陽菜とひじり

「え?」


 思ってもみない返答が返ってきて、大翔の口から思わず間の抜けた声が出た。


『逆巻ひじりについて話すのは構わないんだけれど、その前に、ビデオ通話にさせてもらってもいいかい?』


 言うが早いが、暗い画面に通話時間が表示されているだけだった大翔のスマホに、陽菜の顔が映し出された。どうやら彼女は自宅にいたらしく、見慣れない壁紙にはシンプルなデザインのカレンダーが貼られていた。


 話をするのに何か見せたいものでもあるのだろうかと、大翔達はそこまで気にしなかったが、こちらの返答も待たずに唐突に切り替わったのはさすがに驚いた。


『……それじゃ、改めまして、だね。おっと、めぐるちゃんもいたんだね』

「あ、林さん。お久しぶりです」

「え、二人って知り合いだったの?」


 意外なところで繋がっていた関係に大翔が声を上げると、めぐるはこくりと頷いた。


「お姉ちゃんの病院に何度もお見舞いに来てくださっているようで、何度かお会いしたことがありまして」

『その辺りの話もこれからするとして、だ』


 今の話題に一区切りをつける陽菜の纏う雰囲気が、ふと変わった。


 表情にも、口ぶりもいたっていつも通り。だが、明らかに漂う空気にただならぬ緊張感が混じり始めている。


 大翔のスマホの画面を覗き見る三人ではなく、その向こう側、テーブルとテーブルの間の通路に視線を向けながら、陽菜は言った。


『私と佐藤君がひとところにいるんだ。どうせどこかで様子を見ているんだろう? もういい加減表に出てきたらどうだい、ひじり』


 大翔も、涼も、めぐるも、彼女の口から発せられた言葉の意味を理解できなかった。


 先ほどまで話題の中の人物でしかなかった、逆巻ひじりがここにいる? ここには自分達三人しかいないはずだ。


 ましてや彼女は、めぐるの話では事故に遭って以来目を覚ましていない。たとえ呼び出したとしても、そもそもここに来ることなどできないはずなのだ。


 だが、大翔だけは、陽菜が口にしたひじりが誰のことを差しているのかを遅れて理解した。


 これまで散々、アドバイスだ助言だとして、自らの夢の中に介入してきた彼女ならば、あるいは――。


「いいでしょう。その挑発、乗ってあげますよ」


 大翔達の座るテーブルの横、誰もいるはずのない場所からはっきりと聞こえた女性の声。


 陽菜を除く三人が驚き声のした方を振り向くと、そこには先ほどまでいるはずのない人物が立っていた。


 紅と白の巫女装束。そこから伸びる陶磁器のような白く細い手足は、漆塗りの下駄の艶やかな黒と対照的で、お互いの色味をよりいっそう強調させている。


 自分達とそう歳は変わらないであろう、まだ幼げな顔立ちに似合わない胸まで伸びた彼女の髪は、明らかに染めたものではない、透明感のある白色をしていた。


 これでもかというほど現実離れした彼女の出で立ちが、フードコートのど真ん中で異彩を放つ。そんな彼女に、他の来客たちは気付く素振りを全く見せないでいる。まるでそこに誰もいないといわんばかりに、各々自分の目的のためにフードコートを利用するばかりだ。


「おねえ、ちゃん……?」


 かろうじて、めぐるがぽつりと呟く以外、誰もが言葉を失ってしまった。


 そんな中、唯一その場にいない陽菜だけが、その場の空気に一切構うことなくひじりに話しかける。


『やあ、久しぶりだね。ひじり。挑発に乗ってあげると言いながら私の前に現れたということは、実際のところひじりもだいぶ焦っているんだろう?』

「ノーコメントです」


 陽菜の口から発せられるのは、やけに彼女らしくない挑発的な言葉の数々。


 とてもではないが、病院にお見舞いにいくほどの友人に向けて発せられるようなものではないと大翔は思った。


 彼女の考えが分からない。


 画面越しでは、彼女の声色が見えない。


 対するひじりも、陽菜に対して妙につんとした態度を取っていた。


 自分には過ぎるほどに馴れ馴れしい彼女が、今は言葉の節々に棘がある。


 彼女の態度の真意が量り切れない。


 きっと、涼もめぐるも同じことを思っているのだろう。二人のやり取りに誰も割って入ることができないでいる。


 そんな中でもお構いなしに、陽菜とひじりのやり取りは留まることなく続いていく。


『そこで、だ。今回のループは私から一つ提案させてもらう』


 画面の向こうで、陽菜がすっと人差し指を一本立てた。


『おそらく今までのひじりなら、佐藤君が致命的なネタバレを踏んでしまった時点でループを開始して、また最初からやり直していたんだろう。今回は、そのループの事実を知らせながら、最終日まで進めてみることにしないかい?』


「論外です。それをするメリットが私にありません。そればかりか、失敗のリスクすらある陽菜さんの案に、どうして賛同できるのでしょうか?」


『といいつつ、今までと同じやり方を繰り返したところで、もうほとんど意味を成さなくなっていることくらいは分かっているんだろう?』

「誰かさんのおかげで、ですね」


 陽菜の言葉に、ひじりは首を横に振って否定する。


 それを見越したような陽菜の返す言葉に、ひじりはきっと陽菜を睨みつけて応えた。


『そりゃもちろん、私が佐藤君にすべてのネタバレを食らわせれば、ひじりが間髪入れずに次のループに入ることくらい予想できているさ。だから、あくまでひじりに挑むのは佐藤君だ。ヒントくらいは与えるだろうけど、まず私からは何もしない』


 やれやれと首を振る陽菜に、驚いたのは突如として名前が挙がった大翔だった。


 どうしてそこで自分の名前が出てくるのか。


 ひじりに挑むとは一体どういうことか。


「……なるほど、いわば私はラスボスというわけですか」


 置いてきぼりになっていえる大翔達と違い、ひじりは陽菜の言わんとしていることをしっかりと理解しているらしい。


 しばしの沈黙の後、ひじりは渋々と言った様子で口を開いた。


「いいでしょう。乗りました。陽菜さんの挑戦、受けて立とうじゃありませんか」


 ひじりは大翔のスマホ、そこに映し出される陽菜をぴっと指さして宣言する。


「ただし、当然ですが、ループを始めるかどうかは私の匙加減ですので、それをお忘れなきよう」

『ああ、それは私も留意するさ。せっかくのこの機会をふいにしたくないからね』


 陽菜のその言葉を聴いて、ひじりは伸ばした指を下ろした。


「では、私はこれで」


 最後に、ひじりはちらと大翔を見た。同じくひじりの顔を見た彼と目が合う。何かを発しようと口が僅かに開いた。


 だが、結局ひじりは何も言わないまま、ふとした拍子に姿を消した。


 最初から誰もいなかったかのように。

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