるけど!?」


 ブツブツ文句言ってたくせに、透真くんはどっかへ突っ走っていった。どこかの自販機を探してくる気だろう。普段さきなに尻に敷かれている姿が目に浮かんできて、なんだか申し訳なくなってきた。ごめんよ……あとで謝るから。


 夜風が気持ちいい。

 少し目を閉じると、なにかわからない生き物の鳴き声がきこえてくる。結衣山に来たばかりのころはやかましかったけど、慣れてくればこれはこれで落ち着くかもしれない。


 もう、1か月か。早いなあ……。



 どれくらいぼーっとしてただろう。



 背後に人の気配がした。

 もう戻ってきたのか。

 振り返ろうとすると、目線の高さに飲み物を掲げられた。


「おっ?」


 私は自分のテンションが上がるのを感じた。


「いちご牛乳じゃん! うっわ、透真くんにしては気が利くじゃんかよ~、お礼にほっぺにチューしてあげ、よう、か……?」


 口からついて出た軽口が萎んでいく。

 そこにいたのはオヤカタくんだった。

 しばし、お互いに固まったままだった。ようやく私はかすれ声をしぼり出した。


「あ、あ、オヤカタくん……お疲れ様。締め作業終わった?」


「終わった。過去最高の売り上げだ」


「そ、そう。それは良かった」


「ああ」


「………」


「いちご牛乳」


「えっ」


「いらないのか」


「あ、あ、いただきます……」


 ありがたく受け取る。

 しかし私はそのまま再び固まってしまった。


「飲まないのか」


「あ、あ、いただきます……」


 ストローを挿す。

 大好きなはずのいちご牛乳に味を感じない。

 もったいないけど、一気に全部飲み干してしまった。


「ごちそうさまでした」


「隣、いいか」


「どうぞどうぞ」


 彼が座れるようにスペースを作る。

 のそのそと、オヤカタくんは緩慢な動きで腰を下ろした。厨房に立ったときの彼は、その巨躯からは信じられないくらい俊敏だったのに。


「……えっと」


 気まずさと羞恥から、頬が熱くなっているのがわかった。

 私さっきなんて言った?


「キヨのほっぺにチューするのか」


「ししし、しないよ!? 今のは冗談! 冗談だからね!?」


「わかってる」


「本当にわかってる!?」


「からかっただけだ」


 そういえばオヤカタくんと二人きりで話すの初めてだな。

 いや、オヤカタくんに限らない。ヨウキャ君とも、さきなとだって二人きりで話したことがない。いつも必ず透真くんがあいだに入ってた。


 だからって言いたくはないけど。少し緊張する。

 オヤカタくんは口数が多くないから、ここは私が話題を提供してあげるべきだろう。なにがいいかな……。


「悪かった」


「え?」


 とか考えてたら、オヤカタ君が深々と頭を下げてきた。


「無理に働いてもらった。キヨとの喧嘩、聞こえてた」


「え。いやいや。いやいやいや!?」


 やばい。

 お昼過ぎのアレのことか。


「あれは本気じゃなくて! ノリというかプロレスというか? 別にお仕事に不満があったわけじゃないんだよ!? だ、だから全然気にしなくていいっていうか……!」


「そうか。じゃれ合いか」


「そんな可愛くまとめられるとアレだけど!」


 そう見られてるとしたら小恥ずかしい。


 でも透真くんにはあんな感じになってしまうのだ。男子相手に大声で怒鳴るなんて今まで出来なかったのに。ううん、男子とかに限らずかも。前の学校にも友達はいたけど、本音をさらけ出して話したことって、あんまりなかった。


