第6話 group consciousness

三学期が始まるとすぐに私立の入試がやってきて、ほどなく公立の入試もやってきた。

オペレーターを通じて中秋君との休戦協定をオーバに伝えると、意外にもオーバはすんなりと休みを認めてくれた。


なんだろう、気持ち悪い。


職務第一の生真面目上司が快く休みをくれる真意が読めない。

間違ってもわたしの入試を心配していることなんて、ない。


それでもありがたく休みを頂戴したのだった。

明日で最終日となる入試の科目のテキストを開いてみたものの、今日の出来が不安で手につかない。

沈黙を続けるサボテンをぼんやりと眺める。

今にもサボテンが話し出しそうな気がする。


「わたし……」


サボテンが静かなのは当たり前のことなんだけど、どこか寂しい気がする。


わたし、もう普通の人に戻れないのかもしれない。




希望校の空気を目いっぱい吸い込んで、入試は終わった。

高校を出て、その建物を振り仰げば、青空が見えた。

屋根の下には雪が残っている。

学校指定のブーツでもう硬くなった雪を蹴った。


その足で、学校に行った。


登校の必要はなかったんだけど、家に帰って母の心配そうな視線を受けるのが辛い。

さっき電話したら「終わったものはじたばたしない」なんて言っていたんだけれど、こんな顔して帰ったら、心配性の母は御百度を踏みかねない。


誰かいるだろうか、と教室の扉を開くと、ぜんちゃんがいた。


「あれれ? 教室間違えてるよ?」

「推薦合格組は自習なのだよ」


一教室に固まって自習することになっていたらしい。

これから受験する人間に推薦合格者の解き放たれた空気を感じ取らせてはいけないと、合格者の名前は発表されていないが、ぜんちゃんが受かったことは本人に聞いて知っている。

わたしは俄然やる気が湧いた……が、それが入試問題の解答に反映されているかどうかは定かではない。


「午前で帰っていいから、もうほとんど帰宅済み。

鞄いくつ残ってる?」


わたしはぐるっと教室を見回した。


「二、三個だね」


わたしの席にも黒色の斜め掛け鞄が置かれている。

誰か座っていたのだろう。

暖房の真横だし、あったかくてこれ以上の場所はないから。


「一緒に帰る?」


登校早々そう言われてしまったが、ぜんちゃんと話をしたらなんだかすっきりした。


「帰る」


笑って応えた。





―――ハルカ


夕日が差し込んできて、カーテンを閉めようとしたらサボテンから声がした。

ほんの一月半のことだけど、なんだか懐かしい。


「久しぶり、オーバ。元気だった?」


―――五キロ痩せた


なっなんで、羨まし……じゃなくて。


「どしたの」


―――連日徹夜の調査でな。

   面白い新事実が浮かび上がってきて、裏づけに走り回っていたんだ


……。

……仕事してる。

上司が、仕事している……!


―――お前、今すんごい失礼なこと考えていやしないか


上司は単調な口調で言った。


「いえ全然」


単調な口調で返した。

サボテンの向こうで隣にいるのであろうオペレーターが笑った。

そして上司は、唐突に切り出した。


―――残念だが、ハルカ、土木作業員稼業もこれまでになりそうだよ


耳を疑う。

今、何て。


「どういう、こと」


―――もうスコップを持たなくてもいいということだ


それはつまり、クビ……ってこと?

