第5話 truce
それはお正月も三が日を過ぎた頃の話。
『ハルカ、俺休み明けにすぐ私立の入試があンだけど』
中秋君から突然そんな電話が掛かってきた。
彼は多分ケータイデンワから掛けてるのだと思う。
ちょっと声が遠い。
なんだよ中学生がケータイデンワなんか持っちゃってさ。
しかもフォーマって何事だよ。
ハルカサン家電のしかも親電話で出てるんですけど。
台所と一続きの居間にいるんですけど。
家族揃ってんですけど。
つか父!
そこ覗かない!
「あれ? そっか、早いんだね。
で? どしたっての?」
中秋君は至極、真面目に、明朗に言った。
『休戦協定結ぼう』
「は?」
そんな返事もしたくなるわ。
「なんなの」
『三学期に入ったらすぐ忙しくなるから。
で、出動できないときにお前にエネルギーボール取られたら、給料減るだろ。
だから』
だから。
……って。
「そんな訳いかないよ。
わたしだって出動命令断ったら給料減るのよ」
たぶん。
そういや今まで幾度となく断ってたけど……!
給料あるって知ったの最近だけど……!!
「無理です。
いただきッ★」
『交換条件は』
ノリの悪い彼は特にコメントもなく話を続けた。
どうよ、それ、人として。
『お前の入試の時には大人しくしておいてやる』
うわアクドイ。
「中秋君さあー。頭がいいのねー」
オペレーターの真似。
似てないけど。
『そうすりゃオアイコじゃねーの?
……まあ』
「何よ」
中秋君が電話の向こうでニヤけたのが見えた。
『多分俺のほうが給料いいんだけどな』
おい。
こんな話でもケンカ売る気か。
「じゃあフェアになんないわ」
つっけんどーんと言ってみた。
中秋君は少し考えたようだった。
『オマエ、今から外出れる?』
「何ですか急に」
『出れねーの?』
なんだなんだ。
ほんとにもう。
今日は親戚も来ないし、親はわたしに静かに勉強していてもらいたいはずだ。
わたしがぜんちゃんと同じ高校に行きたがっているのを知っているからだ。
……そう、悪いがボーダーライン上に点数が乗っている。
ほんとに人生に余裕ないなぁ。
わたし。
「庶民ですから、勉強しないと受からないんです。
外に出るとなると相当の理由が必要なんです」
『頭ワリーと大変だな』
悪気はないのだろう、当然のように言われた言葉に激ムカ。
血が上ってちょっとくらくらするぞ。
『ちょっとお母さんと替われよ』
「何よ」
『いいから』
しょうがなく受話器を抑えて母を呼んだ。
「なあに? ボーイフレンド?」
母は楽しそうだ。
違うから、と前置きして、
「替われって」
母の口が、まあ、の形になった。
いそいそと受話器を取る。
多少動きがおかしいぞ。
「もしもし……こんにちは、良子がいつも。
ええ、いいえ」
最初の内こそ畏まっていたらしい母の口調は、次第にいつもの無駄話長電話のそれに変わってくる。
「……あらそぉお?
悪いわねえ」
何が悪いんだ!
頭か!
さっき中秋君に言われたことを引きずって卑屈なわたし。
「良子、ハイ」
ほどなく母がわたしに受話器を返した。
そこには満面の笑み。
そして。
「感じのいいクラス長さんねー」
……は?
……え?
「ちょっ……もしもし?!
アンタいつから学級会長になったの」
スキップに近い足取りでキッチンに戻る母の後姿をちょっとちょっと振り返りながら、小声で慌ててツッコミを入れる。
『出てこいよ。ランドにいるから』
そして唐突に電話は切れた。
ツー、ツーと鳴る受話器を呆然と耳に当てていたが、肩で一度息をついて、私はそっと灰色の電話機に受話器を戻した。
……中秋。
訳がわからない……ッ!!
それでも、きっと母を丸め込んでわたしの外出を許可させたはずだ。
「おか~あさ~……ん」
遠くから覗くように母の様子を窺う。
恐る恐る近付く。
食器洗浄機から洗い終えた食器を片付けながら、振り向いた母はにっこりと微笑んだ。
「みんなランドで学習会してるんですってね。
良子のこと心配で、一緒に勉強しないかだなんて。
いいクラスねえ」
あああ、そんな簡単な。
「……行って来ます」
ランドとは、この界隈で一番大きなショッピングモールのフードコートの名前だったりする。
冬休みだけあって当たり前の大賑わいだった。
呼び出しに素直に応じてはみたものの、なんなんだろう。
ランドの大きなオープンウインドゥ越しに、中秋君が見えた。
コートの奥まった小さな二人用のテーブルだけど、ピンクな頭はやはり目立つ。
あいつはあれで受験するつもりなんだろうか。
開口一番そんなことを指摘したら、個性派、と一言返された。
「遅せーよ」
「遅くないわよ、あれからすぐ出てきたんだから」
「だよな、化粧とかに時間掛かんなくて何よりだぜ」
すっぴん万歳。
ぴちぴちの中学生ですとも。
「で、なんだっての」
「おごるから」
「…………は?」
「給料の差額想定分、おごるから。
それでチャラといこーぜ」
さらりとそんなことを言う。
わたしが脱力したのは言うまでもない。
「中秋君、あのね」
「座れよ、いいから。
ついでにわかんねーとこ教えてやるから。
持ってきたんだろ? 勉強道具一式」
そりゃ母にああ言われた手前、重苦しい大荷物になってしまうほどテキストやらなんやらをかばんに詰めてはみたものの。
……うん?
そのつもりだったのか。
ほんとに心配してたのか。
……わたしの成績を。
「いやそれはそれで悔しいというか辛いものが」
「なんだよブツブツ」
不満気に中秋君が振り返った。
わたしはかぶりを振って、つい。
「やさしいねえ」
敵を誉めるようなことを口走ってしまった。
中秋君の動きが止まって。
「いつもやさしいだろ」
捨て台詞のように言葉を残して駆け足で去る。
「わたし果汁百パーセントのジュースじゃないと飲めないから」
その背中にオーダーを掛ける。
聞こえたかしら。
「……とりあえず、いっか」
オーバには今夜にでも伝えよう。
鞄からテキストを出して、広げる。
さっきまでめくっていたページにしおりが挟んである。
ペンケースからお気に入りの綺麗な水色のシャープペンを取り出す。
休戦協定。
すごい剣幕で怒られそうではあるが、多分中学生と言う本分を鑑みるに、とてもプラスに働くだろうと思う。
受験放棄だけは絶対にできないし。
有給休暇とかないのかな。
中秋君はカット売りのピザとオレンジジュースをトレイに入れて帰ってきた。
ちゃんと聞こえていたらしい。
食べるが先か、英語の長文問題に取り掛かる。
明るいお正月の歌が流れてきた。
次第にそれが聞こえなくなるほどに、向かいで斜めに腰掛けた中秋君の叱咤激励の文句があられのように降り注いだ。
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