そして世界はねじ曲がる
一瞬、時間が止まったように錯覚した。
――どうして先輩が、その名前を知っている?
自分だけが知っていると思っていた彼女の存在を、陽菜は知っている。
自分だけが知っていると思っていた彼女の名前を、陽菜ははっきりと口にした。
その声色に、苛立ちと怒気を含めながら――。
「気づいていたんですか」
彼女の呼びかけに応じ、大翔の背後、屋上の出入り口の影から、見慣れた少女が顔を出す。
逆巻神社の巫女さんが着ているものと全く同じの、紅と白の巫女装束。そこから伸びる陶磁器のような白く細い手足は、漆塗りの下駄の艶やかな黒と対照的で、お互いの色味をよりいっそう強調させている。
大翔とそう歳は変わらないであろう、まだ幼げな顔立ちに似合わない胸まで伸びた彼女の髪は、明らかに染めたものではない、透明感のある白色をしていた。
だが、彼女の身にまとう白は今、夕暮れの赤黒さを吸い込んで怪しげな影を落としている。
これでもかというほど現実離れした、悪夢のような光景だった。
本来ここにいないはずの、先ほどまでここにいなかったはずの少女、逆巻ひじりが、二人の前に姿を現した。
「そりゃあ、ね。一度は君のお世話になった人間だ。ひじりの癖はよく知っている」
一度世話になっている。ひじりの癖はよく知っている。
つまり陽菜は、以前からひじりと面識があったということだろうか。
分からない。
「……どうして大翔さんの告白を断ったんですか」
「ひじりが手を貸していたからさ。それにしても、どうしてひじりは、また誰かの手助けをしているんだい? 佐藤君の願い事は聞くくせに、私の話は無視するのかい?」
私の話は無視する。
つまり陽菜は大翔と同じように、かつてひじりに何か願い事をしたことがあるということなのだろうか。
分からない。
「これが私のやりたいことだからです。それが何か問題でも? 何も悪いことはしていませんし、誰も不幸になるようなことは誓ってしていません。むしろ陽菜さんこそ、どうしてそこまで頑なに私の人助けを拒むんですか?」
分からない。
彼女達は、一体何を話している?
大翔の頭に疑問が浮かんで、それがずっと頭の中に溜まり続けていく。
ただ一つだけいえることがあるとすれば、間違いなく、今二人の間に流れている不穏な空気は、気のせいなんかではない。
「……こりゃ筋金入りだね。今回は私が折れるしかないか」
やれやれといった様子で、陽菜は首を振った。
表情はいつもの飄々としたものに戻ったが、声色だけは、様々な感情が混ざり合った色合いをしている。
「あの、二人は一体、何を話して……」
「……そうだね。佐藤君はまだ知らなかったか。いや、覚えていないといった方が正しいね」
震える声をやっとの思いで絞り出した大翔が訊ねる。
それに対し、陽菜は淡々と答えた。
「とはいえもう時間がない。悪いけど、今この場で一から説明するのは無理だ」
陽菜が首を振る。
「だからこそ、もしも今日のことを覚えていられたのなら、君にやってほしいことがある。逆巻めぐると接触して、逆巻神社に何が祀られているのかを、次の卒業式までに調べておいてくれ。おそらくそれで全部繋がるはずだ」
「待ってください。次の卒業式ってなんですか!?」
「今言った通りさ」
大翔の問いかけに、陽菜はそう答えるだけだった。
今の言葉だけで、一体何を理解しろというのだ。
「さて、ひじり。どうせもう始めるつもりなんだろう? 一思いにやっておくれよ」
「ええ、そのつもりです。これ以上、お二人の関係の進展は望めそうにありませんから」
陽菜が笑って訊ねる。ひじりが首を振って応える。
そして、ひじりがきっと陽菜を睨みつけた。敵意や悪意ではない、どこか、決意を秘めた瞳だった。
「絶対に、絶対に私は諦めません。大翔さんの願いを叶えるためなら、何度だって二〇二二年をやり直します」
「ならば私は、何度でも君に抗うことにするよ。とはいえ、私の力じゃ大したことはできないと分かっているけれども……」
ぴっと指を差すひじりに、口元に指をあて何かを考えるようなしぐさをして陽菜が答える。
そして、その視線を大翔に向けた。
「佐藤君。最後の鍵を握るのは君だ。どうか頑張ってくれたまえ。幸運を祈る」
彼女の言葉に、大翔は何も言い返せなかった。
何を言えばいいかもわからないまま、それでも何かを口にしようとした時、世界はぐにゃりとねじ曲がった。
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