第35話 妖狐の親分さん

 「よく来たわね」


 神社に向かって声を掛けると、奥からゆっくりと大きな魔物が歩いて来る。

 九つの尻尾を持った大きな狐だ。


 その魔物は低めの女性・・のような声を発した。


「お主」


 狐色をした、もふもふな体。

 九つの尻尾はどれも抱き心地が良さそう。

 だけど、その眼光は鋭く、見た者をおびえさせる。

 

 そんな魔物の登場に、コメント欄には一斉にその名前が書かれた。


《九尾!?》

《九尾の狐じゃないか!》

《すんげえ迫力!!》

《かっけえ……》

《低めの女性の声だな》

《雰囲気あるなあ》


「こんにちは。イナリさん」

「その呑気のんきな挨拶、相変わらずのようじゃの」


 この魔物は九尾の『イナリ』さん。

 前に、ショッピングモールの復興を手伝ってもらった妖狐ようこ達の親分だ。


《イナリさん!!》

《そのまんまと言えばそうだけどw》

《よくこれにそんな可愛い名前付けたなw》

《怒られないのか……?》


 その名前に反応したコメント欄。

 俺はハッとして弁明する。


「この名前を付けたのはおじいちゃんですよ」

「そうじゃ」

「前に会った時に、イナリさんから名乗ったんです」


《おじいちゃんかあw》

《それなら仕方ない……のか?》

《知らない所で株が上がり続けるおじ》


 一応は納得してもらえたらしいので、話を進める。


「して、今日はわらわに何の要件じゃ」

例の物・・・、持って来たんです」

「……ほう」


 イナリさんは目をより細めて、俺のことをじっと見つめた。

 

「遅くなってごめんなさい」

「よい」


 妖狐達の手を借りる時、イナリさんとは約束を交わした。

 今度「何かをお供え物をする」というものだ。

 今回、地下三階に来た目的はこれを届けることだったんだよね。


 でも、イナリさんは鋭い眼光でじっと見つめてくる。


「お主。言っておくが」

「は、はい」

「わらわはお供え物には厳しいぞ」

「そう言われるとプレッシャーです……」


 威圧するような低い声。

 失敗したらおそわれちゃうかも。


《ヒエッ》

《怖いよ……》

《これは失敗できねえぞ》


「でも、俺なりに頑張って選んでみました」

「よかろう。では受け取るとしよう」

「はい! 僕が持って来たのは……これです!」


 腕にかけたエコバッグから、お供え物を取り出す。


「油揚げ!」


 俺はそれを手一杯に広げた。

 買いたてほやほや、値段のシールまで付いている。


 ──だけど。


「……さま」

「え?」

「貴様ぁ!」


 それを見た瞬間、イナリさんは大きく目を見開く。

 後ろに付いている尻尾もゴゴゴゴと伸び、全てがこちらを向いた。

 いつでも攻撃できる態勢なのかもしれない。


《ホシ君!?》

《それはなめすぎだって!》

《いくらイナリだからって!》

《ダジャレしてる場合じゃないぞ!》

《やばいやばいやばい》

《怒らせちゃってるよ!!》

《今すぐ謝ろう!》


「あ、あの──」

「貴様、どうしてこれを選んだ」

「なんか好きって聞いたことあるなって」

「……ほう」


 一度目を閉じた九尾さん。


「よくもやってくれたのう」

「……!」


 次に開くと同時に、九つの尻尾を一斉に伸ばす。

 ──油揚げに向かって。

 

