第6話 ゴリラじゃん

 本校舎に戻るためには少し早めに動く必要がある。

 昼食もそこそこに外階段をあとにする。その際、下野のクソデカ弁当箱は毎回俺が持ち運ぶことになっている。


 万が一、目撃されても俺が食ったことにするためである。


「小賢しい」


「これもイメージ戦略よ」


「誰も気にしてねえよ」


 コソコソと怪しい限りのはずだが今のところバレる気配がない。

 下野への注目度なんてそんなもんだ。


 初めはこの密会を『二人きりで会うとか彼女みたいじゃーん!』と浮かれていたが、不遜な下野の態度や食い意地を見ているうちに萎えていった。会話の七割くらいは下ネタだし。


 あ、下ネタは俺のせいか。


「そういえば、キミのお弁当……」


「ん?」


「かなり良い。唐揚げも美味しかったし。料理上手なお母さんみたいね」


「作ってるのはマッマじゃない」


「え。じゃあまさか」


「そして俺が作ってるわけでもない」


「なんやねん」


 肩パンされた。

 痛い。この女は力の加減を知らないのだ。


「俺の親友1号が作ったんだ。美味いのは当然だな」


「キミの親友ってどこにいるの。三人もいるのに」


「どこもなにも、クラスメイトだよ。近いうちに紹介してやる」


「あー、うん」


 クッソ興味なさそう。

 そういうとこだぞ、下野うらか。


「だって男友達なんて紹介されても……」


「あ」


「なに。急に立ち止まって」


「誰かいる」


「え!?」


 本校舎に戻る通路。

 そこに人が立っていた。

 でもそれが見知った相手だとわかり、俺は警戒を解いた。


「よー、キズナ先生。こんなとこで何やってんの? 逢引き?」


「ふふ。ある意味ではそうでしょうか。お二人を待っていたのですよ」


 敬語口調で落ち着いた雰囲気だ。物腰がやわらかいので話しやすい。

 この属性のキズナ先生もけっこう人気だが、滅多にお目にかかれない。

 多分、機嫌が良いときにしかやらないのだろう。


「なんか良いことあった?」


「ええ。とても」


「彼女できたとか」


「それは清浦くんのほうでは? 最近、下野さんと仲が良いみたいですね」


 矛先がこっちに向けられ、一瞬固まってしまう。

 気付いていたのか。さすがは担任。よく見ている。


「残念ながら彼女いない歴=年齢なんだよ」


「意外ですね。清浦くんは頼りがいがありますから、女性に声をかけられることも多いでしょうに。密かに人気なのを先生は知っていますよ」


 うわー、気分いい!


 自己肯定感が爆上げだ。

 お世辞なのは分かり切っているが、それがイヤミに聞こえない。


「先生、もうそのキャラで固定しちゃいなよ。絶対に人気出るよ」


「でも他のキャラも捨てがたいのですよ。熱血系で無邪気に皆さんとドッヂボールがしたいですし、ひょうきんになって誰かを笑わせるのも好きです」


「全部の属性の良いところ取りすればいいのに」


「それは疲れるのです。黄〇くんの『完全無欠の模倣』が試合中5分しか保たないのと同じ理屈です」


「超わかりやすい」


 あれ、カッコいいよな。


「話が脱線してしまいましたね」


 キズナ先生がプリントを取り出した。

 枚数は四枚。それだけで俺は察した。

 あまり歓迎したくない話題だと。


「清浦くん。それとあなたの親友三名も。提出がまだです」


「まだ諦めてなかったの。もう俺ら2年生だよ」


「清浦くんたちの意思確認も兼ねて、もう一度聞かせてください」


「お断り!」


「これは困りました」


 やれやれとキズナ先生が肩をすくめる。

 言葉とは裏腹に困った様子は全然見られない。


 と、ここで置いてきぼりの下野が入ってきた。


「さっきからなんの話?」


「なんだと思う?」


「進路希望調査とか?」


「いや、入部届」


「どこの?」


「さあ」


「………?」


 下野は顔をしかめた。

 納得の反応だ。


 下野の疑問を解くのはキズナ先生の役目だった。


「結衣山高校では生徒たちの自主性を重んじていますが、ひとつだけ他校と異なる部分があります。それが部活動への強制参加です」


「えッ!? イマドキですか。この令和の時代に?」


 下野は本気で驚いていた。

 だよな。俺も時代錯誤だと思う。


「健全な学校づくりは健全な部活動から。皆さんにとってもそう悪い話ではないでしょう。友人関係の構築、体力向上——あとはなんか色々見込めます。先生は皆さんに努力の素晴らしさを知ってほしいのです」


