第12話 意趣返し
何事もなければこのまま帰れたはずだった。
けど俺たちはちょっとしたアクシデントに巻き込まれることになる。
◇
「ムラサキくんってどうしてムラサキくんなの」
「なんて? ああ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなのって?」
「ちげーわ。あだ名の由来のこと」
「普通に本名をもじっただけ。木村拓哉をキムタクっていうみたいな」
「なるほど。むら、さき。さき……ううん?」
下野がなにやら唸っている。
「ムラサキくんの本名、なんていうの」
「なんだっけ?」
「キミ、親友の名前を覚えてないの」
「咄嗟に本名出てこない」
「この薄情者」
お、言いやがったな?
「じゃあ、下野。俺のフルネーム答えてみろよ」
「清浦……なんだっけ?」
「この薄情者!」
もっと俺に興味持てよ!
俺はお前に興味あるぞ!
「あとずっと引っかかってたんだが」
「ええ」
「ムラサキくんってなんだ」
きょとんとした顔でこちらを見返してくる下野。
だんだんと首の角度が傾いていく。
「なんだとは何よ。どこか変だった?」
「なんで『くん』付けなんだろうと思って」
「同級生を呼び捨てになんてしないわ。さすがに」
「そうじゃなくて」
なかなか伝わらない。
もう一度説明しようとして、後ろからバイクの音がした。
無言のまま端に寄る。すぐそばが田んぼになっているため、幅にそこまで余裕のない道だ。あ、合法的に下野と密着できるチャンスですね。ぐふふ。
なんて邪な考えはエンジン音に掻き消された。
なんかこのバイク、減速する気配がまったく————
「あぶねえッ!」
「え」
反射的に下野の腕を引っ張る。
強い衝撃が襲ってきた。踏ん張りきれず下野と重なって倒れ込む。
すぐに起き上がろうとしたが、手が痺れて力が入らない。
「清浦くん大丈夫!?」
心配そうに顔をのぞきこんでくる下野。
軽口で答えようとして、俺は違和感を見逃せなかった。
「下野……カバンは?」
「えっ……あ!」
持っていたはずのスクールバッグがない。
さっきの接触でバイク男に持っていかれたのだ。
「うっそ!? ひったくり!?」
下野は駆け出そうとして、しかしすぐに足を止めてしまった。
追いかけようにも既に遠すぎる。それに追いついたとして不審者を相手にするのは危険で————
「あ」
少し間抜けな声が出てしまった。
直前までの焦りや怒りが全て安心感に変わる。
バイク男のさらに先、ラフな服装でこちらに歩いてくるアイツがいたからだ。
「ムラサキーっ!!!」
親友がスマホから顔を上げる。
「そいつ止めてくれ!」
ムラサキはスマホをしまった。
そして口パクで伝えてくる。りょ。
バイク男の進行方向にムラサキの身体が割り込んだ。
「どけぇ! クソガキ!!」
ムラサキとバイクが交差する、次の瞬間。
男の身体が宙に浮いていた。
「はえ……?」
隣の下野がちょっと可愛い反応をしていた。
何が起こったか分からないって顔で。
恐ろしく速い手刀……誰だろうが見逃しちゃうね。
宿主をなくしたバイクは横転し、そのまま土手の方へ突っ込んでいった。
ひったくり犯は空中で手足をバタバタとさせていたが、なすすべなく地面に叩きつけられた。すごい音がしたが、当たり所が悪くないことを祈る。悪くてもいいけど。
放り投げられたスクールバッグはムラサキが難なくキャッチしていた。
何事なかったみたいに向かってくる。
「おーい。トウマ」
ムラサキが俺の名前を呼ぶ。
わざとらしいくらいに口角をあげて。
「貸し1な」
「ふざけろ。ってか電話出ろよ。何回かけたと」
「面倒だから出なかった」
「このっ」
「怒るな。可愛いやつめ。どんだけあたしを好きなんだ? んー?」
にやけ顔のムラサキが俺のあごをくすぐってきた。
めちゃくちゃ密着して。一生懸命背伸びをしながら。そうしないと届かないもんね。
「ね、みてみて。機種変した」
「でかっ。プロマックスじゃん」
「どうだ。かっこいいだろう」
「ちっちゃなおててじゃ持てなくない?」
「は??」
と、のんきに話していると。
ひったくり野郎が起き上がっていた。
「この、舐めた真似しやがって!」
憤怒の形相で飛びかかろうとしている。
ムラサキは振り返ることすらしなかった。
「まだ元気だったか」
次の瞬間、ムラサキの拳が男の鳩尾に食い込んでいた。
息ができなくなる威力だったのだろう。男は口元を押さえて後ずさった。
「消えてろ」
ムラサキが回転しながら跳躍した。
キックが男のこめかみを打ち抜く。おおよそ人体から鳴っちゃいけない音を響かせながら、男は吹き飛んでいった。
————という絵が見えたが、実際はそうならなかった。
「なにやってんだゴラァ!!」
割って入る女がいたからだ。
ドスのきいた掛け声で下野が飛ぶ。
ハイキックがひったくり犯の顔面に炸裂した。
スカートのままそんな飛ぶ奴がいるかよ。ありがたみのないパンチラである。嘘だ。ちょっとだけラッキー。
男はマンガみたいに吹っ飛んでいった。折れた歯と鼻血が宙に舞う。
その光景を眺めながら、俺は一つの誓いを立てた。もう絶対に下野を怒らせないようにしよう。
「こんなちっちゃな女の子に手ェ出そうとすんなー!!」
獣みたいな唸り声で威嚇する下野。たぶん男には聞こえちゃいない。
下野は一転、急に大人びた顔になるとムラサキの手をとった。屈んで目線を合わせ、優しい声音で話しかける。
「だいじょうぶ? こわかったよね。でももう安心して。悪いやつはお姉ちゃんがやっつけたから。ほら、清浦くん。さっさと警察に通報してよ」
「おう。了解」
人生で初めての110番だ。
すぐに来てくれる手筈になった。不審者から逃げるよう促されたがその心配は皆無だ。これ下野の方が過剰防衛で捕まるのでは?
