第19話 殴り飛ばしてやろうか


 私はなにをやっているんだろう。


 風邪を引いてしまった後輩ちゃんは、今日はもう来れない。

 くるはずだったもう1人の女の子も、ドタキャンらしい。

 つまりこの場は私だけで切り抜けるしかないのだ。


 女1人とかクッソ気まずい。

 というより合コンの体裁すら整ってないのでは……。


「うらかちゃん。次歌っていいよ」


「ええ。ありがとう」


 マイクを渡される。また順番が回ってきた。

 さっきと同様、適当に曲を入れる。結衣山にきてからひさしぶりのカラオケだけど全然アガらない。こんな薄暗い場所で知り合いとも言えない男3人と一緒にされているんだから当然だ。


 さすがの私でも不安になるというものですよ。

 別に襲われる心配をしてるわけじゃないけど。そうなったら返り討ちにしてやればいいだけだし。


「うらかちゃん歌上手いね~! アイドルグループのセンター!?」

「金輪際現れない一番星の生まれ変わりじゃーん!」


 私の美声に酔いしれて男どもが沸き立つ。

 雑な褒めだけどヨイショされるのは悪い気はしないわね。相手も全員、1つ年下だって考えると可愛げすら感じる。

 でも、さりげなくボディタッチ狙ってるのは感心しない。私はそんな軽い女ではないのだ。


「唯我くんも盛り上がっていこーぜ!」


「ちっ、うっせーな。お前らで勝手にやってりゃいいよ」


 唯我くんなる人物はこちらのノリに合わせず、仏頂面でスマホをいじっている。

 前もって顔写真を見せられていたから、私は知っている。


 彼こそが後輩ちゃんの想い人だ。


 後輩ちゃんが来れないと分かった瞬間からこの調子だ。

 しめしめと私はほくそ笑む。

 拗ねちゃうなんて可愛いじゃない。帰ったら後輩ちゃんに良い報告ができそう。


「ごめんなさいね。女が私だけで」


「いやいや、全然! こんな可愛い子が来てくれるなんてラッキーだよ。マジ参加してよかった~!」


「てか、うらかちゃん中学校どこだった? 絶対この近くじゃないよね。もしそうだったらノーマークなはずねえもん」


 お。これは。

 ついにマウントチャンス。

 悪く思わないでね。


「私、東京出身なの。最近引っ越してきたばかりで」


「まーじ!?」


 よほど意外だったのか、男たちがどよめいていた。

 終始興味なさげだった唯我くんまでも顔つきが変わり、身を乗り出してくる。


 その反応を見て、ちょっと気分良くなった。


 そうそう、これよ。

 結衣山に転校してきたときだって、こういうのを期待していた。

 まあ、清浦くんのせいで台無しにされたんだけど。


 思い出したらなんかムカついてきたわね。


「———おい。お前。きいてるのかよ」


 唯我くんが険しい顔で私を睨んでいた。

 何度か呼びかけていたらしい。はからずも無視する形になってしまった。

 申し訳ないなと感じるけど、でも年下のくせにさっきから生意気ね。


「ごめんなさい。なんだったかしら」

「だからぁ、俺の女にしてやるって。そう言ってんの」


「………。うん?」


 聞き間違いかと思った。

 少女漫画でよくあるセリフが飛び出た気がする。

 いやいや、まさか。あれはフィクションだからおもしれーのであって現実でやったらただのイタイ奴よ。


「えー、唯我くん、ずるーい」

「うらかちゃんレベルの女の子なんて滅多にいないのに!」

「うっせーな。こんな田舎町じゃレベル低い女しかいねえのは当たり前だろ。女ならまた用意してやっから我慢しろ」


 でも、どうやらマジだったみたい。周りの反応がそう教えてくれる。

 そう気づいた瞬間には鳥肌が立っていた。


 え、こいつら、やばい。


「ねえ。きみたちはさっきから何を言ってるの」


