第11話 部屋掃除

 グランシャリオ結衣山は住居としてあまりにも頼りない。

 老朽化が進んだせいで建物は全体的に虚弱で、ちょっとした揺れや風で圧死まっしぐらだろう。赤く錆びついた扉と壁面のヒビが来訪者の足をにぶらせる。


 解体一歩手前のオンボロだが、一部屋だけ薄いカーテンが敷かれている。

 そこがムラサキの部屋であり唯一人間の痕跡を感じ取れる箇所だった。


「ご家族がお化け屋敷を経営していらっしゃる?」


「そんな特殊な家系ある?」


「ワンチャン信じたい」


「住んでいるのはムラサキだけらしい。全部屋使い放題だぜ! って喜んでた」


「ポジティブなのかおバカなのか……」


 俺は無造作にドアノブを回した。


「ちょっと。勝手に入っても大丈夫なの」


「平気だ。俺たちの仲だから……あ。ドア壊しちまった。まあいいか」


「ええ!?」


 外れたドアをそのへんに立て掛け、俺はしれっと入室した。

 下野はあたふたしながら、なんとかドアを嵌め込もうとして途中で断念していた。工具ないとどうしようもないからね。


「おーい! ムラサキ~? いないのか」


 奥に進んでも人の気配はなかった。

 昼食に食べたと思われるカップ麺が無造作に置かれている。


「……冷たくなってるな。ホシはもう遠くに行っちまったみたいですぜ」


「馬鹿なことやってんじゃないわよ」


 同じく中に踏み入った下野は「いたっ!?」と声をあげた。

 取っ散らかった何かを足で踏んづけてしまったらしい。

 足の裏をさすりながら毒づく。


「きたないとこ。埃っぽいし、ゴミも溜まってる。一人暮らし始めたての大学生かよ」


「一人暮らしだよ。ムラサキは」


「は? 高校生なのに? 親は何やってるのよ」


「さあね。母親は急に消えたから」


「………」


「あっ」


 やべ。

 うかつだ。口が滑っちまった。

 オヤカタやヨウキャと話してるときの感覚のままだった。


 おそるおそる、振り返る。

 下野はかたい顔をしていた。

 転校初日と同じ表情だった。


「……お父さんは?」


 俺は迷った。

 話すべきか、そうじゃないか。

 けど下野が、なんかこう、泣きそうな、悔いるような表情をしていたから。

 話してもいいかなと思った。むしろ聞いてもらいたい。


「元々、ムラサキに父親はいなかったよ。客とのあいだに生まれた子供なんだって。母親はなんだ、その、いわゆる水商売ってやつで」


「………」


「二年前、ムラサキの母親が消えたのも店か客とのトラブルじゃないかって言われてる。ま、実際どうかは知らんけど。それ以来、あいつは一人でここに住んでる」


「………」


 下野は黙り込んでしまった。

 受け止め切れなかったのかな、って心配になった。


 こういう空気は苦手だ。下野にはいつもおふざけ全開で接してたから。

 急なシリアス展開で風邪ひきそうになる。


「あー、あのな、下野————」


 別に気にしなくていいんだぞ、なんて言葉を続けようとして。




 下野は突然部屋を出ていった。




 俺はその背中を茫然と見送った。

 追いかけられなかった。声をかけられなかった。

 体を動かそうとして、喉が震えた。


 俺は遅れて気が付いた。

 思ったよりショックを受けている自分に。


「あちゃー。やっちった」


 慣れたものだと思ったんだけどな。

 離れていく背中を見るのは。


 昔からそうだった。小学校でも中学校でも、この高校でも。

 ムラサキの身の上話をきかせるとこういう風になる。


 人間、相性の問題は必ずついてくる。

 だから全員が全員と仲良くなればいいなんて、そんなことは思ってない。


 でもアイツの周りから人が離れていくのを見るたびに。

 俺はそれが嫌で嫌でしょうがなかった。


「久しぶりの逸材だったんだけどなあ」


 足から力が抜けて、俺は床に座りこんだ。

 ホコリが舞う。くしゃみが出た。


 と、同時にふすまが開かれた。

 バンッ!! とすごい勢いで。


「うおーい!? なんだどした!?」


 びっくりして鼻水と変な声が出た。

 入ってきたのは下野だった。戻ってきたのか、なんで。

 手に何か持っている。目を凝らすとそれはゴミ袋だった。市が指定している青色のやつ。


「下野……?」


「よしっ」


 気合を入れるように下野は呟いた。

 ひざをつき、黙々とゴミを拾っていく。

 俺はその光景を、口を開けたまま間抜けに眺めていた。


「ちょっと」


 咎めるような下野の声。


「何ぼうっとしているの。手伝いなさい。それと窓開けてくれる? 薄暗いし、空気が悪いわ」


「あ、ああ」


 言われるがまま、俺は窓に向かった。

 ガタガタと、たてつけの悪い窓に苦戦しながらようやく全開にする。

 夕陽が差し込み、その眩しさに目を細めた。


「あ……」


 この部屋から、こんな綺麗な夕陽が見れるのか。

 何回も来たことあるくせにそんなことを初めて知った。

 夕暮れの涼しい風が入り込む。


 それから小一時間くらいか。


 下野と二人、一生懸命ムラサキの家を綺麗にした。

 途中でほうきとぞうきんも買い足し、ホコリや汚れを徹底的に取り除く。

 こういう場面でも下野の運動量は大したもので、テキパキと仕事をこなしてくれた。

 みるみるうちにムラサキの部屋は本来の姿を取り戻していった。意外と広くてびっくりした。


 パンパンになったゴミ袋をいくつも抱え、集積所に放り投げた。


「つ、疲れた……」


 けど、なんだろう。

 達成感に満ちている。良いことをした、そんな気分だ。

 無言で下野がポカリを差し出してきた。近くの自販機で買ってきたものだ。俺は一気に半分くらい飲み干した。


 どちらからともなく、俺たちは帰り支度を始めた。

 部屋に総菜とノートを置いていく。メモも添えた。早く学校にこいよ。


「すっかり夜ね」


「あ、ああ。そうだな」


「2号と会うのはまた今度ね」


「あ、ああ。そうだな」


「……下野うらかって超絶可愛いわよね」


「あ、ああ。そうだな」


「スピーカーに転生した?」


 してねえよ。

 でも同じことしか言えない俺は確実に挙動不審だ。

 問題なのはネタとかではなく、素でこの有様だってことだ。


「いやあ、あのぉ」


「なによ」


「なんでだ?」


 なんで、あんな話を聞いたのに戻ってきたんだ。

 なんで、いきなり部屋掃除なんだ。

 なんで、さも当然って顔をしているんだよ。


 聞きたいことは山ほどあったのに結局どれも言葉にならなかった。

 曖昧な聞き方をしたのに、下野はあっさりと端的に答えた。


「だって、大事な親友2号なんでしょ」


 それだけ言って、下野はまた前を向いてしまう。

 続く言葉なんてない。言うべきことは言った。横顔にそう書いてある。


「………」


 やっべー。


 すげえ嬉しい。

 飛び跳ねて喜ぶような、そういう衝動的なやつじゃなくて。

 こういうのは何ていうんだっけ。


「キュンです」


「旬は少し過ぎたわね。ポーズは可愛いけど」


「悪い。今の俺、変だわ。ちょっと自分の気持ちを整理する」


「清浦くんはいつも変よ」


 ひどい言われようだが、全然気にならない。

 なんか心臓がバクバクする。しかもそれが心地よいというか。

 俺はこれがどういう感情か知っている。




 これマジで好きになるやつでは?

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