通話を終えて2人のところへ戻る。
下野が衝撃的な発言を放つ。
「で、清浦くん。この可愛い女の子は誰かな。知り合いみたいな反応だったけど。家が分かるなら送ってあげないと。なんなら私もついていくから」
ま、まさかこの流れでわかってないのか。
「おい、下野。こいつがムラサキだぞ」
「へ?」
「だからムラサキ。俺の親友2号。グランシャリオ結衣山の住人」
「………」
下野の背景に宇宙が見える。
なんでこんな簡単な事実を受け入れてくれないのか。
「む、ムラサキくんってムラサキちゃんだったの!?」
「言ってなかったか」
「言ってないわよ! てっきり、ちょいワルだけど高身長なイケメンくんが出てくると思ってたのに!」
「願望入ってない?」
「こんなお人形さんみたいで可憐な女の子だなんてきいてない!」
お人形さんで、可憐ね。
よく聞く言葉だ。
愛らしいとか綺麗とか美人顔とか外人みたいとか。
絵本の世界から飛び出してきたみたいとか守ってあげたいとか。
死ぬほど耳にする。
でもマジで外見だけの話なんだよな……。
「おい、東京モン」
ムラサキと下野が対峙する。
身長差・体格差は歴然。こうしてみるとムラサキは本当に小柄だ。
でも毎度どういうわけか、ムラサキの方が強そうに見えるんだよな。
「な、なんでしょうかっ」
下野はなぜか敬語口調だ。
「お前、握力いくつ」
「えっ…………25キロです」
ダウト。
「本当は55だぞ」
「なんでバラすの!? キ〇タマ握りつぶそうか!?」
「やめてくれるかな!?」
俺は股間を隠した。
清浦家を俺で末代にしたくない。
「東京モン。それはあたしが困る。やめてくれ」
「あっ、はい。もちろん本気では……。あのう、どうしてムラサキちゃんが困るハメになるんでしょう……?」
「あたしの握力は97だ。鏡餅だって潰せる」
下野の疑問を黙殺し、ムラサキはプロマックスを握り込む。
画面にヒビが入り、本体がひしゃげる。え、コイツ機種変したばっかのやつ自分で壊してる? バカなの?
「あ、あの、自己紹介が遅れたけど、私————」
「あー。名乗らなくていい。知ってるから、下野うらか」
なんで知ってるんだよ。学校きてねえくせに。
珍しいこともあるもんだ。ムラサキが、まだ会ってもない転校生の名前を覚えてくるなんて。寒気がする。
下野もムラサキに友好的な態度を感じ取ったらしい。
「ムラサキちゃん、これからよろしく————」
「する気はねえな。あたし、お前と仲良くするつもりないから」
「えっ」
下野の笑顔が凍った。
突然の強い拒絶。わけがわからず下野はかたまった。
動揺したのは俺もだった。
「お、おい、ムラサキ。お前いきなり何言ってるんだ」
しかしムラサキはきいてないようだ。
「それと、あたしをムラサキとは呼ぶな。トウマがつけてくれた大事な名だ。呼んでいいのはあたしが認めた友達だけ。お前はちがうし、未来永劫そうなることもない」
「ムラサキっ!」
俺は我慢の限界を迎えた。
怒鳴り声をあげると、ようやくムラサキも俺を一瞥する。
怒りに満ちた瞳だった。
本気だ。本気でムラサキは下野に尋常でない苛立ちをおぼえている。
その剣幕に言葉がひっこむ。
どうしてここまで憤っているのか。
そのわけを訊ねるにはこの空気は重すぎる。
「東京モン。お前とは馴れ合わねえ。短い付き合いにするからな」
どこかで最近きいたフレーズ。
俺はようやく思い出す。
それは下野が転校してきた日のセリフだった。
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