 私からの至極真っ当な指摘に、しかし3人はきょとんとしていた。

 とぼけているわけでも、開き直っているわけでもないらしい。

 頭が痛くなってくる。


「なんかおかしいか」


「おかしいでしょ。俺の女にしてやるとか、他はレベル低いとか。自分たちがどれだけ最低な会話してるか自覚ないわけ」


「ぷっ。なにそれ」


 鼻で笑われる。

 唯我くんはソファの上であぐらをかいた。


「あんた、あいつの知り合いってことは結衣山住みだろ」


 あいつ。

 私の後輩ちゃんのことだ。


「あんな辺鄙な場所じゃ大した男がいねえんだろ? 東京で遊びまくってそりゃあ物足りねえよな。けどノコノコ俺らの誘いに乗っかっておいて自分は違うって態度はどうよ」


「誘い? 元々はあの子ときみと2人での集まりだったはずだけど。それを勝手に合コン形式にしたのはそっちでしょ」


「そりゃそうでしょ。あんなのと2人で会ってどうすんだよ。時間の無駄じゃねえか」


「………」


 聞かずにいられなかった。


「あの子のこと、どう思ってるの」


「どうって。別になんとも」


「あなたのことを好きだと言っていたけど」


 今度こそ唯我くんは吹き出した。

 何がそんなにおかしいのよ。笑うところじゃないでしょ。


「まだ言ってんの。それ。笑える」


 殴り飛ばしてやろうかと思った。

 すんでのところで堪えた私を、誰か褒めてほしい。


「えー、なになに。また唯我くんの女泣かせエピソード?」

「中学のときに何度も告白してきた女がいたんだよ。ちょっと優しくしただけでそれだぜ? どんだけ男慣れしてねえんだって話だよな」

「あー、唯我くん地味系の芋女きらいだもんね」

「で、イメチェンしたからまた会ってくれってよ」

「え、やっば。きっつー!」

「唯我くんが相手にするわけないじゃーん! 夢見すぎー!」


 ゲラゲラと品のない嗤いが響く。

 でも、それがどこか遠くに感じる。


 唯我くんへの恋心を打ち明けてくれた、後輩ちゃんの姿が浮かんだ。

 恥ずかしそうに、それでいてすごく楽しそうに話してくれた。


 私は人を好きになったことはないけど。

 いつか自分もそうなりたいと思わせてくれるくらいには素敵な話だった。


 それをこんな風に笑い者にされて踏みにじられていると知ったら。

 あの子はどれだけの傷をかかえることになるだろう。


「写真とかないん?」

「あー、あるわ。勝手に送られてきたやつ」


 唯我くんがスマホに画像を表示させた。

 そこには私がよく知る後輩ちゃんが映っていた。

 笑顔なのに、どこか緊張と不安が入り混じった顔をしている。それだけで、後輩ちゃんがどれだけ勇気をふりしぼったかが伝わってきた。


「えー、全然アリなんだけど!」

「見た目は派手なのにウブな感じたまらねえよな! 唯我くんがいらないなら俺らがもらってもいい?」

「おー。全然いいよ。くれてやる」

「あ、でも唯我くんのお下がりか……。いやあ、さすがに兄弟になっちゃうのはな~」

「ばーか。こんな女に手ェ出すかよ」

「えっ、じゃあ新品ってこと!?」

「かもな。誰からも相手にされねえだろ。あんなブス————」


 腕を振る。私は唯我くんのスマホに拳を叩きつけた。

 画面はひび割れ、本体がひしゃげる。残骸がテーブルに散らばった。

 突然の事態に男どもは固まっていた。


 痛い。少し切ったみたい。指先へ血が滴る。

 でも、関係あるもんか。今は。


「人の気持ちをなんだと思ってるのよ」


 言いたいことは止まらない。


「好きな人のために変わろうと、真剣になってる女の子のどこがおかしいの。きつい? 夢見すぎ? あんたらみたいなゴミクズが私の後輩にとやかく言う資格なんて一切ない!」


