第4話 〇〇〇とか×××とか

 放課後。

 部活動に向かう面々を押しのけ、親友1号と3号との待ち合わせ場所に向かう。今日は3号宅の超高画質モニターでネトフリを観まくるのだ。ポップコーンの用意もある。


 と、スキップしそうだった俺の襟首を誰かがつかむ。首が絞まる。


「ぐえっ! 誰だよ!」


 またどこぞの部活動の勧誘かとうんざりしたが、そこにいたのは下野だった。

 不愉快な感情が霧散した。そして意外に思った。このタイミングで現れるのか。


「どうした」


「あ、あの……」


 下野の方から呼び止めてきたくせに、なかなか次の言葉が出てこない。

 せわしなく指先をいじって、もじもじしている。


 ふむ、これは……!


「愛の告白は年中無休で受けつけている」


「ちげえわ。ちょっと顔貸せ」


 ちがうんかい。

 カツアゲでもされるのだろうか。それとも集団でボコられるのか。

 どちらでもないと思うので俺はノコノコと無警戒に下野についていくことにした。


 案内されたのは第二校舎裏の外階段だった。

 新設といってもこっちの校舎はオンボロだ。結衣山高校は、閉鎖された中学校を改修・リフォームして出来上がった学校だ。


 陽気な春の季節だというのに、じめじめしていて薄暗い。好き好んでこんなところにくる物好きはいないだろう。


「もしかして今日ずっとここまで逃げてた?」


「そうよ。それがなにか」


「別に。さみしい場所だと思って」


「平気。入学してからほぼ毎日来てる。人通りもほぼゼロで落ち着く。ベストプレイス」


「陰気なやつだな————いってえ!」


 かかとで思い切り踏まれた。

 悶える俺を無視して下野が本題を切り出す。


「あなたと話したくて」


 なぜだろう。

 数分前なら喜んでいた自信すらあるのに今はもう帰りたくて仕方ない。


「もしかしてその話長い? 親友たちと約束あるんだけど」


「いつでも遊べるお友達と可愛い女子との逢瀬。どっちが大事?」


「ギリ後者かな」


 スマン二人とも……。

 俺は心の中で親友たちに詫びた。


 下野がずいっと近づいてきた。え、距離感バグ?


「ちょっと。耳貸しなさいよ」


 よく見ると、下野は爪先立ちになって一生懸命に背伸びをしていた。

 ぷるぷる震えてる。いじらしい姿だ。心にクるものを感じ、俺は前かがみになった。


「昨日のこと、他の誰かに話したりとかは」


「昨日のことって?」


「へっ」


 何の話かはわかっているが、あえてすっとぼけてみた。


「ほら、だから……」


「言ってごらん?」


「ちんちんとかチンポとか〇〇〇とか×××とか※※※※の———」


「俺が悪かった。萎えるからやめてくれ」


 ボキャブラリーが豊富すぎる。

 全て放送禁止用語だから何もお伝えできないが。


「だ、誰にも話してないでしょうね。あなたの友達とか、キズナ先生とか、その他諸々全ての人に」


「話してない」


「……本当に?」


「もしそうだったらもう少し人気者になってるよ、お前さん」


 下野の目つきが鋭くなる。俺が嘘をついているか見抜こうとしているらしい。

 美人の怒った顔は心臓に悪いので、緊張緩和用にハッピースマイルを発動。ついでに変顔との合わせ技を披露したが、下野はくすりとも笑ってくれなかった。


 くやしい。


「そっか。話してないのね」


 下野はその場で座り込んだ。


「よ、よかった。ほんとうに。人生詰んだかと」


「大袈裟だろ」


「今日は悲壮な覚悟で登校してきたわ」


 下野の瞳からハイライトが消えた。


「キミが余計なことを吹聴して下ネタ好きが学校中に知れ渡っているかと。ううん。その程度ならまだマシ。勝手に都合よく解釈したバカどもがヤリ〇ンとかビッ〇とかSNSに書き込むの。話したこともない人たちが私を見てクスクス嗤って、段々クラスから孤立していく。先生とかの大人の目がなくなった途端イジメが表面化するんだわ」


