第21話 草むしり
「なーんで呼び出されたか、わかってるよな。清浦」
「ついカッとなって。今は反省してます。キズナ先生」
「まだ何も言ってないぞ」
合コン騒動の翌日。
放課後になった瞬間、俺は生徒指導室へ連行されていた。
キャラづくりに余念にない我らが担任だが、今は疲れ切った顔をしている。よって本日はシラフのキズナ先生をお届けする。
「お前、他校の生徒と揉めたな?」
「成り行きで。電話でもかかってきましたか?」
「ああ。昨日、休日出勤させられてた俺にな。『清浦ってやつに殴られた! 訴えるぞ!』って」
俺はキズナ先生に同情した。
休日返上で出勤した挙句それは可哀想が過ぎる。
「名乗らずに電話を切られたものだからイタズラ電話かもと思ったが、念のため結衣山周辺の高校を総当たりしたら、今日になってそれが隣町の工業学校のY君だとわかった」
「え、こわ」
「なにがだ」
「なんでそんなすぐ分かるんですか」
「電話の声がかなり若くてお前らと同年代だと推察した。清浦の名前を出してきたってことは、少なくとも本人とは接点がある。この休日にお前が他校の人間と関わるようなイベント——そこまで考えてピンとくるものがあった」
キズナ先生があくびを噛み殺す。
「下野さんが合コンをするとか。そんな話をしていたな、と」
「え、やっぱりこわ」
「なにがだ」
「生徒の会話を盗み聞きにしてたんですか」
「たまたまだ。ただ日頃から生徒同士の会話には聞き耳を立てている」
「やっぱり盗み聞きじゃねえか」
おちおちヘタな会話ができない。
今度から注意しておこう。
「それで?」
「そのY君————正確には他にもいるから3人組だが。どうも他校の生徒……とくに女子生徒とのトラブルが後を絶たないらしい。彼の名前を出した途端、あちらの先生方は平謝りだった」
うっわ、Y君ほかでもやらかしてたのか。
ムラサキがきいてたらブチギレてるだろうな。
「ただ俺としては波風立てるつもりはない。Y君くんたちの指導はあちらに任せるべきだし、こっちも自分の生徒の指導がある。よってこの件は内々に処理する。だからうっかり喋るなよ? 校長や教頭に相談しないなんて本来許されないからな」
「ふーん。キズナ先生は悪い先生だね」
「面倒事なんて、回避できるならそれがいい」
と、良くない大人が言う。
それにしても、そうか。お咎めなしか。
停学処分くらいは覚悟していた。春休み明けのムラサキみたいに。ほっとしたが、同時に拍子抜けの気分でもある。しばらく学校休んで遊び放題できると思ったのに。
「じゃあ俺はこれで」
「待てよ。誰が帰っていいなんて言った?」
「えッ。だって問題なんて何も起きてないですよね」
「俺のおかげでな。他の先生がうっかり電話を取らないように一日中気を張ってた俺の苦労を想像してくれ」
ああ、それで疲れ切った顔をしているのか。
ますます可哀想だな、キズナ先生。俺のせいではあるけど。
上げかけた腰をもう一度下ろす。
「個人的にペナルティを課す。第二校舎付近の草むしりだ」
「へいへい。お安い御用で」
「今回丸く収まったのは偶然だ。対応したのが俺じゃなかったら。怪我をした彼らが正式な手続きで責任を問うつもりだったら。お前はどうする気だったんだ。自分だけが罰を受ければそれで済むと考えたか」
「そっすね。学校はそうしたいだろうなと考えてました」
少量の皮肉を添えて答えると、キズナ先生の目の色が変わった。
でもそこに怒りの感情はなくて、俺は先生の意図を測りかねた。こういうとき、怒鳴り散らすかわざとらしく溜息をついてみせる教師がほとんどだったのに。
「御杖村さんを守りたいなら、もっとちゃんとしろ」
まったく予想外な言い分に俺は戸惑った。
頭が真っ白になるのは久しぶりのことだった。
「……なんでそこでムラサキの名前が出てくるんですか」
「今回の件、間違いなく彼女は関わっているはずだ。Y君を殴ったのは清浦、お前じゃない。お前なら揉め事を起こしても暴力って手段は使わない」
「いやいや、先生。俺こう見えて武闘派なんですよ。ピアノと書道を習っていたもので」
「茶化してくれるなよ。割とマジな話なんだから」
「俺だって言ってるでしょ」
話の流れがまずい方向に向かい出している。自然と語気が荒くなった。
