ホームルーム(後編)
「まず、大翔が高校に入学して、真っ先に生徒会に入ったこと。そんな真面目そうなやつでもなければ、内申点気にしてるようなやつでもなさそうやったから、なんか変な感じするなーとは思ってたんよ」
「あれ、もしかして今俺けっこう貶された?」
「それで今、自分の好きな人が誰か分かるかーなんて聞かれてなるほどなってなった。生徒会の中に気になる人ができて、その人目当てで生徒会に入ったってんなら辻褄は合う。あとはその気になる人が誰かやけれど――」
大翔の言葉を完全に無視して、涼は話を続ける。
ふと大翔の疲れた顔をちらと見て、涼はふっと笑った。
「入学してからそこそこで、俺らみたいな新入生でも噂になるような生徒会所属の人っていうたら、もう生徒会長さんくらいしかおらんやろ。入学式の在校生からの挨拶、あれめっちゃ凄かったもんな」
涼の言葉をきっかけに、大翔は入学式のことを思い出す。
粛々と進行していく入学式だったが、ほんの微かな、誰も気にしないほどのざわめきは確かにあった。
例えば、まだ真新しい制服から発せられる衣擦れの音。
例えば、長年使われ続けて古くなったパイプ椅子の軋む音。
例えば、隣り合った生徒がひそひそと耳打ちし合う話し声。
高校生活という新しい環境を前にして、どこか浮ついた気分で入学式に臨んだ新入生達。そんな彼らを迎え入れる教員や教育委員会の面々。平常心でいられない人間が何百人と集まっているのだ。一つ一つは小さくとも、寄り集まれば大きなざわめきになる。
そんなざわめきを、彼女は足音一つで踏み潰した。
在校生からの挨拶で名前を呼ばれ席を立つ。新入生達の横を通り登壇する。壇上に用意されたマイクの前に立つ。
その一つ一つの所作が、あまりにも細部まで洗練されていた。され過ぎていた。
それこそ、彼女の姿を目にした人物から順番に、氷漬けにでもされたかのように、水を打ったかのように静まりかえるほどに。
林陽菜が手にした原稿を開く、かさりという小さな音すら列の最後尾まで届くほどの静寂の中、彼女は落ち着いた声で挨拶を読み上げる。
おそらく、ほとんどの新入生は、彼女の話した挨拶の内容などろくに覚えていないだろう。
それほどまでに彼女の挨拶は、その場にいた全員の眼と心を奪っていた。魅了したといっても過言ではない。
挨拶の後、一礼する彼女に対して送られた拍手が、明らかにタイミングを逃しまばらになってしまっていたのがその証拠だ。
「……お前すげえな。将来探偵にでもなれば?」
机に突っ伏しながら、大翔は愚痴にも似た声を上げる。
涼は陽菜のスピーチを賞賛しているが、彼自身の洞察力も大概異常だ。
だが、大翔の冗談に涼はやれやれといった様子で首を横に振った。
「探偵って、依頼内容のほとんどが浮気調査らしいで。俺そんな仕事したないわ」
そして、そのすぐ後、涼はにやりと笑みを漏らす。
「それで、好きな人がバレた大翔くん? 君は一体先輩のどこに惹かれたんや?」
「お前、それ……」
涼にせっつかれ、大翔の顔がすっと赤くなる。
とはいえ、ここで黙っているのも格好がつかないので、大翔はなんとか言葉を探した。
「先輩の……声、っていうか、声色? っていうか……」
彼なりに言葉を選び、しどろもどろになりながら話す大翔に、ついに堪え切れずに涼が声を上げて笑い始めた。
そんな彼に大翔が「てめえが言えって言ったんだろが」と小突く。
さすがにからかい過ぎたと思ったのか、目尻にたまった涙を指で拭い、涼が顔の前で手を振った。
「悪い悪い。ちょっとからかい過ぎた。まあ詫びってわけちゃうけど、相談くらいは聴いたるから」
機嫌を悪くする大翔を、涼が軽くなだめる。その証拠にと、今はなにか悩んでることはないのかと、涼が顎でしゃくってみせた。
まだからかう様子はあるものの、相談に乗ることと、大翔を応援しようという気持ちに嘘はないらしい。大翔は、少しためらいながらも今の悩みを打ち明ける。
「林先輩となんかいい感じに距離を詰めるには、どうすればいいかなって」
「なるほどなあ……」
大翔の言葉に、涼が腕を組んで考え込む。
「ま、最初は名前覚えられるところからやな。先輩の仕事横取りするくらいに手伝うとかすればええんちゃう?」
涼の言葉に大翔が頷きかけたところで、狙いすましたかのように涼が言葉を重ねた。
「ま、あの人見るからに完璧超人やからな。だいぶ難しい気はするけども」
「てめえ」
大翔がもう一度涼を小突こうと腕を伸ばすが、それを察知した涼が自分の席に戻る方が速かった。そのまま彼を追いかける間もなく、朝のホームルームのチャイムが鳴る。向ける先を失った腕を引っ込め、大翔は不完全燃焼のまま席についた。
にやにやとこちらを見て笑う涼に、大翔は鬱陶しそうに前を向けと顎でしゃくった。
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