第20話 透き通る真心で


 聞くに堪えない会話だなー。



 俺とムラサキは部屋の外で聞き耳を立てていた。

 漏れ聞こえてくるのは我らの後輩への侮辱オンパレード。普段そんなに怒らない俺でも自然と拳が固くなる。ムラサキはもっとひどくて、今にも暴れ出しそうだった。


「……トウマ。あいつらブチ殺していいか」


「まあ、待て。待て」


 なんて押し留めるけど、わざわざ止める理由なんて一つもなかった。

 下野たちがいる部屋を探すのだって結構苦労した。こんなところからは一刻も早く退散したい。


 ガラスを割ったような破裂音がした。


 なんだ、ついに乱闘か!?

 中を見ると下野がスマホを叩き潰していた。


「人の気持ちをなんだと思ってるのよ」


 下野が一喝する。後輩の名誉を守るために。

 それは目が眩むような光景だった。下野の行動が意外だったからじゃない。きっと下野ならこうするだろうと俺は信用していて、実際その通りになった。俺はそれが嬉しかったんだ。心臓が熱くなるくらいに。


 たとえ正しいことを口にしても、孤立無援の場所で多勢を相手にするのは簡単なことじゃない。……本当に簡単じゃないんだ。


 なあ、下野。

 お前は自分のすごさに気付いてるか?


 ムラサキも下野の言葉に聞き入っているようだ。

 獣みたいな唸り声は鳴りを潜め、ただじっと下野を見据える。

 その目つきが鋭いのは変わらない。でも、俺には分かる。下野への敵意はすっかり薄らいでいるのを。


「————男友達が3人できたけど。全員、君たちなんかよりずっとカッコいいわよ」


「なっ」


「断言するわ。君たちみたいなの、東京に限らずどんな女だって相手にしない」


 男3人が下野に襲い掛かろうとしている。

 止めなきゃ————ってムラサキがもう突入していた。


 手近な男を1人ぶっ飛ばして、下野を庇うみたいに前に出る。

 下野は突如現れた俺たちに困惑して、でもどこか安堵した表情になった。


「これで3vs3だね。合コン仕切り直す?」


「だ、誰だよテメエ」


「うむ。我々は下野のちんちんである」


「ふざけんな!」


 鼻血まみれの唯我くんが必死な形相で飛びかかろうとした。

 咄嗟にガードしようして、次の瞬きには唯我くんの腹に蹴りが入っていた。またしてもムラサキによる容赦ない一撃だった。


「結衣山を悪く言うのは聞き流してやる。でもテメエを好きでいる女を侮辱するのはマジでゆるせねえ。二度と舐めた口がきけないようにしてやる」


「ちょーちょいちょい。ムラサキ、もういいよ」


 これ以上は本当に口がきけなくなっちまうよ。

 唯我くんは満身創痍だ。死体蹴りはさすがに良くない。


「ちっ」


 まだ怒りが収まらないみたいだが、ひとまず俺の言うことをきいてくれるらしい。


「おい。そこのガキ2人」


 と、一番ガキくさいムラサキが言う。


「いますぐこの外道を連れて帰れ」


 唯我くんの連れ2人は首が取れそうなくらい頷いた。

 ムラサキの暴君ぶりを見たら従わざるをえないよね。口答えしようものなら半殺しにされるのが目に見えるもん。


 2人が唯我くんを抱き起して、そそくさと去ろうとする。


「ゆる、さねえ……」


「ん?」


 気のせいかな。

 なんか聞こえたような。


「恥かかせやがって……絶対ゆるさねえ」


 唯我くんがブツブツ不穏なこと言ってる。まだ一件落着とはいかないらしい。

 地を蹴ろうとしたムラサキの肩をつかんで、俺は問いかけた。


「なーんか言ったかい。唯我クン?」


「これだけ好き勝手して、ただで済ませるかよ」


「へえ。具体的に何するの」


「俺たちは一方的にやられただけだからな。学校に苦情を入れたら……その女の人生、終わるぜ」


「………」


 俺が止めてなかったらオメエの人生の方が終わるんだよ!

