保健室送り
「あら佐藤さん。今ちょっといいかしら?」
朝のホームルーム前、教室に向かう大翔を見かけた茉莉香が彼に声を掛けた。
なんてことはない、軽く二、三やりとりを交わせばそれで終わるようなただの野暮用だ。
だが、声を掛けられた大翔から反応がない。
大翔のことを嫌っており、彼にいつもつっけんどんな態度を取る茉莉香に対し、普段の大翔であれば普通に接しようとはしていた。
挨拶をされれば普通に返すし、生徒会で意見を求められれば大翔なりに考えて意見を出す。
姉である陽菜目当てに入った生徒会だが、きっちりと真面目に仕事をこなしている。その点においてだけは茉莉香も彼のことは好ましく思っていた。
それが、今日に限って彼から返答がない。
「ちょっと、佐藤さん? 聴いて――」
無視をきめこむ大翔の態度に苛立ちながら、茉莉香が彼の顔を覗き込み――
彼と、目が合った。
言葉の続きが、茉莉香の口から出てくることはなかった。
思わず茉莉香は一歩後ずさり、息を飲む。
そこでようやく、大翔は茉莉香が自分に話しかけていたことに気が付いた。
「………………ああ、茉莉香さんか。………………ごめん、何か用?」
俯いていた大翔が顔を上げた。窓から入る日の光が、彼の顔を明るく照らし出す。
目の下に薄墨を直接塗り込んだようなクマ。一目で分かるほど真っ青な顔色。目の焦点はあっておらず、目の前に立っている茉莉香の姿すらもとらえきれていない。
彼が異常であることは、目に見えて明らかだった。
「おー大翔。おはようさん」
そんな二人を見つけた涼が、声を掛けながらこちらに寄ってきた。
部活の朝練があったのだろう。雑に着崩した制服の下の肌は少々汗ばみ、頬はほんのり赤く上気している。
そんな涼の陽気な声に反応した大翔が、彼の方に顔を向ける。
瞬間、涼の表情が曇った。
「……大翔、お前どしたんやそれ」
近づきざま、大翔の頬を両手で挟み、動かないよう固定する。そのままじっと大翔の顔を覗きこみながら、涼は静かに告げた。
「お前ほんまにどないしたんや? だいぶ顔色悪いで。連れてったるから保健室行ってちょっと寝てこい。先生には俺から言うとくから」
言うが早いが、涼は大翔に肩を貸し、元来た道を戻り始めた。
肩を貸したその瞬間、涼の肩にずしりと大翔の体重が重くのしかかる。もはや誰かの支えがなければ、まともに立てないほどに疲弊しているのだろう。
「……ありがと……」
ぼんやりとする意識の中で、大翔はどうにか絞り出すように口にした。
それだけしか言えなくなるほどの何かが、彼の身に起きた。
それが何かは分からないが、とりあえず、今はそれだけ分かっていれば十分だ。まずは彼を少しでも休ませることに集中した方がいい。
そう考え、涼はそれ以上大翔に何も聞かないことにした。
首だけ後ろを振り向いて、呆気に取られている茉莉香に話しかける。
「ちゅーわけで林さん。悪いけどこいつ貰ってくな。さっき言いかけてた用件は後で伝えとくから、また教室戻ったら教えてくれん?」
「あ、ああ、別にいいわよ。大した用事じゃないから。それよりも、私も手伝おうかしら?」
「……いや、気持ちだけ受け取っとくわ。それよりも、もし俺がホームルームに間に合わんかったら、保健室行ってること先生に言っといてくれん?」
「分かったわ。それじゃ、そっちはお願いするわね」
そうして彼女と別れた大翔と涼は、肩を組みながら保健室へと向かって行った。
保健室は一年生の教室前から校舎の階段を一つ降り、廊下を左に曲がった突き当りのところにある。
「ほら、手すりはしっかり掴んどき。ゆっくりでええから、落ちんことだけ気いつけえや」
まずは下の階に降りる階段で、涼は大翔に手すりに捕ませた。そこから一歩ずつ、慎重に階段を降りていく。大翔が上手く体重を移動させられないせいか、一歩階段を下りるたびに反動がずしりと涼の肩にのしかかる。
朝のホームルームが始まるチャイムを聴き流しながら、かなりの時間をかけてなんとか階段を降り終えた涼は、廊下の左手側、保健室のある方へと視線を向けた。
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