異世界通信社フェンリルジャーナル

幻究所

第1話:超高学歴エルフが就職した先は週刊誌

ここは帝都エルポネソス。


 レンガ造りの低いビル群が建ち並び、その中に1本だけ、文字通り群を抜いて背の高い、時計塔がそびえ立っていた。


 純潔を表すような白さで、この帝都で最も高い建物というのも、その高貴さを後押ししていた。


 その更に遠くで、更に時計塔よりも目立っている、豪華絢爛をそのまま形にしたような城があった。


 その城──皇帝の居城たるティンタジェル城は、権力を象徴するかのような荘厳な宮殿を、帝都中に誇示していた。


 ──だが、この物語が始まる舞台は、そんな華美な所ではない。とある雑居ビルの一室、場末のタブロイド紙、“フェンリルジャーナル”のテナントである。


「──カール!」

 大声で不服そうに上司の名を呼び捨てで叫ぶ中年の男は、無造作に切られた黒色の髪に、襟元のはだけたシャツと緩んだネクタイ、皺の目立つ紺色のスラックスを纏い、右手首には安っぽい腕時計という、見た目にルーズな彼の性格を体現している出で立ちだった。


「どうしたのかね、エル」


 荒々しい男の一方、名を呼ばれた白髪の老紳士カールは、涼しい顔で彼──エルの言葉をいなしていた。


「どうしたもこうしたもねぇよ! なんで俺が、『亜人』と仕事しなきゃいけねぇんだ!」


 エルが不躾に指差したのは、彼とは真逆に、綺麗なスーツで身だしなみを整えた、金髪碧眼の美しい女性だった。


 ビシッとした姿勢からも、彼女の几帳面な性格が窺える。


 髪は後ろで短く括られ、切れ長の目は鋭くエルを睨んでいた。そして何より目を引くのが──薄く緑がかった肌と、長く尖っている耳である。


「俺は部下は要らないと言ってるだろ! それに、俺が亜人を嫌いなのを、お前は知っている筈だ!」


 エルの抗議に段々と熱が入ってきたようで、声は更に大きくなり、額には汗が浮かんでくる。


 そんな彼をなだめるように、カールは優しく話し掛けた。


「……エル、君ももう38になるだろう? 次期役員が見えてきている歳だ。それに上級社員となると、部下を育てるのも、君の大事な仕事の1つになる」

「ぐっ……」

「──カールさん、少し発言をよろしいでしょうか」


 エルが黙ったところを狙い澄ましたかの様に、突然女性が滑らかな動作で挙手し、発言を請うた。


「ふむ。好きに話してくれて構わないよ、マーリン君」

「ありがとうございます」


 彼女──マーリンは、くるりと身体の向きを変えて、エルを真正面から睨んだ。


「エルさん。確かに、私はエルフです。亜人として、今まで迫害を受けてきた種族です。……ですが、22年前に発布された“亜人解放令”によって、亜人であることを理由にした差別は禁止されました。当然、禁止されたものの中には職業差別も含まれています。この勅令に則れば、『亜人だから』という理由で私を部下にしないのは、違反にあたります」


 淡々と述べられた言葉の奥で、しかし実は彼女が苛々していることを、エルは直感で悟った。


 それに長台詞を黙って聞いていたのを加えて、お陰でエルはすっかり冷静な思考に戻っていた。


「……あ、ああ。いや、すまねぇ。お前が悪くないのは分かってるんだ……だが、俺は──いや……そうだな、分かった」

「分かっていただければ結構です。分かっていただけるとは思っていませんでしたが」

「どういう意味だよ」


 つんと澄まして、マーリンは答えなかった。


「エルよ。彼女を部下として、育ててくれるな?」

「……ああ。いいよ、そこまで言うならやってやる。マーリンとか言ったな。優しくしてくれると思うなよ」


「分かっています。私は楽しく仕事をするために、ここに来た訳ではありません。するべきことがありますので」


 真剣な目付きで、マーリンはエルを見詰めて言った。


「……なあカール。こいつ何なの?」


 エルがカールに耳打ちする。


 繰り返すがここは場末タブロイド紙のテナントであって、決して国の行く末を決めるような国会などではないのだ。


 エルが知るフェンリルジャーナルの社員に、ここまで真剣で真面目で、仕事を手段と捉えている人間はいなかった。


 それを聞いて、カールが机の引出しから紙を取り出した。


「マーリン・クライス。第一高等学校首席卒業後、エルポネソス大学経済学部経済学科に入学。その後総合政策コースを選択し、優秀な成績を修め首席で卒業。学生時代はボランティアなどの社会奉仕活動に従事し、ミス・コンテストで準優勝したこともある……これで十分ではないかね?」

「……マジで何でここにいんだよ……」


 彼女の経歴は正に驚くべきもので、第一高等学校とは帝国に9つあるナンバースクールの1つで、その本質は言わば官僚養成学校である。


 更に、その中の限られた数十名だけが、5つある帝国大学と俗称される大学に入学することができる。


 要するにマーリンは、超の後に繰り返し記号が2つは続きそうなエリートなのである。


 エルが覚えた場違いだという感覚は間違っていなかった。


「あー……何だ、俺より優秀らしいが、これから頼──」

「よろしくお願いします」

「……頼む」


 差し出した手は完全に無視し、しかしきっちりと頭を下げたマーリンとの間に、剣の間合いのような広く深い溝があるように感じた、エルであった。

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異世界通信社フェンリルジャーナル 幻究所 @genkyusho

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