 あとムラサキの暴れ方がすごい。顔面とか脇腹とか足のすねを攻撃して俺の拘束を解いてこようとする。第二の唯我くんになっちまう。


「おい。小物」


 俺に抱え上げられたままでムラサキは言う。


「お前ごときじゃあたしの人生に関わってこれねえよ。退学になろうが捕まろうがどうでもいい。やりたきゃ勝手にやれ」


「こ、後悔させてやるからな!」


 お手本のような捨て台詞で、今度こそ唯我くんたちが去ろうとする。

 でも、悪いけどこのまま帰すわけにはいかなくなった。


「あー、ちょいちょい。唯我クン」


「あ?」


「キミさ、女ひとりにボコボコにされたなんて恥ずかしくて言えないでしょ。学校だってそんな戯言きかされたって相手にしないよ」


「はっ、今更焦ったって遅いんだよ。俺はやってやる」


「うんうん。元気だね。じゃあ提案なんだけどさ、俺の本名教えてあげるから、君、俺にやられたってことにしてくれない?」


「……は?」


 呆気に取られたのは唯我くんだけじゃなかった。

 その場の視線が全部俺に集まってくる。


「俺、結衣山高校2年1組の清浦透真ね。清らかな浦和に透き通る真心で、清浦透真。俺にぴったりな良い名前だろ。あ、メモ取っておかなくて大丈夫? 復唱しようか?」


「うるせえんだよ!」


 粉々のスマートフォンが飛んできた。

 間一髪のところでなんとか避ける。再び視線を戻したとき、唯我くんたちはいなくなっていた。


「ありゃ? ちゃんと覚えてくれたかな……痛っ!?」


「いつまで触ってんだ。おろせ」


 鳩尾にひじがヒット。

 自由の身になったムラサキが着地する。


「いたた……。お前のせいで痣だらけになっちまうよ」


「トウマ。あたしは守ってもらうような弱い女じゃない」


「そうだな。お前は強い女だ」


「余計なことすんな。アゴ殴るぞ」


「ケツアゴになったら困るなあ」


 物騒な会話だが、昔からのじゃれ合いのようなものだ。

 でもちゃんと答えないと本当に一撃もらうことになっちまう。


「退学になってもいいとか言うからさ」


「あたしはそれでいい」


「だろうな。本気で言ってるんだろうよ。けど俺が嫌だ」


「トウマに迷惑かかるほうがイヤだ」


「今更かよ。いいか? 俺はお前と卒業するのが夢なんだからな。勝手にいなくなるなよ。それまで付き合ってくれてもいいだろ」


「……。別に。トウマから離れようなんて考えたことないけど」


 急にムラサキのやつがおとなしくなった。

 でも顔だけは上機嫌にほころんでいて、俺は近所にいるワンコを思い出した。撫でまわしてやろうとしたら思いきり手を叩かれた。なんでだ。


「あの……清浦くん」


 あ、まずい。

 下野が所在なさげにしている。下野を助けるためにやってきたのに、本人のことを忘れていた。


「おー、下野。悪いな。ほったらかしにして」


「ううん。それはいいの。でも、えっと……」


「まった。話の前にまずは手を見せてくれ」


「手……? あ、これね」


 下野の右手には細かい傷がついていた。大きな怪我ではないが出血までしている。

 下野はなんでもないとその手を振る。


「いいわよ。気にしないで。ツバつけてれば治るわよ」


「男子小学生か。処置してやるからじっとしてな」


「処置……?」


 俺はカバンから絆創膏とガーゼと消毒スプレーを取り出した。

 下野は呆気に取られた顔をしている。


「なんでそんな用意がいいの?」


「昔からケンカしてばっかりのやつがいてな。そいつのせいで常に持ち歩くクセが出来ちまった。悲しいことに」


「この可愛いネコちゃんの絆創膏は」


「喜ぶんじゃないかと思って買いました」


「こんなので喜ぶの子供くらいでしょ」


「だってそいつ今でも子供っぽいし」


 傷口を消毒し、絆創膏を貼りつける。手慣れた動きに下野は驚いているみたいだった。元々、器用なほうだったがムラサキのせいで余計に上達してしまった。


 と、処置が終わったタイミングで足のすねを蹴られた。ムラサキに。


「いってえ! え、なんで!?」


 ムラサキはものすごく不機嫌な顔をしていた。


「あたしのときとちがう」


「あん?」


「あたしのときはそうやって心配してくれなかった」


