そして二度目の二〇二一年へ
「……これで、次にここに来る頃には三年、か」
一人ぽつりと呟いて、陽菜は背後に建つ校舎を見上げた。
あれから季節は流れ、未だ冬は健在だといわんばかりに冷たい風の吹く三月初旬。二年最後の登校日となるこの日をつつがなく終え、陽菜は帰路に着こうとしていた。
この後は特に予定もない。せいぜい家に帰ってから勉強とゲームに時間を費やすくらいだろうか。
他のクラスメイト達はしばしの別れを惜しむように、めいめい話に花を咲かせたり、春休みの間に遊ぶ予定を組んだりしており、まだ帰る素振りを見せないでいた。
今こうして高校を出ようとしているのは、学校という場にやることを残していない陽菜か、校外にランニングに出た運動部の面々くらいだ。
横を通り過ぎるユニフォーム姿の野球部員達を見送ってから、陽菜が一人校門を抜けようとした、その時だった。
校門の影から陽菜を待っていたらしい人物が、ひょっこりと彼女の前に姿を現した。
「こんにちは、陽菜さん」
「……ひじり?」
思わぬ人物の登場に、陽菜は目を丸くした。
どうして彼女がここにいる? 夢の中のお告げでしか自分の前に現れることはできなかったのでは? 陽菜の頭に次々と疑問が浮かんでいく。
だが、思い返してみれば、陽菜が初めてひじりと出会ったのも逆巻神社だった。あれ以来夢の中のお告げ以外で陽菜の前に姿を現すことがなかったから、現実の世界でも普通に顔を出せることをすっかり忘れていた。
それでも、どうして今、陽菜の前に現れたのかは分からないのだが。
「陽菜さん。そろそろ私と陽菜さんが出会ってから一年が経ちますね」
「そうだね」
「……あれから、陽菜さんの高校生活はよくなりましたか?」
なるほど、彼女が自分の前に現れたのは現状の確認のためか。
初めて出会ってからおよそ一年が経過し、一つの区切りとしてもちょうどいい終業式の日。
改めて、陽菜の思いを確認するにはいい日なのかもしれない。
ならば取り繕うこともないと、陽菜は心からの本音を口にした。
「……そうだね。毎日が刺激的だよ。もう前みたいに、退屈だなんて思えなくなった」
これまで接する機会のなかったゲームに手を出した。
生徒会長に立候補し、学校のためにと活動を始めた。
今までやってこなかったそのどれもが刺激的で、真新しくて、楽しかった。
「それだけですか?」
そんな陽菜の本音を、ひじりは一蹴した。
「確かに私は、陽菜さんの退屈を解消するという願いを叶えるためにここにいます。ですが、もうそれだけじゃだめなんです。足りないんです」
思わぬ返答に陽菜が返す言葉を探している間も、ひじりの話は止まらない。
「私は陽菜さんに、もっと笑っていてほしいんです。もっとたくさんのことに触れて、もっとたくさんの思い出になるようなことをして……。そして、最後は名残惜しいくらいに、心の底から楽しかったと振り返れるような思い出を作ってほしいんです」
今にも泣きそうな、震える声でひじりは言い切った。
目標を一つ達成したら、今度は次の目標に手を伸ばす。もっと上へ、もっと良いものへ。よく言えば向上心、悪く言えば欲望ともいえるその考えそのものは別にいい。
だが、彼女が口にする、その独りよがりな考えはなんなんだ?
ふと、胸に沸いた黒い感情を飲み込んで、陽菜は代わりに至って冷静に言葉を返す。
「……そんなの、今からだってできるじゃないか。高校卒業まであと一年あるわけだし、私の人生がそこで終わるわけじゃない。その先だって――」
「その時にはもう、遅いんですよ」
「遅い? 一体何が遅いっていうんだい?」
「……失言でした。忘れてください」
ひじりはぷいと顔を背けた。どうやら彼女は陽菜に対して何かを隠しているようだ。
隠し事があること自体は別にいい。人間誰しも、知られたくない秘密の一つや二つあってもなんらおかしくはない。
だが、それを今露わにされたことに、陽菜の胸の内の黒い感情はさらに増していった。
そこでふと、陽菜は思い出す。
陽菜は、この目の前の自称神様、逆巻ひじりという存在がどういうものかをよく分かっていない。
彼女の存在を受け入れることに慣れ切ったあまり、彼女のことを知ろうとしなかった。
だが、今更それを悔やんでも仕方ない。
今はあくまで冷静に、正論だけを淡々とぶつけよう。
そうして陽菜はもう一度口を開く。
「第一、そんなことを悔やんでも仕方ないじゃないか。今更この一年間をやり直すことなんてできないわけだし――」
「……できると言ったら、どうしますか?」
「……は?」
ひじりのその一言とともに、世界がぐにゃりとねじ曲がる。
目の前の空間そのものの中に黒い渦のようなものが生まれ、周りの景色が紙くずのようにちゃぐちゃに折れ曲がりながら吸い込まれていく。
今度こそ、陽菜は言葉を失った。
目の前の自称神様は、一体何をしでかそうとしている?
「それでは陽菜さん。また次の二〇二一年でお会いしましょう」
「ひじり? 一体何を……」
陽菜の最後の言葉が言い終わらないうちに、一度目の二〇二一年は幕を閉じた。
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