受験で休みを頂戴したからなのか、休みすぎたのか。

そうなのか。


「オーバ、ねぇっ……」


心がざわざわする。

口調にも焦りが出ていたと思う。

オーバはふっと息を付いた。


―――詳しいことは後日説明する

   受験、ご苦労だったな


上司が掛けてくれる労いの優しい言葉も今はただ、不気味なだけ。

指先が冷たくなるのを感じて、思わずぎゅっと両手を握った。

再び静かになった夕暮れの茜色がただの残像となって消えていく部屋の中で、わたしはどうすることもできずにただ立っていた。


何を考えたらいいのだろう。


フローリングの一点を見つめ、動けない。

どのくらいそうしていたのか、寒くて我に返ると、部屋は真っ暗になっていた。

ヒーターのスイッチを入れて、息を付いて、ベッドに座った。

下から母の声がする。晩ご飯よ、と言っている。


「…………」


返事をしようにも、声を張る気力がない。

なんだか面倒だったが、目を擦って、立ち上がった。

ふと机を見ると、教科書と棚の隙間に挟まれているファイルが目に入った。


電話連絡網。

そのプリントが、あの中に入っている。




中秋君に。




わたしの脳裏にその名前が閃光のように浮かび上がった。

立ち上がりきる直前の中途半端な中腰の状態で、目を、しばたく。


そうだ、立場は違うけど、こんなこと話せるのは、今、彼しかいない。


時計は七時を少し回ったところ。

電話連絡網を引っ張り出すと、中秋君の自宅の番号があった。


居間に降りると両親が一斉にわたしを見た。


「良子、座んなさい。今日エビチリにしたから」


母はわたしの好物を作ってくれていた。


「試験が終わったんだから、ゆっくりしなさいな」

「あ」


わたしの返事に、母は変な顔をした。


「なぁに?」


母の不思議気な声に、慌てて首を振った。


……そうでした。

今日は受験が終わった日。

晴れて受験生から解放された日だったのだ。

そんなめでたい日に、こんなどんより曇り空の心でどうする、わたし。

多分両親はわたしがぼんやりしている様子に、受験の内容とか、結果とか、ものすんごい心配をしているのだろう。


ああ、ダメ、ダメだ!

ご飯を食べよう。

食べたら元気になる。

中秋君に話したところで、デーモナである彼に解決策はない。

迷惑を掛けるだけだ。

それよりもオーバがまた説明するような話だったではないか。

それを待とう。


わたしは、こわばっていた肩を、やっと降ろした。

ついでにぐりん、と回すと、ちょっと痛かった。

凝っていたらしい。


「おか~さ~ん、これつまみ食いしてもいい?」


自分の皿のエビチリに手を伸ばそうとした瞬間、玄関のチャイムがなった。


「良子、出て」

「はいはーい」


返事はひとつ、と言う母にまたはいはいと返事をして、いつもこれで怒られる。


「はい、何のご用ですか……」


飾り棚に名簿の入ったファイルを置いて、サンダルを履く。

玄関のドアを開けて、固まった。


「おう」


ニット帽からピンクの髪をちょっとはみ出させた中秋君がいた。


「……」


口があんぐり開いたままの私が、喋られずにいると、首を捻って眉根を寄せた。


「変な顔してるぞ。試験どうだったんだよ」


変な顔とは失礼な。


「それなりよっ」


自信満々の声色とは裏腹の言葉が出た。

中秋君こそどうだったのよ。

と聞く前に、中秋君は肩を落として小声で言った。


「オマエ、バイトクビになってないか」


……驚いた。

随分と単刀直入に聞くじゃないか。


「……そのようよ」

「わけとか聞いたか」


なんともいえない悔しさを堪えて答えた私に、中秋君は質問を続ける。

なんだか変な感じがした。

もしかしたら、と思いが過ぎった。

それが顔に出たのかもしれない。

中秋君はカチンと音を立てて奥歯を鳴らした。

しゃくった顔から苛立ちを感じた。


「俺も、なんかクビっぽい」

「どうして……」


だからそれを知りたいんじゃないか、と中秋君は天井を仰いだ。

玄関の白のライトを眩しそうに見た。

しばらく無言だった。

どうして、ふたり一度にクビになったのだろう。

やはり受験で休みすぎたからなのか。

おそろいの理由なんて、それくらいしか考えられない。

それとも、たまたま時期が被っただけなのか……。

わからない。


わたしは、首を傾けたまま、まだ高くもない天井を見上げる中秋君に話しかけた。


「なんで、わたしに聞いたの」

「なんでって……」


中秋君はようやく視線を合わせた。

構えていたより、ずっと真剣な表情をしていた。


「お前は」


口元だけを動かして、言った。


「お前は俺に仲間意識とかないわけ」


息を、飲んだ。


中秋君はまだわたしを見ている。

中秋君は仲間意識、と言った。

エンジェリーナに任命されて、急にひとりだけ異世界と繋がって、それでもオーバがあんなだし、オペレーターがあんなキャラだから、気が付かなかったけど。

誰にも言えない秘密事情、そんな不安はあったはずだ。

それが、こんな近くに、敵だけど、世界が一緒な人がいたんだ。




……ある。


中秋君に、仲間意識。


だから電話連絡網まで引っ張り出した。


そういうことなんだ。



「……いいや、それじゃ、な」


考えは巡る。

だけど何も言えないわたしに、中秋君が背を向けた。

呼び止めようとした。


「どうしたの? あらぁ」


そのとき、台所から母が顔を出した。

玄関から長い間戻ってこないわたしを心配したのだろう。


「こんばんは」


中秋君は中に向き直って、近寄ってきた母に丁寧に頭を下げた。


「遅い時間にすいません。

 クラスメートの中秋といいます」


母は嬉しそうに、いいえ、良子がいつも、なんて返した。

それからさも当然とばかりにスリッパを出した。

わたしが慌てた。


「おっお母さんっ」

「中秋くん、寒い中わざわざ来てくれたんだから。

 ……何その顔」


どんな顔をしていたのであろう、私の頬をぺしぺしと撫でて、中秋君に笑いかけた。


「晩ご飯、一緒にどうかしら?」


エビチリよ、と付け加えた。




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