廃刀令

るつぺる

ペディグリーチャム

「あんたー! ご飯できてるで!」

 今日も忙しない母上である。拙者は今、深い瞑想にて己、つまり自身最大の敵と相対しておる最中というに。

「早よ食いなあ! 冷めてまうで!」

「もう直ぐ掴める! ほっといて!」

「麻婆オムレツやで! あんた好きやろ!」

「もうすぐなんや! 麻婆オムレツは好き!」

 いかん。武士たるもの麻婆オムレツごときにうつつを抜かして士道切腹。母上は剣の道をまるで理解しておらぬ。拙者の覚悟は古来江戸の世を刀一つで

「早よ食いなてえ!」

「勝手に入ってくんなよ!」

「あんたまたやらしいことしてたんか!」

「またってなんだよ! 拙者はただ!」

「拙者やめえ言うたやろ。お母さんあんたの将来がほんまに心配。何? 厨二病いうの? 治ればええで? せやかてあんた頑固やさかい」

「うるせーーーーッ もう少ししたら食べるから出てってくれや!」


 母上を追い出した途端、滲む額の汗に夏を感じる。平時ならば寺子屋の時間。なれど今は夏季休暇とふざけた時期である。おかげでうるさい母上と顔を合わせねばならぬわけだ。何が厨二病か。拙者は侍だぞ。それに拙者はもうすでに他の不治の病に罹っているのだ。猫アレルギー、こればかりはいかんともし難い。拙者が猫アレルギーに罹患したのはいつぞやか。祖母の邸宅で飼われていたミィ。拙者がまだわらべの頃、犬みたいなデカい猫のことを虎だと思っていた。だがそのふくよかな肢体は心地よく会えば抱きしめ仕ったもの。ところがいつからかミィに触れれば鼻はナイアガラ、喉奥は藪蚊に刺されたかのような苦しみに悶えるようになった。町医者は言った。「猫アレルギーやね」拙者は泣いた。ミィ、猫アレルギーではお前を抱きしめられない。ならば拙者は刀をとろう。せめてお前を守るため。侍、爆誕。武士道とは死ぬことと見つけたり。

「オムレツ食べたら庭のメダカに餌やっといてな」

「自分でやれよ」

「なんや! 家おるんやからやってくれたらええやない!」

「わああったよ! おっきな声だすな!」


 渋々庭へ出る。日差しはきつく熱は夏い。メダカは火鉢に水を溜めてそこに放していた。なんだかんだで二匹が十匹になった。拙者は猫アレルギーの鼻炎持ちゆえ毛の生えた動物は軒並みアウトにござる。かつては縁日で捕らえたミドリガメをベルマーレ平塚と名付けて愛でたが平塚は二日で姿を消した。愛はいつもゆきすぎる。

 火鉢に目をやると猫が一匹、縁に前脚をかけて水面を見つめていた。ミィ、まさかな。目を擦ると似ても似つかぬ猫だった。しかし器用で風流な猫よ。メダカを見つめて物想いに耽るとは。拙者がインフルエンザに罹患した後治りかけで河川敷を出歩くと川面で狸が歯を磨いていたのを見たことがある。おそらくは病の見せる幻覚だったがこの猫にはあの狸の面影を見た。端的に言うと可愛かったのである。まるで背伸びをしたかのような愛くるしい姿。特にぷりぷりの尻。猫尻は喰みたいくらいである。拙者は猫が好きなのだ。しかし世は非情でままならぬ。母上は鬱陶しく猫は抱きしめられない。とはいえ隣で共にメダカを見遣るくらいは良いだろう。触れねばどうということもない。幾らか鼻がむず痒いだけ。拙者は猫のとなりでウンコ座りに興じた。武士たるもの厠も和式の心得である。しかし懐こい猫よ。人が横に居っても堂々としている。視線は鉢の中一点。

「拙者が病でなければな、許せよ」

 ガボンッ

「は?」

 グビグビグビグビグビグビグビグビグビグビグビグビグビグビグビグビグビグビグビグビグビグビ

「おま! 何やってんねん!」

 ズバババババババババババババババババババババッッ

「まさか! お前ーーーッ!」

 ギュボーーーーッーーーッーーーッンンンン!!

「やめろーーーッーーーッーーーッンンン」


 ミッションコンプした猫は足早に走り去った。少しかさの減った水、だいぶ減ったメダカ、拙者のライフはもうゼロよ。愛はいつだって裏切られる。メダカは猫に飲まれ、拙者は刀を置いた。

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廃刀令 るつぺる @pefnk

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