第2話

 ゾンビ犬からは爪と牙だけ回収してあとは湿地帯の肥やしになってもらうことにした。肉も皮も腐ってるからしかたがない。


 二人で水筒を回し飲みして、六層の探索を再開。ゾンビ犬程度がこの階層の主というわけでもないだろうし、周囲を警戒しながら霧の奥へと進んでいく。


 十分ほど歩き続けていると、「あの、真人さん」とウィザが話し始めた。


「なんだ?」

「ひとつお聞きしたいんですけど」

「うん」

「真人さんって、彼女とかいるんですか?」

「……はぁ?」


 急になんの話かと思って立ち止まる。


 ウィザは藍色の瞳に緊張の色を滲ませながら俺を見上げていた。


「こんなときになんの話だよ」

「真面目な話です。教えてください」

「どこがどう真面目なのか教えてもらおうか」

「恋人の有無は今後の二人の関係に大きな影響を与えると思うんです」

「たとえばどんな?」

「仮に真人さんに恋人がいた場合、フリーのわたしは嫉妬に狂って正常な判断ができません」


 真面目ってなんだろう。俺はそう自問せずにはいられない。


「じゃあ別れろっていうのかよ」


 俺がそういうとウィザは目を剥いた。


「え、嘘……いるんですか、彼女……」


 彼女の反応を見て、俺は思わず噴き出した。


「いないよ」

「はぁーよかったぁ」

「よかったのか?」

「ええ、とてもよかったです。この上なくいい結果です」

「それはどういう意味で?」

「それをわたしに言わせるんですか……? やだ……恥ずかしいです……」


 頬を赤らめてもじもじと体を捩るウィザ。


 きっとあまり彼女を知らない人からしたら自分に気があると勘違いするかもしれない。


 けれど俺にはわかる。彼女の考えていることがそれはもうよくわかる。


「視聴率のため、だろ」

「えへへ、バレましたか。こういうこと言うと受けがいいんですよねー。ね、皆さんも楽しんでくれましたかね?」


 ウィザはそういいながら端末を確認した。


「ほうほう。あー、やっぱりみんなそう思うんですねー」

「……どんなコメントが届いてるんだ?」

「真人さんが騙されなくて残念ってコメントが二割と、さっさとくっつけばいいのにってコメントが八割です」


 下世話な話だ。


 俺たちはそんな関係じゃない。


 信頼できる仲間だし、なによりウェザは妹みたいな存在だ。


 つい甘やかすから懐かれてるのはわかってるけど、恋愛に発展するような仲じゃない。

 

「そっか」

「ずいぶんそっけないですね」

「俺たちがそういう関係になるなんてありえないだろ?」

「そうですか? わたしはありだと思ってますけど」


 ちょっとまて、それってどういう意味だよ。


「おい、それって」

「あ、真人さん。あっちの地面は乾いてるみたいですよ」


 小走りで先に進むウィザ。


 なんなんだよまったく、気になること言わないでくれよ。


「あんまり離れるなよ。なにかあったときに対処できないだろ」

「大丈夫です。いざとなったら転移装置ポータルで離脱しますから」


 俺たちの腰には青い水晶のようなものがぶら下がっている。これはダンジョンからギルドの転移ルームに一瞬で戻ることができる道具だ。


 あくまでも本体が設置されているギルドに行くことしかできないので、前回まで進んだ階層に戻るような使い方はできない。


 ダンジョン攻略には無くてはならない必需品だが、過信は禁物だ。転移装置を使うまでもなく死んでしまったら元も子もないからな。


 それに転移装置は発動から転移完了までタイムラグがある。三十秒程度だが、状況によっては致命傷になりうる時間だ。


「真人さん、こっちこっち」

「おい、だから待てって----ウィザ!」


 先行するウィザの足元にワイヤーが見えた。彼女の足がワイヤーに触れてピンが抜ける。


 俺はとっさにリュックサックを掴んで後ろに引き倒した。


「きゃう!」


 小さな悲鳴を上げて尻もちをつくウィザ。直前まで彼女が立っていた場所に、すとと、と矢が刺さった。


 人為的に見える罠だが、恐らくこれは自然発生したものだろう。ダンジョンにはこういった不可思議な罠がいくつもある。


 発動させたり解除しても、しばらくするとまたどこかに罠が復活している。


 各階層の構造も日によって違うし、本当に不思議な場所だ。


「大丈夫か?」

「あ、ありがとうございます……」


 矢をみて顔を青ざめさせていたウィザを助け起こす。


 俺たちは細心の注意を払って先へと進む。


「霧が濃くなってきましたね」

「ああ……」


 前に進めば進むほど霧が濃くなり、視界はかなり悪い。数メートル先すらよく見えないほどだ。


 ふと、霧の一部が揺れた気がして、俺は足を止めた。


「どうしました?」

「しっ。静かに」


 姿勢を低くして近くの岩陰に身を隠す。


 どこからか、ずぅん、ずぅん、という地響きが聞こえてきた。


 音はどんどん近づいてくる。


 やがて俺たちの目の前に姿をあらわしたのは、黒い鱗を全身に纏った竜だった。


「こ、黒竜……」

「あれは無理だ……やり過ごすぞ」


 二人で黒竜が遠ざかるのを待つ。


 もう少し。あと十歩くらいで霧の向こうに姿が隠れるはずだ。そうしたら逆方向にゆっくり歩き始めればいい。


 あと七歩。六歩。五。四。三。二。


 あと一歩のところで、黒竜は足を止めた。


 なんで止まったんだ。はやく行け。行ってくれ。


 心の中で願うも、黒竜は長い首をせわしなく動かして周囲を見回している。


 そして俺たちが隠れている岩を見て、ゆっくりと近づいてきた。


(近づいてきてますよ)

(いいか、俺が合図したら逆方向に走り出せ。煙幕を使う)


 ウィザは頷き、俺はスモークグレネードのピンを抜いた。


「行け!」


 スモークグレネードを黒竜に向かって転がす。大量の煙が噴き出してあっという間に黒竜を包み、俺も走り出した。


「ギャオオオオオオオオオオオオオオ!」


 凄まじい咆哮が背中に叩きつけられる。


 ちらりと振り返れば、黒竜が羽ばたきで煙と霧を吹き飛ばしていた。


 さらに二つのスモークグレネードを足元に落とした。


「真人さん! こっちです!」


 ウィザの背中を追いかけ、岩や枯れ木といった遮蔽物を伝うように移動していく。

 

 次第に枯れ木が減って岩が多くなってきた。相変わらず濡れていはいるが、足元も石造りのしっかりしたものに変わってきている。


 なんだか雰囲気が変わってきたぞ。このまま進んで大丈夫なのだろうか。


「真人さん! 急いでください!」


 前を走っていたウィザが振り返りボウガンを構えた。


 どひゅひゅ、と発射された矢が耳元を通り過ぎる。


「ギャオオオオオオオオ!」


 背後から黒竜の苦し気な咆哮が聞こえた。


「やったか!?」

「一発、目に刺さりました! 今のうちに先へ進みましょう!」


 石畳の上をひた走る。


 すると左右に奇妙な石像が並び始めた。どれもこれも頭の上に二本の角を生やしており、蝙蝠のような翼を背に備えた悪魔のような姿をしている。


 なんだ、ここは。


 なにか、いやな予感がする。


----引き返して!


 どこからか女の声が聞こえた気がして立ち止まった。


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