第四章 二〇二二年四月二十三日(二)
逆巻神社のお手伝いさん
ひじり曰く、彼女は逆巻神社に祀られている神様なのだという。それを信じるのならば逆巻神社に、彼女に繋がる手掛かりがあるかもしれない。
特に予定のない週末の土曜日、午前中の時間を怠惰に潰した大翔は、ふらりと立ち寄った逆巻神社の鳥居を見上げながら、そんなことをぼんやりと考えていた。
神社の鳥居を潜り抜け、境内に入っていく。休日の昼間ともなれば近所の老人が散歩に来ることも少なくないが、見渡す限り今日はそういった人もいないようだ。
ひじりと出会ってから少し時間は経ったものの、逆巻神社の景色はそう大きくは変わっていない。鳥居の真正面にはそれなりに立派な本殿があり、右手に手水、左手に物置や寄合所。
大翔が中央を走る石畳の道を一歩踏み出した時、ふと、物置の方に誰かがいるのに気が付いた。
地元の中学校の制服を着た女の子が、物置を開いて中を物色している。ただでさえ人の少ないこの神社に中学生がいること自体珍しい。
一体、神社の隅の方で何をやっているのか。
泥棒かなにかかと訝しむ大翔は、足音をひそめながら彼女の背中へと近づいていった。
物置を探っている音に紛れているせいか、それとも物置の中に集中しているのか、彼女は大翔に全く気が付いていない。やましいことをしていたとしても、そうでなくとも、ここまで周囲の気配に鈍感なのはどうなのだろうと思いながら、大翔はその女子生徒に声を掛けた。
「あの……、何やってんの?」
「え?」
大翔の声に、少女が振り返る。
思った以上に近くにいた大翔に驚き、彼女の体は大きく跳ね、足元に転がしていた物置の中身を盛大に蹴り飛ばす。
あっ、と少女が声を上げたつかの間、物置の中身ががらがらと大きな音を立てながら雪崩のように足元に広がっていく。
それに今度は大翔が驚いて思わず後ずさった。
一歩引いた脚の裏で、石畳と玉砂利が擦れる音すらかき消されるほどの騒音が止み、最後に小さな木箱がこてんと転がり落ちて雪崩は収まった。
再び静けさを取り戻した境内の片隅で、大翔と少女は思わずお互いの顔を見合う。
黒と紺の制服から伸びる陶磁器のような白く細い手足は、少々日に焼けて赤くなっていた。
まだ垢抜けない幼げな顔立ちに、肩の辺りで切り揃えたショートカットの黒髪。慌ただしくあたふたしたがら頭を下げる彼女は、中学生相応のあどけなさに溢れている。
最近は陽菜や茉莉香のような、大人びた女性と関わることが多いおかげで妙に新鮮に映った。
「すみません。驚いてしまって、つい……」
「いや、俺も悪かったよ。急に声かけたのはこっちだし」
お互いぺこりと頭を下げ、それから大翔はもう一度、神社の物置を漁っている彼女は何をやっていたのかを聞いた。
大翔の質問に、少女は身振りを交えながら説明する。
「物置から箒を取ろうとしていたのですが、どうも奥の方にしまっちゃっているみたいで……。中のものを一旦片づけるので、少し離れておいてもらってもいいですか?」
「それはいいけど、ほうきって……、ここの掃除でもするの?」
「そうですよ?」
何を当たり前のことを、といった様子で、きょとんとしながら彼女は答えた。だが、大翔にはどうしてそれが当然のこととなるのかが分からない。
それからやや間があって、彼女もそれに気付いたらしく、ああと一声上げた。
「そうですね。ただの中学生が神社の掃除に来るなんて、普通じゃなかったですよね」
頬をかいて照れくさそうに彼女はそう言った。
「そういえば自己紹介もまだでしたね。私の名前は逆巻めぐる。この逆巻神社の管理をおこなっている、逆巻家の人間です」
そう言ってめぐるは、大翔に深々と頭を下げた。
めぐるの言葉に続くように、大翔も自己紹介を済ませ、彼女の言う通りさらに一歩離れる。
物置の隅にいたらしい竹箒を引っ張り出し、周囲に散らかしていたものをまとめて物置に直してから、めぐるは境内を掃き清め始める。
そんな彼女に、大翔は邪魔にならないよう少し離れたところから話しかけた。
「じゃあ逆巻さんは、たまに神社に来て掃除だったりをやるんだ」
「めぐるでいいですよ。神社の管理は普段は父が行っているのですが、その手伝いということで、私も来ることがあるんですよ」
自分の身長とあまり変わらない大ぶりな竹箒を、めぐるは慣れた手つきで操りながら大翔の質問に答えていく。それだけ、彼女は父の手伝いを行ってきたのだろう。
掃除の手を止めないまま、めぐるはふと笑って言った。
「それにしても、さっきはびっくりしましたよ。この時期は神社に人がいることは少ないですから、いきなり声を掛けられるなんて思いませんでした」
「それ神社の人も思うんだ」
「むしろ、神社の人だから思うのかもしれませんね。他の人よりも、ここに来る回数は多いですから」
「確かに」
「とはいえ、商売でやっていることじゃないですから。人が少ないからといって、何か悪いことがあるわけでもないんですけどね」
言われてみれば、それもそうだ。
神社は一般的な店のような商売を行っているわけではない。詳しいことは分からないが、参拝客の数が少ないからといって、それが神社の経営に大きく響くようなことはないのだろう。
もし関係があるのならば、この神社はとっくの昔に姿を消していてもおかしくはない。
そんなことを考えながら、ふとした拍子に浮かんだ質問が大翔の口をついて出てきた。
「人が少なくて、寂しいとかって思ったことはないの?」
「それは……、あまりないですね」
大翔の言葉に、めぐるはきっぱりと答えた。
彼女の声色からして、嘘は吐いていない。
「うちの神社はいつもこんな感じですからね。それに、私の居場所はここだけってわけじゃないですし」
なんてことのないように答えた彼女の言葉に、大翔はなるほどと頷いた。
彼女はたまに神社の手伝いに来るだけの、どこにでもいる普通の中学生だ。午前中に学校の用事を済ませてからここに来たという彼女は、大翔が自堕落に時間を潰していた朝のうちに他の生徒や先生と会っている。
「それに、私はこの雰囲気、好きですよ?」
ふと、めぐるは箒を操る手を止めて、彼女を見つめる大翔と視線を合わせた。
ぱっちりと開かれた彼女の瞳が、まっすぐに大翔の顔を見つめる。
それからふいと、めぐるは目線を神社の周囲へと移していく。大翔もそれにつられて周囲を見渡した。
石畳と玉砂利を掃く音が止み、辺りは木の葉が風に揺られる音だけが響く。
眩しいくらいに差し込んでくる陽光は木々に遮られ、暑くもなく、寒くもなくといった空気が辺りを包む。
住宅地の真ん中にあるはずの神社が、ふとした拍子に静寂に包まれた。
まるで時が止まってしまったかのような錯覚を覚える大翔が、ぽつりと呟く。
「確かに、これはいいな」
「でしょう? この時期の新緑もいいですけど、葉っぱが少し色づいた秋頃もまたいいんですよ」
「もしかして、その時にまた来いって言ってる?」
「いえいえ、そんな」
照れ笑いと共に返ってきためぐるの声は弾んでいた。きっと本当にそんなことは思っていなかったのだろうが、大翔の言葉を耳にして、それもいいなと考え直したのかもしれない。
彼女の声色は、初めて出会った時とは比べ物にならないほど弾んでいた。
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