第3話 話に置いていかれる
局長室というから、広いホールのような部屋や格式高い家具で固められた執務室を想像していたのだが、実際はこじんまりとした1人用のオフィスだった。狭い部屋の壁に沿ったファイルキャビネットとスチール製の机は、どこか学校の職員室を彷彿とさせる。机を照らす電灯は時々チカチカして、調査局の懐事情がなんとなく想像できた。
「局長、お連れしました」
初めて望月さんの敬語を聞いた。同時に僕は不審に思った。部屋に入ったとき、人の気配がしなかったのだ。てっきり先に部屋で待つことになっていると思っていた。
「うん、ご苦労様」
だからびっくりした。さっきまでそこにいなかったのに、机の向こうには男が立っていた。いや、そこにいたのに気付かなかった。
「望月さん」
「ん?」
「気配が、しなかったんですけど…これってあの人の能力ですか?」
質問に答えたのは、望月さんでなく男性の方だった。
「あぁいや、これは特訓したのさ。練習すれば君もできるよ」
柔和な笑みを浮かべた、歳の頃は40代ぐらいだろうか。眼鏡の奥の瞳が柔い光を宿している。
「はじめまして。私は家入優介と申します。君の名前は?」
そこまで聞かれて、まだ望月さんに名前を言ってないことを思い出した。アノマロカエルの処理やらなんやらで忙しかったのもあるし、望月さん自身がそういう名乗りに無頓着なのかもしれない。
「えっと…柿田杮で、す」
途中で言い淀んだのは、うっかりペンネームを明かしてしまったからだった。
(うわぁ〜…何やってんだ僕…あまりにも本名を使わなすぎてついペンネ使っちゃった…)
その間にも家入さんは「柿田くんだね」と返しつつ、望月さんから僕の契約書を受け取っている。今更「ごめんなさいペンネームです」なんて言える雰囲気じゃなかった。まぁ柿田杮という名前は本名より気に入っているし、これでいいということにする。
そもそも世間に存在が知られないよう、厳重注意を払っているような組織だ。戸籍が見つからなくてもどうとでもなるだろう。僕は保護されるだけだし。
そんな考えを巡らせていると、家入さんが僕達の近くに来た。厳密に言うと、僕の真正面に。
「ちょっとごめんね」
何に対しての「ごめんね」なのか分からずにいると、突然家入さんに顎を掴まれた。所謂「顎クイ」である。
「うわ!?」
「静かに」
即座に望月さんに制される。家入さんはまじまじと僕の顔を眺める。超近距離で見た家入さんの顔は綺麗だった。年季の入った感じはあるが、草臥れたという感想は抱かせない。人並みに言えば「こういう歳の取り方をしたい」といったところか。
「局長、どうですか?先程は寄生物の動きを止めたそうなのですが」
「うーーん…これは……」
どうやら僕は検査されているらしかった。僕の能力は何なのか、それは僕も知りたいところだ。しかし、家入さんはずっと唸るばかりで一向に結果を話してくれない。
「柿田くん」
「は、はいっ!」
「付いてきてくれない?」
ようやく顎を離したかと思えば、スタスタと部屋を出ていく家入さん。戸惑っている間に、望月さんも行ってしまう。
「まっ、待ってください!」
そうして、局長室内の人数は0人になった。
□
家入さんを追いかけてやって来たのは、やけに広いホールのような場所だった。刑事ドラマで見た射撃場や弓道場から、目盛りが書かれた床まで、"いかにも"な訓練場だ。調査局の局員であろう人たちが、カカシを木刀で斬りつけたり、取っ組み合いの訓練をしたりしているのが見受けられる。
目盛りの1番最初に立っていた家入さんが「こっちこっち!」と手を振る。望月さんといい彼といい、ここには見た目の割に幼い人が多い気がする。もっとも、まだ2人としか出会っていないのだから思い違いだろうけど。
「よし。それじゃ、私の言った通りに動いてくれるかな」
「は、はい」
家入さんが口を開いた途端、部屋にいた全員の視線が僕に集まった。遠くに、僅かな話し声が聞き取れる。
「何をしている!訓練を続けろ!」
「はっ、はいッ!」
しかしその視線も、望月さんの叱責で元に戻った。望月さんも実は地位の高い人なんだろうか。
「じゃ、まずはアレを止めてみて。君の家に来たやつにお見舞いしたみたいに」
家入さんが指差した「アレ」とは、まっすぐこちらに向かってくるロボットだった。ただ速度が尋常じゃない。瞬きする間に5mは距離を詰めてくる。
「え、ちょ、あれ、大丈夫なやつ…!?」
「ほら、止めてみて」
逃げることも出来ない状況下で心臓は一気にバクバクだ。混乱したまま息を吸い込む。
「とっ…止まれッ!!」
渾身の叫びの結果は。
「あ…あれっ?止まれ!止まっ、止まれ!なっなんで!?」
ロボットは一切止まる様子を見せず、見事な等速直線運動でこちらへやって来る。どうすればいいか分からずに家入さんを見上げると、涼しい顔でピッとリモコンを操作していた。さっきまで鬼のような形相で(顔は無いが)走っていたロボットが嘘のように動きを止める。
「おかしいなぁ…今みたいに止まれって言ったら、止まったんだよね?」
「はい…」
うーん、と家入さんが口元に手を当てて考え込む。そして後ろを振り返った。
「ねぇ、焔ちゃん」
「はい?」
「柿田くんに能力の説明、した?」
「え、あっ」
明らかに望月さんの様子がおかしかった。
「さては忘れてたな?」
「いやっ、ちょっ、聞かれなかったので…」
家入さんは長いため息をついた。望月さんは柄にもなくアワアワしている。僕はただ困るのみだ。
「焔ちゃんは後でお叱りとして…柿田くん。」
「はっ、はいっ!」
家入さんはニンマリと笑った。
「授業するよ」
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