「は、はあ? 何いきなりキレてんだよ。意味わかんね」

「うらかちゃん、やばくない? えー、地雷女?」


 再び、拳を叩きつけた。

 それだけで男2人は押し黙る。態度を変えなかったのは唯我くんだけだった。

 粉々になったスマホを眺めて彼は吐き捨てる。


「壊れたんだけど。弁償しろよ」


「修理に出せば? 握力97で潰されても意外となんとかなるものよ」


「このゴリラ女が……!」


「ゴリラ女で結構よ。あの子を嗤ったこと、今すぐここで謝れ。そして今後あの子に近づかないと誓いなさい」


「近づくも何も向こうから来てんだよ。気が向いたからちょっと遊んでやろうとしただけじゃん。俺とあいつじゃ釣り合わねえ」


「釣り合い? そうね。あんたなんか羽虫以下だもんね」


 ここまで余裕ぶった態度の唯我くんの顔色が一変した。

 みるみるうちに真っ赤になっていく。テーブルを叩きつけながら立ち上がった。


「東京にいたからって俺を馬鹿にしやがって! オマエみたいなクソビッチはいつもそうだ。思わせぶりな態度でその気にさせておいて、いざとなったら『遊んであげただけ』とか抜かしやがる。オマエだって本気で男作るつもりで今日来たわけじゃねえくせに。そういうのバレバレなんだよ」


 案外気付いているんだなと感心した。

 確かにそういう気は毛頭なかった。

 唯我くんも、知らないところで傷つけられたりしたのかな。


 でも、その腹いせで女の子を傷つけていい理由にはならない。


 唯我くんはぐちゃっと歪んだ笑みを浮かべた。


「俺には分かるぞ。オマエだって本当はこんな田舎は御免だろ。遊び場はまともなトコがねえし、どこもかしこもダサい。すぐに虫が入ってくるわ、変なにおいがするわ、住みにくいったらねえ。もう東京に戻りたいって思うだろ?」


 すごいな、唯我くん。

 それ全部一回は思ったわ。


 本当にその通りよ。生粋のシティガールの私には生きづらい場所なのは間違いない。まだ全然慣れてないところもある。だけど……。


「でもこの土地を好きだって人もいるみたいなの」


「はあ? いるわけねえだろ」


「いるんだって。私の不注意な言葉でその人の機嫌を損ねたから、もう二度とやらないって決めてるの」


「ハッ! そんなに結衣山が好きなら一生だせえ男連中とつるんでろ! 負け組女!」


 少し前の私だったら、その言葉に傷ついていたかもしれない。

 でも、今なら信じられる。


「最近になって男友達が3人できたけど。全員、君たちなんかよりずっとカッコいいわよ」


「なっ」


「断言するわ。君たちみたいなの、東京に限らずどんな女だって相手にしない」


「ふざけんな!」


 三人が一斉に立ち上がった。

 険しい顔つきで迫ってくる。


 おお、やるぅ? 望むところだけど。


 一番近い位置なのは唯我くんだった。

 まずは彼からぶっ飛ばしてやろうかしら。


「ぶはっ!?」


 唯我くんが鼻血をまき散らしながらのけぞった。

 あれ、おかしいな。まだ殴ってなかったんだけど。


 そこでようやく気付く。

 私の前にとても小柄な少女が立っていた。小さすぎて視界に入らなかったのだ。

 振り返った少女と目が合う。


「平気だった? うらか」


 ムラサキちゃんが———御杖村さきなさんが、いる。


 夢か幻か疑う。

 さきなさんは私を毛嫌いしているはずで、こんな風にやさしく私の名前を呼ぶことはありえなかった。まして私を守るみたいに前に出るなんて……。


「よー、下野。奇遇じゃん」


 聞き慣れた声が、馴れ馴れしく私を呼ぶ。


「………ふっ」


 なんでここにいるの、とか。

 もしかして追いかけてきたの、とか。

 だとしたらキミやばいねー、とか。


 口から出そうになった言葉は全部引っ込んだ。


 あー、これ、夢じゃないわ。

 こんな飄々とした顔、現実でしかありえないもの。

 でもそれがちょっと安心する。


「これで3vs3だね。合コン仕切り直す? あたし女の子になっちゃおうかな!」


 清浦くんが、クソ高い裏声でふざけ始める。

 うん。やっぱりこのうざい感じ、清浦くんだわ。

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