「いつも……」


「む」


「いつもこんな風に忙しいの? 大変でしょ」


 私の言葉にオヤカタくんは考え込む。

 仏頂面のままだから怒ったように見えるけど、本当はそうじゃないってことを私はこの一か月で学んでいた。レスポンスが速くないことも。だから気長に待っていられる。


「忙しいほうが、いい」


 全然ちがう価値観だ。

 でも当たり前か。個人のお店なんだから。

 同じ時給なら暇な方が嬉しい、なんて言ってる場合じゃないんだ。


「いまのうちに、渡しておきたい」


「えっ」


「横綱食堂から、お前に」


 差し出された封筒。横綱食堂の看板マークが印字されている。

 何が入っているのか、見ただけでわかる。


 私は首を振った。


「受け取らないよ。ちょっと手伝っただけなんだから」


「労働には対価。タダ働きにはさせない」


 いつになく真剣な表情をする彼を前にすると、へたな遠慮こそ失礼に思えてきた。

 ま、まあ、それに? 頑張ったのは事実だし? 初めてのバイトにしては上出来だったんじゃないかな。


「じゃあ、うん。頂戴します」


 丁寧に受け取る。

 この封筒は捨てずにとっておこうと思う。16年生きて、初めてお金を稼いだ思い出に。


「あれ?」


 なんだろう。感触に違和感がある。

 紙幣が複数枚入っているような。

 意地汚いのは承知で、私はその場で中身を確かめた。


 日本銀行券での最高額面紙幣。それが二枚入っていた。

 バイト経験のない私でも、それが異常な額だとわかる。


「ホワイトなアルバイト?」


「キヨの分も、入ってる。下野にって」


「え」


 軽いはずの封筒が、急に重くなった。


「どういうこと」


「詫びだと」


 詫び? なんだろう。謝ってもらうようなことあったっけ。


「無理に巻き込んだこと。仕事中に怒鳴ったこと。それとなくフォローしてくれと」


「全部言うじゃん」


「こういうの、苦手。知らないフリしてくれ」


 私は茫然と封筒を見つめる。


 そんなこと言われても。っていうか詫びってなんだし。

 別に全然怒ってないし、なんだかんだ楽しかったのに。なんでこんな他人行儀なことするんだよ。


「透真くんっていつもこう?」


「?」


「なんていったら、いいのかな……」


 うまくまとまらない。


 彼のことは単なるお調子者だと思っていた。実際そういう部分を見ることが多いから。

 でも、たまにこういう変な気遣い方をしてくる。カラオケや草むしりのときだって。なんか、自分が泥を被ればいいやって考え方。本人はたぶん自覚してないだろうけど。


「オヤカタ君は、どうして透真くんと友達なの」


 オヤカタくんはまた黙り込んだ。

 さっきよりもずっと長い時間、険しい顔で考え込んでいる。

 理由はいっぱいあるけどそれをどう話していいか分からない。そんな葛藤がありありと伝わってくる。


「難しい」


「ゆっくり聞くから。なんでも話して」


 そう促してあげると、ようやくオヤカタくんはぽつぽつと話を始めた。


「オレは人が苦手だ。できる限り口もききたくない」


「……うん。ずっと料理してたいもんね」


「いや。昔は料理も嫌いだった。オヤジに無理やりやらされて」


「そうなのっ!?」


 意外な話だ。

 嬉々として料理をするオヤカタくんが、昔はそうじゃなかったなんて。


「爺さんからオヤジに代替わりしたばかりで、客が寄り付かなかった時期だ。あんなに賑やかだった場所がいきなり寂しくなって……この食堂はなくなるって子供心に直感した」


「………」


「そこに現れたのがキヨだった」


「透真くんが?」


「今でも覚えてる。夕飯どきに1人でやってきて『ここで一番美味いご飯を食わせてくれ』って。でも、ちょうど親父は留守だった。代わりに俺が作って出した」


「そ、そしたら?」


「『まずくはないけどおいしくもない』と。そのまま帰っていった」


 う、うわ、嫌なガキだわ。

 私がその場にいたら頬を叩いてやるところだ。


「でも次の日の同じ時間、食堂には大勢の客がきてた」


「え。どうして」


「キヨの仕業だ」


 オヤカタくんが笑った。穏やかな表情だった。

 どうやら透真くんが同級生や知り合いに横綱食堂のポジティブキャンペーンをしたらしい。それだけで集客できるって、この土地柄がよく表れている気がする。


「じゃあそれがきっかけで仲良くなったの?」


「なってない。店が繁盛したのもその一瞬だけだった」


「え、えっと……」


「でも、キヨはあれから毎日店にくるようになった」


 暑い日も寒い日も。

 大雨だろうが大雪だろうが。

 閑古鳥が鳴く日も、千客万来の日も。


 透真くんはやってきたのだと、オヤカタくんは言う。


「キヨがいるのが当たり前になった」


「………」


「だから、あいつとは友達だ」


「そっか」


 私は頷いて、そのまま感想を口にした。


「なんか透真くんがすごい良い人に思えてくる」


「下野も、キヨのそういう部分を見てきたはずだ」


「………」


 うっわ、答えづれえ……。


「そろそろ、キヨのところへ」


「へ?」


「たぶん、下野を送っていくつもりだ」


 オヤカタくんの視線につられ、そっちを見る。

 透真くんは少し離れたところで自転車にまたがっていた。

 ずっと戻ってこないと思ったら、あんなところにいたのか。


「ありがとう。オヤカタくん」


「礼を言うのはオレだ」


「ううん。私の方だよ。ご飯、美味しかった。いつもだけどね!」


「………」


 オヤカタくんは言葉を返さない。

 でも、少しだけ、ぎこちない笑みを浮かべながら。

 慣れない動きで手を振っていた。

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