 ふわっとした主張である。


 急激なキャラ変をしても中身が別人になるわけじゃない。

 こういうところにキズナ先生っぽさが残っている。


「学校としての思惑は?」


「新設校だから部活動の実績が欲しいです。切実に」


「大人の本音こっわ……」


 キズナ先生はさらにもう一枚の入部届を取り出した。

 何食わぬ顔で下野に手渡す。


「というわけで、下野さんにも」


「この流れで受け取りたくはないんですけど」


「下野さんの活躍にはとても期待しています」


「そんな見え透いた嘘……」


「いいえ」


 キズナ先生が笑みを引っ込めて、強い口調で断じた。

 人当たりの良い表情から一転、何の感情も読み取れない真顔になった。

 その落差に俺も下野も口を噤む。


「先生、少々いいかげんな性分なのは自覚しておりますが、生徒に対して思ってもないことを口にしたことはありません」


「そ、そうですか」


「あなたは凄まじい功績を残すでしょう。それだけ稀有な才覚の持ち主です」


「そ、そうですかぁ~?」


 おだてられて一瞬で調子に乗る下野。単純な女だ。


 キズナ先生は再び笑みを浮かべると、踵を返した。

 この場を去ろうとしている。俺はその背中に呼びかけた。


「おーい、先生」


「清浦くん? どうしました」


「それ。渡しておかなくて平気?」


 俺と、それから親友三人分の入部届。

 キズナ先生はそれを持ち帰ろうとしている。


「どこか入りたい部活が?」


「全然。たぶんアイツらも同じことを言う」


「では、その気になったら受け取りにきてください」


 まともで常識的な回答だ。

 それが逆に不自然でもある。

 結衣山高校の教師に似つかわしくない。


「さっき下野さんが言っていましたね。イマドキ、この令和の時代にと」


「うん」


「先生もまったくの同意見です」


 今度こそキズナ先生は本校舎に消えていった。

 俺はその後ろ姿を呆然とながめていた。

 肩透かしを食らった気分だったのだ。


 去年の担任はもっとしつこく、それでいて陰湿だった。

 どこの部活にも入ろうとしない俺たちにいやがらせをするクズだった。


 もちろん、あれは特殊な例だとわかっているが……。


「うふふ」


 そこで我に返る。


 下野は上機嫌に白紙の入部届をかかげてニヤついていた。

 その能天気さで俺はいやな気持ちを忘れた。


「ちょっと頑張ってみようかしら。あそこまで期待されちゃあ、ねえ?」


「おお、いいんじゃないか。どこ入るんだ。柔道? 空手? それともボクシング?」


「失礼なチョイスね。吹奏楽部に決まってるじゃない」


「へっ?」


 びっくりしすぎて変な声が出た。

 下野がむっとする。


「なに。この白けた空気。不快なんだけど。あ、茶道部や美術部の方が似合うって? それは私も少し考えたけど」


「言ってない。言ってない。どんな耳してんだ。え、本気?」


「本気だけど。キズナ先生だって言ってくれたじゃない。期待してますって」


 俺は絶句した。

 ボケやネタの可能性を捨てたくない。

 しかし下野の瞳には一切の曇りがなかった。


 ガチだ。


「運動部での活躍をって意味でしょ。どう考えても」


「なんでそうなるのよ」


「だって下野、スポーツテストで女子部門ぶっちぎりの一位だったじゃん」


 指摘され、下野が固まった。

 段々とその頬が赤く染まっていく。


「な、なんで知ってるのよ!」


「キズナ先生が自慢してた」


「あのクズゴミ教師!」


「クズとかゴミは他にいるよ」


 キズナ先生が下野をベタ褒めしたとき、横で俺が茶化せなかった理由がそれだ。


 陸上部と遜色ないフォームとタイムで走り抜け。

 ハンドボールを飛ばし過ぎて一度測定不能になり。

 立ち幅跳びなんて宙を飛んでいるみたいだった。


 見ていて実に気持ち良かった。


「前の学校で部活は?」


「バドミントン部だったけど———いやいや。私もう運動部には入らないから」


「なんで? 誰か殴っちゃった?」


「意地でも私を凶暴キャラにしたいみたいね。確かに、男子より強くなっちゃって『ゴリラ女』って陰口叩かれたから、ラケットでぶん殴ってやったけど」


「ゴリラじゃん……」


「これからは私、孤高でクールでミステリアスな美少女になるから。そんでめちゃくちゃモテモテの大和撫子を目指すから」


 そんなガツガツした大和撫子いるかよ。


「無理だと思うけど頑張ってくれ」


 ふいに下野の腕がのびた。

 超重厚弁当箱がもぎ取られる。角の部分でしばかれた。


「いでえッ」

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