 何言ってんだよ。昔からお前のために何度も同じことをしてきただろうが。

 でも、そういえば最近は手当ての頻度が減ってきたかもしれない。誰が相手でもムラサキの方が強くて、一方的に相手をボコボコにするだけだから怪我なんてしようがない。


 ……最近? え。まさか。


「もしかしてプロマックス潰したときのこと言ってる!?」


「うらかばっかりオキニかよ。えこひいき!」


「自分でやったくせに!?」


「ところで清浦くん」


「なに!? いまムラサキのわからせで忙しいんだけど!」


「どうして2人はこんなところにいるの」


「あ……。えっと」


 そこはスルーしてくれ。詮索してくんなよ。


 言い訳を全然考えてなかった。正直に白状すると「下野の合コンをのぞきにきたんだよ。下野に男ができるとか面白くないからね」という前のめり彼氏面を晒すことになる。後方彼氏面の対義語かな?


 俺がしどろもどろになっていると、ムラサキが隣に並んできた。そして自然な動作で俺と腕をからませる。なにゆえ?


「デート」


「え?」


「デートしてる」


「………」


 ムラサキに全然似つかわしくない単語が飛び出してきた。

 しかしこれはナイス機転。わざわざ隣町まで出てきた理由として真っ当だ。問題は俺たちがカップルっぽく見えるかだが……いいだろう。ここはムラサキの策に乗っかる!


 ってわけでムラサキを抱き寄せてみた。ついでに肩に腕を回してやる。


「……っ!?」


 びくっと震えたムラサキが俺を突き飛ばした。


「なんでだ!?」


「触るな。すけべ」


「えー!?」


 俺たちがコントみたいなやり取りをしている間、下野はずっと難しい顔でうなっていた。


「デート……デート?」


 首を傾げすぎてフクロウみたいになっている。

 デート発言、全然信じてないな。

 苦しくなってきたムラサキが前言を撤回してくる。


「ただの荷物持ちだ」


「あ、なんだー! よかった! そうだよね。清浦くんとさきな様じゃ全然カップルっぽく見えないもんね!」


「くっ……!?」


 無邪気にはしゃぐ下野。

 この反応は……俺に彼女がいなくてほっとしてるとかじゃないな。ムラサキに変な虫がついてなくて安心したと言いたげだ。


 んで、ムラサキはなに落ち込んでんだよ。


「でも、もしかしたらホントにデートかもって思っちゃったわ。さきな様、めっちゃオシャレで可愛いから」


「そういえば……今日はカッチリしているな」


 ムラサキの服装を見やる。赤スカートに同系色のピンクカーディガンを合わせており、足元は白いソックスとサンダルで全体の調和をとっている。ムラサキとの遠出は数えきれないくらいしてきたけど、こんなの持ってたっけ。


 普段はもっとこう、平気で下着が見えそうなダボっとしたシャツとパンツばかり着ているくせに。


「まったく清浦くんは駄目ね。オシャレしてる女の子はもっと褒めてあげないと」


「えー? 俺が? いやいや。そういう関係でもないから。そんなん恥ずかしいじゃんか。今更ってなるわ」


「おバカ。気心の知れたオトモダチでも女の子相手ならこういうの大事でしょ。可愛いって言われて嬉しくない人なんていないから」


「……って下野は言ってるけど。そうなの?」


 直接きいてみる。が、ムラサキは両手で顔を覆っていた。

 的外れの指摘にお怒りの様子。なぜなら耳まで真っ赤だからだ。


「ちがうっぽいぞ」


「いや、わかるでしょ!? ファッションセンスもそうだけど、よく手入れされた髪とか爪とか化粧も……細かいところから勝負の気概を感じるの! 普段は見せられない私をちゃんと見てほしいって気持ちがビシバシ伝わってくるっていうか! でも奥ゆかしい乙女さも秘めてて、まるで10年以上恋してるみたいな……あれ?」


 下野が言葉を切る。自分の発言に自分で戸惑っているみたいな反応だった。


「あの。もしかしてさ。さきな様って、ガチでキミを」


「うらか」


 ムラサキが下野の口を塞いだ。


「お、お願いだから、マジで黙ってくれない……?」


 震え声でムラサキが言う。

 そんなお前初めて見たわ。

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