第22話 サイクリング

 5月2日。GW前日。

 下野がこんな問いを投げてきた。


「キミたちってさ、GWはなにやってるの」


「どうした急に」


 下野とムラサキが和解してから(ムラサキが一方的に毛嫌いしてただけ)、昼食は5人で取るようになった。すっかり大所帯になった。下野と2人きりで外階段に座り込んでいた頃が懐かしい。


 でも俺は毎日が楽しいっす。


 で、先の質問に俺以外が答えた。


「働く」

『創る』

「寝る」


 三者三様の回答。

 下野は深く頷いた。


「仕事をしている人って尊敬する。趣味に打ち込む人も。時には体を休めるのだって大切。三人とも充実しそうね」


「俺にも聞いてこーい!」


 かまってほしくて声を張り上げる。

 下野はうっとうしそうな顔で振り向いた。


「ちゃんと聞いてるでしょ。で、透真くんは」


「巻き込む」


「巻き込む……?」


「どいつもこいつもすぐお一人様になろうとするから。俺がいないと誰とも会わない大型連休になっちまうんだよ」


 まあ1人の時間に没頭するのも悪くないんだけど。

 こいつらの場合はそればかりになるからダメだ。


「ふーん。なにするの」


「ま、いつも通りかね。適当にメシ食って遊んでダラダラ過ごす。遠出の計画立てようとすると何故かブーイングだから。このインドア人たちめ」


「ふーん。ちなみに私はアウトドア派だけど」


「お、おう。知ってるけど」


 なんか含みのある態度だな。下野のやつ。

 何か言いたげである。聞いた方がいいのか。


「下野はどうするつもりなんだ」


「へっ?」


「GWだよ。どこか行く予定があるのか」


 一瞬変な沈黙があった。

 しかも押し黙ったのは下野だけではなく。それまでポツポツと会話があった幼馴染組も手が止まり、不思議そうな顔で俺を見てきた。


 え、なに。俺、変なこと言ったか。


「と、東京とか帰ったりしないのか」


「いえ、それは流石に。往復するだけで馬鹿にならない額になるから。泊まったり遊んだりしたら絶対10万は飛ばす」


「あー、遠いもんな」


「そうよ」


「………」


「………」


 だからなんなんだよ、この空気。

 ひざを突かれた。隣に座っていたヨウキャだ。タブレットに書かれた文言が目に飛び込んでくる。


『なんで下野さんを誘ってあげないの?』


 ハッとした。


 4人で過ごすのが長かったせいで勝手にそう思い込んでいた。

 そうだよ。誘ったら下野も来てくれるんだよ。なんで俺はそうしない?