「なんでもかんでもムラサキのせいにするのやめてくれないかな。知ったような口をきかれるのもムカつくし。担任になって一か月でしょ。それで俺やムラサキの何がわかるの」
「わかることもあるよ」
「なにをだよ」
「春休み。小学生によるいじめを目撃した御杖村さんはその仲裁をした。だが後日、加害者側の保護者から苦情が入る。曰く、おたくの生徒にウチの子供が怒鳴られ泣かされたと」
俺は本気で驚いた。
なぜならその顛末は公にはなっていないからだ。
知っているのは俺とオヤカタとヨウキャの3人だけ。ムラサキにしつこく問い詰めてようやく教えてもらったことだった。
「対応を急いだ校長と一部の教員のせいで、事実調査をまったくせずに処分が下ったことは……悔しかったな」
「なんで、それ、知って」
「調べたらすぐにわかることだった」
そんなわけないだろ。
学校側はなにひとつ把握してないんだぞ。
調べようとしたら個人的に動くしかなくなる。
この先生は……。
「でも、いじめを受けた子とその親御さんは御杖村さんに感謝していたよ。守ってくれたことが嬉しかったって」
「………」
「今回も同じなんだろう? 御杖村さんは下野さんを、もしくは他の誰かの名誉を守ろうとした。手のつけられない問題児なんて言われているけど、どちらかと言えばおとなしい生徒だよ彼女は。これでもう少し授業態度が良かったら、文句ないんだけどなあ」
溜め息まじりの軽口に、俺はうまくリアクションできなかった。
キズナ先生を凝視するのに必死だったから。
一挙手一投足を見逃さないように目を見開く。視線や表情に妙な動きがないか。何か裏があるんじゃないか。その心を見透かそうとした。
でもそんなものが見通せるはずもなく。
かわいた瞳が痛むだけだった。
「そしてお前は」
キズナ先生の言葉に意識が戻される。
「そんな御杖村さんを守りたいんだろ。1年間、そういう姿をずっと見かけていたよ。でも、女の子に喧嘩なんかさせんな。その手はちゃんとお前が握っておけ」
「……はい」
俺は素直に頷いていた。
そうするしかなかった。
「ごめんな、キズナ先生」
「どうしたんだ」
「俺、教師って嫌いだったんだ。17年間、そう思い続けるしかなかったから」
「………」
「今だってそれが覆ったわけじゃない。でもキズナ先生だけは例外だって……それだけ伝えておくよ」
「そうか」
「じゃ、俺行ってくるっすわ!」
生徒指導室のドアノブに手をかける。
やけに重い扉を勢いよく引く。すると慌ただしい悲鳴があがった。
「うわっ、うわわっ、ぐえっ!」
手前側の下野が顔面から倒れ込み、その後ろからムラサキが重なる。
2人の気配は感じていた。というか、うっすらと声が聞こえていた。驚かないキズナ先生の反応を見るに、先生も気付いていたんだろうな。
なにやってんだか。2人そろって。
◇
「どうせならプール掃除にしてほしかったな。青春っぽくてテンション上がるのに」
キズナ先生の言いつけ通り、草むしりに勤しむ。
雑草を引っこ抜き、生え散らかした枝葉を押しのけ、飛んでくる羽虫を叩き落とす。ずっと結衣山育ちの俺だけど、さすがにうんざりする。除草剤と殺虫剤を撒いてやりたい。
第二校舎の裏庭がこんなにひどい有り様だったなんて。いつから放置されていたんだろう。もしかしたらここが結衣山高校になる前からかもしれない。
「でも泥とかゴミまみれのプールもいやだな。小学生のときやったことあるけどさ、ブラシごしに伝わる感触だけで鳥肌立つ。ずっと放置してた鍋を洗うときみたいな」
遠くでカラスが鳴いている。
空耳だろうけど、アホーって聞こえた気がする。
「だぁー、もうっ! 暑い! くさい! かゆい!」
安請け合いしなきゃよかった。
こんなもん業者雇うレベルの仕事だろ。
「さっさと終わらせよっと」
「………」
「………」
俺はブツブツ独り言をつぶやいていたわけではない。
東京からの転校生と10年以上付き合いのある幼馴染も一緒だ。
キズナ先生による説教のあと、下野とムラサキはノコノコと俺についてきて同じように草むしりを始めた。
黙々と、淡々と。一切口をきかずに。
なんでずっと無言なんですかね……? 2人とも怖い顔をしているもんだから怒っているんじゃないかと勘繰ってしまう。文句あるならやらなくていいんですわよ?