 想像が生々しいな。

 朝、怯えた様子だったのはそのせいか。

 机の中を確認した挙動も納得がいく。


「女子たちから『可愛いからって調子乗ってんじゃねーよ!』って言われて」


「あれ? 自己評価高いな」


「男子たちからは『ぐへへ。いやらしい身体しやがって。ほら、こういうのが好きなんだろ。口では嫌がっていてもこっちはどうだ?』って迫られて」


「エロ漫画かな? それに下野はスレンダー……ぐええええ!!」


 喉を突かれた。

 一瞬息ができなかった。


「何か言ったかしら」


「何も言ってません」


 かかとで踏まれたときよりガチだった。

 触れちゃいけない部分に触れたらしい。


「次やったらアイアンクローね」


「それはぜったい喰らいたくねえ」


「田舎のイジメといえば村八分かしら。ごめんなさいお母さん……」


「あ、うちのマッマがサーフィンにハマってるんだ。下野の母さんも今度どう?」


「人んちの母親をパリピみたいな趣味に巻き込まないでくれる? お断りよ」


「夏になったら大盛り上がり間違いなしなのに」


 自然に囲まれた結衣山は海も近い。

 人が全然こないからゴミも落ちてないし、おかげで景観はそこそこよろしい。もっとネットなりニュースなりで取り上げてくれないかな。


「なにはともあれ、我らが結衣山高校にイジメはありません!」


「あるときに言うヤツ。校長の言い訳みたい」


「ホントだって。なんだよ。その被害妄想」


「だって私、クラスで浮いてるもの」


 しゅん、と落ち込む下野。

 自分で蒔いた種では……?


 だが女の子が暗い顔をしているときに正論は無意味。なんとか元気づけなくちゃって気にさせられるんだから、男って単純だ。


「心配すんなって。顔は超絶可愛いんだから」


「それはわかってるけど」


「……おう。あ、あと東京女子なんてここじゃ希少だから! みんなびっくりする神ステータスよん。人気者間違いなし♪」


「それも当然だけど」


 励ましがいのない女だなあ。

 二秒前に超絶可愛いって言ったの取り消したい。


「あーあ」


 錆びれた欄干によりかかり、下野が身体をそらした。視線は空に向けられる。


 つられて俺も見上げる。

 低い位置まで下がった太陽は、結衣山の空を、街を、海を照らしている。十六年、同じ光景を見続けた。けれど飽きる感覚はない。ずっと見ていられる。多分、俺はこの時間が好きなのだろう。


 だが下野の目には何も映っていないように見えた。

 これまでと少し異質な声音で、転校生は言う。


「こんなつもりじゃなかったのに」


 冬のなごりを残した風が吹いた。

 都会からやってきた女子高生は何を考えているのだろう。

 同じ日本で育って、同じ言葉を使っている同い年なのにまったく想像がつかない。


「………」


 いや。

 ビビっているだけか。

 俺はそっと手を差し出した。


「その手はなに」


「握手を求めている」


「なんで」


「下野と友好的な関係を築こうと」


 回りくどい俺の言い分に、下野は顔をしかめた。


「言ったでしょ。ここの人たちと仲良くする気はない」


「いつまで?」


「い、いつまでって……。ずっとに決まってるじゃない」


「結衣山に住み続けるのに?」


「こんなところすぐに出ていってやる」


「下野家は転勤族だったかあ」


 下野は黙り込んだ。目が泳ぐ。その反応で丸わかりだ。

 すぐに転勤になるかなんて、下野には分かるはずもない。高校卒業までずっと結衣山暮らしかもしれない。むしろその可能性の方が高い。


 でも、下野はムキになって言う。


「一人の方が楽」


「東京ではそうかもな。でも、ここは結衣山だ」


「………」


「一人って面倒くさいよ。これ、先住民からのアドバイス」


 コンビニは夕方に閉まるからうっかり備蓄を怠ると食料を分けてもらわなきゃだし。

 夜中に起きた水道のトラブルは最悪その店の人を叩き起こさないといけない。

 24時間サービスなんて気の利いたものはない。

 朝方まで起きているのは個人の飲み屋やスナックくらい……。


 狭い土地だ。どうあがいても周りを頼らざるを得ない。

 陳腐な教えでも、助け合いこそがここでの処世術だった。


 俺も下野もまだ高校生。大人に比べてできないことばかりだ。


「下野が困っているときすぐ駆けつけるよ。俺だけじゃ駄目そうなら親友も呼ぶ。俺には三人も親友がいるからな。五人もいればヨユーで文殊超える。無敵じゃねえか」


「———」


「そんなに情熱的に見つめてどしたん。カッコ良すぎて惚れた?」


「バカじゃないの」


 容赦ない罵倒である。

 でもちょっとだけ笑っていた。初めてだった。下野の笑顔を見るのは。


「口説き文句としては悪くなかったわよ」


 唖然としていると下野が手を握ってきた。

 あ、そういえばずっと手を出したままだった。


 女の子の手はスベスベで柔らかくて、それでいて脆いものだと思っていた。


 でも、下野は全然そんなことなかった。

 手のひらに固いマメを感じる。指先まで力が強くて、それに体温が高い。

 触れていると力がみなぎってくるみたいだ。


「良かったわね。私みたいな可愛い女の子とお近づきになれて。人生の運、全部使っちゃったんじゃない?」


「あー、うん。そう、かも……?」


「しどろもどろになって。もしかして照れてる?」


 ドヤ顔でアオってくる。

 調子に乗るなと言ってやりたかったけど、困ったことに口が回らない。


 だって、その通り。

 俺は照れていたから。

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