「わ、私は帰るから。皆で楽しんで。それじゃ」


「あっ」


 止めるまもなく、下野は出ていってしまった。

 俺はすぐにあとを追えなかった。手のひらには汗がにじんでいた。


 もしかして俺はびびっていたのだろうか。

 断られたらどうしようと。無意識にそんな想像をしていたのかもしれない。


「おい、トウマ。どうする気」


「決まってるじゃん」


 宣言通り、巻き込んでやる。



 5月3日、GW初日。


「もしもし下野? あ————しもしも?」


『ぶっ殺すわよ。バブル世代か。知らんけど』


 何十回もコールをした末に、ようやく繋がった。


「なんか寝起きっぽい声だな」


『実際そうだし』


 ふにゃふにゃと、呂律の回らない口調で答える。


「おいおいもう11時だぞ」


『ねえ、本当になに。切っていいかしら。キミ、みんなと遊ぶんでしょ。私には関係ないけど。好きに楽しんでくればいいじゃない。私はひとりだけど』


 頭がまだ起きてないからか、だいぶ素直な感情が見え隠れしている。

 不貞腐れるとけっこう可愛くなるんだな。


「今お前んちの前にいるんだよな」


『…………は?』


 電話口でバタバタと音が反響する。

 上階の窓が勢いよく開かれた。下野が顔をのぞかせる。


「目つき、わっる!」


 人を殺しそうな目だ。

 寝起きの女の子ってもっと可愛いイメージあったわ。下野と出会ってからというもの、女の子の幻想がどんどん壊れていく。


「こわっ、なんでいるの」


「まあまあ。そう喜ぶな。はしゃぐなって」


「マジで怖いんだって。え、家の場所なんて教えてないよね」


「最近このマンションに誰かが引っ越してきたの、ウワサになってたから。マジでいるとは思ってなかったけど」


「田舎の情報網……」


 結衣山の住人は一軒家に住んでいることがほとんどだ。

 だから、いわゆるマンションタイプの住居は俺には馴染みが薄い。結衣山にしては造りが新しく、できてから数年しか経過してないはずだ。


「てか、めっちゃ良いトコだね! 社員寮なんだっけ? オートロックとか初めて見た。これどうやって入るの?」


「ごめんなさい、あんまりそこで騒がないでくれる? 恥ずかしいから。すぐ行くから口塞いでいい子にしてて」


「りょ」


 すぐ行くと言われたが、それからじっくり三十分くらい待たされた。

 なにやってんだと思ったが、そういえば下野は女の子だった。ムラサキなんて三十秒で出てくるから感覚バグったな。


 ようやく自動ドアが開く。

 パーカーにショートパンツというラフな格好。上下とも真っ黒なのにやぼったく見えないのはスタイルが良いおかげか? すらりと伸びた足が健康的でまぶしい。


「昼ごはん食べてないよな」


「朝もとってない」


「よし、メシ食べにいくぞ!」


「どこに」


「横綱食堂だ」


「どこだし」


「自転車ある? なければ後ろに乗せてもいいけど」


「遠慮する。自分のとってくる」


 あっさり二人乗りを拒絶されたけど、めげない。落ち込まない。

 ちょっと待たされ、自転車にまたがった下野が再登場。


「んじゃ、いくぞ」


 俺が漕ぎ始めると下野もそれについてくる。

 存外、素直な性格だ。


「ねえ。結局その横綱食堂ってなんなの」


「オヤカタの実家」


「……もしかしてオヤカタくんのあだ名の由来って」


「ああ。イケてるだろ。俺が考えた」


「そのまますぎ」


「なにおうー?」


「もしかして、みんなにも会う? だったらもっとちゃんとした服にしておけばよかった」


「俺にもそれくらい気を遣えー!」


「透真くんにはこれで充分でしょ」


 はい。満足です。足だけでイケます。

 ところで、軽口を叩きつつも結構遠慮ないスピードで走らせているのだが、下野は余裕な顔でついてきている。無理している様子もない。流石だ。


「お前やっぱり運動部向いてるわ」


「その話続けたら帰るから」


 そこからしばらく会話が途切れた。

 少し走っただけで住宅街を抜ける。周りにあるのは畑ばかり、遠くには山々が立ち並ぶ。かれこれ十分くらい漕いでいるが、人っ子ひとり遭遇しない。


「ほんと、なんにもないところね。結衣山は」


 下野が呟いた。だけど嫌味じゃない。見たままを言葉にした感じ。

 俺だって同じことを思う。右も左も畑しかない。

 ずっと結衣山に住んでいた身としては当たり前の光景だ。でも下野にとってはそうじゃない。


「東京は何が見える?」


「別に。東京でサイクリングしようとは思わない。どこ走っても人、車、建物」


「危ないし、息苦しそう」


「私にとってはそれが普通。だから電車移動ばっかり」


「満員電車ってやつか。あれ本当に体が押し潰されたり浮いたりするのか」


「さあ」


「さあて」


「お父さんは毎日そうだって嘆いていたかも。興味ないけど」


 可哀そうな親父さんだ。

 東京といえど全ての電車が満員になるわけではないらしい。都心から離れる下りなら比較的座りやすいのだと。説明されたところでピンとはこない。


 結山の電車なんて三十分おきにしか来ないし、利用者もそんなにいないからいつだってガラガラだ。そのうち廃線になるんじゃないかと噂されていて、あながち遠くない未来にその時はくるはずだ。


 勝手に気落ちしていると、下野のはしゃいだ声がきこえた。


「あ、海!」


 器用にハンドル操作をしながら左手で指差す。

 てっぺんまで昇った太陽に照らされ、海が煌めいている。穏やかな波のうねりすら見えた。鳶やカラスが飛び交っているところも。


「危ないから前向きなって」


 言いながら、俺も脇見運転になっていた。

 海を見つめる下野の横顔から目が離せない。危ないって自覚があるのにそれでも見惚れてしまう。


「うおっ!?」


 突如タイヤが飛び上がった。段差につまずいたか、小石を踏んづけたのだろう。

 体勢を崩しそうになり、慌ててバランスを取る。その様が滑稽に映ったのだろう。下野がケラケラと笑っていた。


「前見てないと危ないよ?」


 幼い子どもを注意するみたいな声音。

 気恥ずかしさが込み上げてくる。自分だって余所見してたくせに、なんて言い返す気にもなれなかった。


「夏になったら行ってみたいね。海」


 胸が高鳴った。


 下野は思いつきで口にしただけかもしれない。

 でも俺には、俺たち5人が海ではしゃいでいる光景が見えた。


 そうか。

 秋も冬も、その次の春だって。下野はこの結衣山にいるのだ。

 昨日まではその実感がなかった。でも一度自覚してみると、それはすごく————


「ああ。楽しみだな」



 二十分ほどで目的地についた。

 予定より早くついちまった。見知らぬ土地だろうに、下野がスイスイと俺についてきたせいだ。


「ねえ。この美少女をランチに誘いたいがためにこんなに走らせたの。君モテないでしょ」


「うるせえ。あと自分で美少女とか言うな」


「意外と大きなところね。普通のファミレスくらい広い」


 横綱食堂はオヤカタの爺ちゃんの代から続く店だ。

 ラーメンやチャーハンなどメインで提供しているのは中華だが、老若男女で客層のブレは少なく地元民から愛された食堂だ。食べログで紹介されていれば高評価は固いだろう。


「ん? あれってヨウキャくんじゃない?」


「ああ。そうだな」


 横綱食堂の前でおろおろしているメガネ男子を見つけた。

 ヨウキャは俺たちを見つけると悲壮な表情で駆け寄ってくる。


「あっ、あっ、あっ…………!」


 手をあたふたさせ、ヨウキャは何かを必死に訴えていた。ジェスチャーなのか下手なダンスなのか区別がつかない。


「通訳しなさいよ親友さん」


「なに言ってるかわかんねえよ。はっきり喋れやヨウキャ」


「ええっ!?」


 今ので何を読み取ればいいんだ。

 ヨウキャ検定1級の俺にもわからない。ただ、何かトラブルが起きたのはわかった。

 横綱食堂の扉が開く。現れたのはムラサキだった。


「なにがあった?」


「トウマ……」


 ムラサキは形のよい眉を寄せた。

 こいつにしては珍しく歯切れが悪い。


「オヤカタの親父さんが腰を痛めた」


「おん?」


「おばさんが付き添いで病院に連れていった」


「おお」


「ちなみに横綱食堂の開店時間は12時」


 スマホを見る。あと10分しかない。

 駐車場には客人のものらしき車が並び始めている。


「このままだとオヤカタのワンオペ」


「おいおい死ぬわあいつ」

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