「それはわらわの大好物じゃ!」


 そして、急に子どものように明るい声で喜んだ。


「お主、やるのう!」

「んもーなんだよ」


 それからイナリさんは、わーいわーいと油揚げを胴上げしながら、一本の尻尾で俺の肩をバシバシ叩く。

 どうやら喜んでくれたみたい。


《無事だった……?》

《まじでビビった》

《画面の前で思わず力入っちゃった》

《優しい人なのねw》

《イナリかわいくて草》

《九尾さんw》


「ん」


 そっか、俺はイナリさんが良い人だって知ってたけど、視聴者さんは初見だもんね。

 ビビッてしまうのも仕方ないかも。


「あ、じゃあこれも大丈夫かな」

「なんじゃ?」

「これは迷ったんですが、どうぞ」


 俺はさらにエコバッグから取り出した。


「『いなり寿司』です」

「なんじゃと!?」

「さすがにやりすぎかなと思っ──」

「それも大好きじゃ!」

「うわっ」


 イナリさんだから、いなり寿司。

 これは自分でもどうかと思ったけど、イナリさんはまた無邪気な声を出して、尻尾でひょいっとすくい上げる。

 油揚げと合わせて嬉しそうに掲げた。


《はあ良かったw》

《一安心》

《怒ったら怖そうだったからな》

《なんか怒らなそう》

《やはりホシ君が一歩上手うわてなのか?》

《相変わらず物怖じしねえw》


「イナリさんは良い人ですよ」


 そうして、コメント欄と会話をしていると、そちらに興味を持ったようで。


「そういえばお主、これはさっきから何なのじゃ?」

「前に少し話した『配信』です」

「ほう! これが例の!」


 イナリさんは目をキラキラと輝かせてカメラに近づく。

 この距離は多分、相当どアップになってる。


「おーい! 人間どもよ、見えておるかー!」


《うおっ!?》

《ちっかw》

《こうして見ると美人》

《顔までもふもふの狐さん》

《すっげえもふもふ!》

《気持ち良さそう……》


「イナリさん。近いそうです」

「そ、そうじゃったか!」


 ハッとしてカメラから離れるイナリさん。

 それから、思い付いたように後ろを振り返った。


「そうじゃ! お主らも出てくるがよい!」


 声を上げたのは『妖狐ようこ神社』の方。

 どうやら子分に声を掛けたみたいで、その声に反応して妖狐達がぞろぞろと出て来た。


「おー! みんな久しぶり!」

「「「こーん!」」」


 実に一週間ぶりの再会だった。


《きゃー!》

《なんだこいつら!》

《めっちゃ狐出て来た!》

《かわいいいいい》

《こっちは小っちゃいのね笑》

《配信で言ってた子達ね!》


「そうです、この子達が妖狐達です!」


 視聴者さんに少し話はしたけど、見せるのはこれが初めて。

 俺もその姿を見て思わず駆け寄る。


「元気にしてたか~」

「「「こーん」」」


 まさに狐色という体のもふもふ達は、口をつーんとこちらに向けて、一斉に可愛い鳴き声を上げる。

 俺の手は、考える前にその子達をなでなでしていた。


「かわいいなあ」

「こん!」


《ホシ君てめえ!》

《ずるいぞ!》

《俺にもモフらせてくれ!》

《かわいいなあ》

《これは癒し空間》

《魔境の中に癒しあり、ですか》


 若干荒れたコメント欄だけど、これは気持ちが分かる。

 それほど俺も妖狐達を気に入っていた。


「むう……」


 だけど、そんな俺たちをジト目で見つめるイナリさん。


「どうしました?」

「お主、わらわにはそんなことせぬくせに」

「え?」


 イナリさんはぷくっと頬をふくらます。

 何か怒ってるみたい?


《ホシくーんw》

《イナリさん嫉妬中》

《撫でてほしいってw》


「え、じゃあイナリさんも撫でて──」

「もういいわい!」


 イナリさんはぷいっと顔を逸らしてしまった。

 顔も少し赤くなっているように見える。

 

「ごめんなさい。何か無礼があったなら……」

「そうではないわ!」


 つーんとするイナリさん。

 どうすればよかったんだ。

 そう思っている内に、イナリさんはやがてチラっとこちらを向いて口を開いた。


「お願いを一つ聞いてくれれば、許してやらぬこともないぞ?」

「お願い? どんな?」

「うむ」


 イナリさんはこくりとうなずいて宣言する。


「わらわは地上に行きたいぞ!」

「えー」

「なんじゃその返事は!」

「だってー」


 俺は考えていることを渋々説明した。


「ここには一応ルールがあると思うんですけど」

「知らない知らない! ルールなんて知らないもん!」

「子どもみたいに駄々だだをこねても無理ですよ」

「むう。人間はこういうのに弱いと聞いたんじゃがな」

「誰情報?」


 多分、おじいちゃん情報だろうなあ。

 そう思いつつ、一番の問題点を指摘する。


「第一、その見た目はどうするんですか」

「……! ふっふっふ」

「?」


 だけど、そう言った途端に得意げになるイナリさん。


「では、こうするまでじゃ!」

「!」


 突如として、イナリさんを隠すようにボンっと煙が立つ。


「これでどうじゃ!」


 そうして、中から姿を現したイナリさんは──。

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