第三章 二〇二二年四月二十一日(二)

自称神の怒り

「だめですね」


「え?」


 入学してからしばらく経ったある日、いつものようにひじりが助言のために夢を見せている中、開口一番に彼女の口から出てきたのは大翔へのダメ出しだった。


 あまりに唐突なことだったため、大翔も何事かと思わず聞き返す。


 そんな彼の悠長な態度が気に入らなかったのか、ひじりが早口で捲し立て始めた。


「『え?』じゃないですよ! 入学してからそろそろ二週間くらい経ちますけれど、大翔さんと陽菜さんとの仲、全然進展してないじゃないですか!」


 彼女の言う通り、入学から半月経った今もなお、大翔と陽菜の関係は生徒会の先輩と後輩以上のものにはなっていない。


「とはいっても、俺も生徒会の仕事はこなしてるんだけれど……」


 だが、ひじりの言葉に、大翔はほんの少しだけ反駁する。


 大翔自身、できるだけ陽菜の力になれるよう生徒会の仕事には人一倍熱心に取り組んできた。


 その甲斐もあり、大翔は陽菜以外の先輩達からもそれなりに評価してもらえるようになりつつある。


「甘い、甘いですよ大翔さん」


 そんな大翔の言葉を一蹴し、ひじりは首を振る。


「確かに最初はそれでよかったかもしれません。ですが、いつまでもそれだけでいいはずがないじゃないですか。これからはもっと別の方法も試しながら、陽菜さんとの距離を詰めないと!」


「とはいっても、ここからどうすればいいのかよく分かんねえし……」


 反論しようと大翔が口を開くも、基本的にひじりの言うことはごもっともだ。それに加え、生徒会の仕事量は入学直後に比べてかなり落ち着きつつある。


 だからこそ、今他の手段を考えなければ、陽菜との関係を縮めることなどできるはずもない。


 最初こそ勢いよく口から滑り出た言葉は徐々に失速していき、やがて最後まで言い切ることなくフェードアウトしていった。


「いけませんね? いけませんよ! そんなものは恋愛に消極的になっていい理由にはなり得ません!」


 そんな彼の態度についに腹を立てたのか、ひじりはぴんと指を立て、大翔の胸をまっすぐに突く。


「もっと!」


 突く。


「がつがつと!」


 突く。


「攻めの姿勢を貫かないと!」


 とどめの一撃といわんばかりに、ひじりの人差し指がひときわ強い力で大翔の胸を突いた。


 少し後ろに大翔の体が揺れる。


「いや、だから、その攻めるやり方が分からないんだっての!」


 それを一気に引き戻し、大翔が言い返す。


 これまで恋愛とは無縁の生活をおくっていた彼のことだ。仲のいい友人こそ数いれど、異性としての関係になる方法は考えたこともない。


 そんな大翔に、ひじりはため息を吐いた。


「まったく仕方ないですね……。まあ、そんなときのために私がいるわけですからね」


 やれやれといった様子で首を振り、ぴんと立てた人差し指をもう一度大翔に向ける。


「でしたら、まずはそのよそよそしい呼び方をどうにかしてください」


 きっと大翔を睨むひじりだが、彼女のまだあどけなさの残る顔立ちのおかげで、それほど迫力も威厳も感じられない。


 それに気付いているのかは分からないが、ひじりはそのまま話を続ける。


「あれから何度もチャンスはあったと思いますが、未だに大翔さんは陽菜さんのことを苗字で読んでいるじゃないですか! そんな状態から、はい、それでは今から付き合いましょう。とはなりませんよ?」


「そうかもしれないけど、もう林先輩呼びで定着しつつあるし……」


「甘い、甘いですよ大翔さん。定着しているから、で済ませていい問題ではありません。むしろ本当なら、定着させる前に対策すべきことだったんですからね?」


「といっても、どうやって? 今更名前呼びにするって、けっこう不自然じゃない?」


 相手との距離を詰めるために重要なことであるならば、大翔が苗字呼びを定着させてしまったのは確かに悪手だ。


 だが、相手への呼び方を一度定着させてしまえば、それ以降変えるのは難しくなる。


 大翔がそれを指摘すると、ひじりは先ほどまでの威勢を突然どこかに放り出し、もじもじとぎこちなく呟いた。


「そこはそう、なんとかうまい感じにしてですね……」


「いや待って、一番大事なところはノープランなの?」


 大翔の言葉を耳にして、ひじりは頬を膨らませる。


 しまったと、大翔は発言した直後に後悔した。


 だが、もう遅い。


「元はといえば、対策してこなかった大翔さんが悪いんですからね? 今回は罰です。どうやって呼び方を変えるのかは、大翔さん自身で考えて実践してください!」


 完全に怒らせてしまったひじりに一声かける前に、大翔の視界は突然ホワイトアウトした。


 目を覚ました大翔はがばっとベッドから起き上がり、荒く息を吐く。


 夢から覚めたことを確認し、大翔は頭を抱えた。


「やっちゃったな……」


 今回の指示を、大翔は自分の力だけで乗り越えなければならない。


 普通ならばそれが当たり前なのだ。そう割り切ろうとしても、心のどこかでひじりの助言を求めてしまっている。


 だが、ないものねだりをどれだけやっても、ただ時間をいたずらに浪費するだけだ。ひじりが最初に言った通り、タイムリミットが存在する大翔には無駄にできる時間などない。


 頭を掻き、大翔はベッドから立ち上がった。

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