ひじりの病室にて

 未だ意識を取り戻さない逆巻ひじりと対面するのは、想像以上に簡単だった。


 めぐるに教わった病院に向かい、手近なところにいたナースにお見舞いに来たと事情を話し、彼女の案内されるがままに病室に入る。


 六人入りの病室の窓側のベッドに、逆巻ひじりは呼吸器を付けられたまま寝かされていた。


 ベッドの脇に置かれた棚には小型のテレビが置かれているが、使われている様子は全くない。わずかに口を開けた棚の引き出しから、中に詰め込まれた着替えやタオルがこちらに顔を覗かせていた。


 窓からは白いカーテンに遮られた日の光が程よい明るさと温もりを部屋に届け、窓の脇に吊るされた立派な千羽鶴がその恩恵を一身に受けている。


 陽菜に入院した経験はないが、どれも入院中の患者のベッドに置いておくものばかりのような気がする。


 ひじりの体も調べるべきかとも思ったが、そこまですると一緒に病室に入ったナースに怪しまれる上に、下手に体を動かして彼女の容態が悪化してもいけないのでやめておいた。


 話を聴こうにも、そもそも当の本人は未だに目を覚ましていない。


 病室に案内してくれたナースの話によれば手術は成功し、術後の容体も安定はしている。だからこそ、彼女が目を覚まさない理由が分からないという。後はもう彼女の気力に任せるしかないと、半ば匙を投げたようなナースの話を聴いて、陽菜はありがとうございましたと頭を下げた。


 ナースが病室を出て、陽菜は一人部屋に取り残された。


 ベッドの脇に置かれた小さな丸椅子に座り、眠り続けているひじりの顔をみつめて、ぽつりと呟く。


「まるで眠り姫、いや、そのまんまだね」


 未だにその眼を開くことのないひじりの顔を眺めながら、陽菜がぽつりと呟いた。二人しかいない病室がいやに静かすぎるせいで、自分の声が妙にはっきりと自分の耳に届いてくる。


 それだけではない。腰掛けた椅子の軋む音。窓の外で風にそよぐ木の葉の音。どこか遠くから聞こえてくる誰かの足音。普段気にも留めないような小さな音が、ひじりの病室を無音から遠ざけていた。


 まるで周りの空間から切り取られたかのような、そんな不思議な雰囲気の病室で思わず静かに佇みそうになる陽菜だったが、ふるふると首を横に振って思い直す。


 今日ここに来たのは、ひじりのことをよく知るための手掛かりを探すためだ。


 陽菜は病院に着くまでにあらかじめ調べておいた情報と、これまでの考察を思い起こす。


 未だに戻らない逆巻ひじりの意識だけが体を離れ、どうしてか逆巻神社の神様として現れ、今こうして陽菜の前に現れている。荒唐無稽な話だが、そう考えれば彼女が目を覚まさない理由も一応納得はいく。


 だが、分からないものはそれだけではない。


 陽菜が感じ続けている違和感とデジャヴ。


 ひじりの家の神社と、彼女自身の関係性。


 そして、ひじりの目的。


 不可思議なものも分からないものも溢れすぎているせいで、一体何をとっかかりにして考えをまとめればいいのかすらも分からない。


 少なくとも、手掛かりを求めてやってきたこの病室には、特におかしな箇所はないようだが――。


「……いや、ちょっと待て……?」


 陽菜がふと思い出したのは、いつか立ち聞きしたクラスメイトの会話。そして生まれた小さな違和感。


 ぱっと立ち上がった拍子に、座っていた椅子がかたんと音を立てて揺れる。


 そんなことを気にも留めず、陽菜はもう一度、ひじりの眠っているベッドの辺りを確認する。


 ひじり、ベッド、千羽鶴、カーテン、棚、テレビ、着替え、タオル、エトセトラ。


 どれも入院中の患者のベッドに置かれていても不思議ではないものばかり。


 そこに間違いはない。


 陽菜はカバンからスマホを取り出し、スリープモードを解除した。


 ロック画面が表示され、初期設定のままの壁紙の上に、今日の日付と時間が映し出される。


 二〇二一年四月二十五日。


「いや、それはさすがに無理があるだろう……?」


 陽菜の視線が、病室のあるものに向けられる。


 ここにあっても不思議ではない。だが、今あるべきではないもの。


 たった一つ見つけた異物に、陽菜が手を伸ばした。

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