「なあ。お前ら帰っていいぞ。あとは俺がやっておくから」
「いいえ、やるわ」
「あたしも」
で、帰らせようとしたときだけ口を開く。
じゃあもう少しなごやかな雰囲気でやろうぜ!? 気が滅入るわ!
って、いつものテンションだったら言えるはず。なのにそれがしっくりこないのは俺も俺で距離感を測りかねているからかもしれない。別に喧嘩したわけでもないのに。
「下野」
「な、な、なによ」
「後輩ちゃん、どうだった?」
ここにきて初めて下野の手が止まった。
俺とムラサキも動きが止まった。じっと下野の言葉を待つ。
「やっぱりショックだったみたい。泣いていたわ」
「そう……」
唯我くんのことは後輩ちゃんにも伝えたそうだ。
避けて通れない問題とはいえ、下野には辛い役回りを押しつけた。
下野が重々しい溜息をついた。
「やっぱり言わないべきだったかしら」
「それはちがう、うらか。あんなクソ男に引っかかったらそれこそ悲惨だろ。あたしらは良いことをした。信じろ」
「え、ええ」
ムラサキが下野をフォローする。
少し前だったら絶対ありえなかったはずだ。下野自身も戸惑っている。座り込んだ姿勢のまま顔を近づけてくる。
「ねえ。なんだか、さきな様が優しいんだけど。どうして?」
「無粋だから言わないでおく。あと様付けはやめなさい」
唯我くんたちに啖呵切ってみせた、あれが原因だろう。
このまま仲良くなってくれ。切実に願うから。
「それから、ありがとう」
「なにが」
「2人が来てくれなかったらどうなってたか分からないから」
「またまたご謙遜を。下野なら3人がかりでも瞬殺だったよ」
「なによ。人がせっかく感謝してるのに……」
プルプルと拳を震わせる下野。
でもお礼を述べた直後だったからか、殴ってはこない。
さらに声を潜めて下野が言う。
「さきなのこと、気にかけてあげて」
「どういう意味?」
「キミだけが呼び出されて𠮟られたこと、気にしていると思うから」
「ムラサキがそう言ってたのか」
「一言も。でも顔見たらわかるでしょ。普通」
当然って顔をして下野は言い切った。
ムラサキの様子を窺う。バッチリ目が合った。すぐ逸らしてくる、なんてことはなく。じっとお互いに視線を送り合う。メンチ切ってる絵面だが、なるほど。確かに。ムラサキは俺と話したがっているらしい。
うわっ、すごい。ムラサキの気持ちを代弁してくる女子なんて今までいなかったから、なんか感動している自分がいる。
「ずっとムラサキの友達でいてくれ。親友からの頼みだ」
「え、ええ。もちろん」
小走りで向かう。ムラサキはスコップで土を掘り返している最中だったが、俺が近づいてくると手が止まった。
顔も髪も土埃にまみれ、着替えたジャージは全身がよごれてしまっている。
俺は懐かしい気分でそれを眺めた。小学生のときは、いつも2人でそんな風になるまで野山を駆けまわったものだ。
「おい。ムラサキ」
「なんだよ」
「今度ピクニックにでも行こうぜ」
「は? なに。急に」
「だってほら、もうすぐGWだし。可愛い親友に構えって言われたし」
頭突きされた。
クリティカルヒット。しかもグリグリと追加攻撃まで。
「あっちいけ。しっし」
虫のごとく扱いを受け、俺はあっさりと退散した。
一部始終を見ていた下野は顔が引きつっていた。
「なんてデリカシーのない……」
「いいんだ。こんなもんで」
「まあ。さきなが嬉しそうだからいいけど」
「どのへんが?」
ムラサキの様子に変化はない、ように見える。
下野がやれやれと肩をすくめた。
「やれやれ。これだから透真くんは。しょうがないね」
「ん? 名前で呼んだ? え?」
「さて、どうでしょう」
悪戯っぽく下野が笑った。
え、そんな表情もできるの。女優じゃん。
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