第2話

03

 色気づいた枯葉が、葉風はかぜに攫われ宙を舞う。

 もう秋なんだなと心の中で呟くと、その台詞の可笑しさに思わず薄ら笑いを浮かべた。

 女心と秋の空──いや、この場合は春蘭秋菊倶に廃すべからず・・・・・・か。

 校内放送の曲はいつの間にか切り替わっていた。

 チャイコフスキーの「くるみ割り人形」花のワルツ。

「いいな〜」続いて「羨ましい〜」と、別のクラスの女子生徒達が口々に言った。

 眼前に繰り広げられる少女漫画フィールド、女子達からすれば夢のある一幕だろう。

「やっぱり菅原先輩かな〜。超紳士だし背高いし」

 垂れ目で背が高い男子は菅原というのか。先輩だから二年生か三年生。

「え〜? ウチは鶴喰つるはみ君派〜。可愛いし」

 可愛いってことは多分あの色白の子だな。

 遅れて気の弱そうな子が「私は、久我先輩・・・・・・かな」

 消去法でウルフカットの八重歯な男が久我。

 説明ご苦労。

「夢咲、どうなんだよ。俺より、このボンヤリ野郎とナヨナヨがいいのかって聞いてんだよ」

 久我がそう言って問い詰めると「君は声が大きいね? あんまり彼女を怖がらせないでおくれ」と、菅原が言葉を挟む。「ああ?」  菅原と久我は睨み合って牽制しあっている。鶴喰は顔を真っ赤にしてそれどころでない様子だ。

 何故か見ているこっちが恥ずかしくなる。

 俺はポケットに手を突っ込んだまま、壁にもたれ掛かる。

「まあまあ、私で争わないで? ね?」

 そんな鉄板な返しするな! 余計に恥ずかしくなる。

「ち、ちゃんと答えを聞かせてください」

 鶴喰がやっとの思いで声を出す。

 今にもプシューと蒸気が噴出しそうで心配になる。

「ええぇ、急にそんな、困っちゃうな私」

 夢咲はそう答えながら一歩、二歩と後退する。

 俺はもう、このやり取りを見るのが疲れてしまったので、教室に戻ろうとした。 

 その時。

「これにてドロン!」と、およそ女子高生とは思えない捨て台詞を吐いて、逃走を図った────こっちに。

「ええ!?」

 俺は猛スピードでこちらに向かってくる女子高生を見て素っ頓狂な声を上げた。

 あっという間に距離を詰められる。

 回避行動は間に合わない。かくなる上は・・・・・・。

 衝突した瞬間、俺は彼女の体を両腕で包む。

 そのまま踏み留まろうとしたが、思惑は外れ、仰け反り、背中は床へと叩きつけられる。

 ドサッと重い音が響き、同時に肩部と広背筋に痛みが走る。周りはギョッとしているのか、固まったまま数秒の沈黙が流れる。

 俺はハッと我に返り、腕を解いた。

 夢咲は直ぐに立ち上がり「ごめんなさい!」と、謝った。

 手を差し伸べられたが、俺は自力で立ち上がる。

「あの、怪我はない? 大丈夫?」

「大丈夫。そっちは?」

 夢咲は上目遣いで「全然、君のお陰で」と言った。

「そうか」と俺は淡々とした調子で答え、目もくれず教室へ戻ろうとした。

「え?」と、夢咲は驚いた。

「ん?」

 俺は振り向く。

 すると慌てた様子で「いや、えーっと、うんなんでもない!」

 俺は首を傾げ、軽く考えを巡らせる。

 そうかなるほど。

「ああ、同じクラスメイトだってことに驚いたのか?」

 我ながら悲しくなる質問だ。

「違うよ!! 三紙君でしょ? それくらい知ってるよ!」

 怒った。

「そ、そう」

 気圧けおされ、俺は一瞥して自分の席へと戻ったのであった。

 ・・・・・・何だったんだ?


 駅の二番線ホーム。俺は椅子に座りながら、電車が来るのを待つ。

 プラスチック製の所謂シェルチェアタイプのベンチ。設置された当初こそビビッドな青色の塗装がされていたと思われるが、今は色褪せてしまっている。

 寄り道もせず、真っ直ぐ下校しているのに、すっかり日は暮れてしまっていた。

 俺はカバンから本を取り出す。海外のSF小説だ。技術の進歩により、火事が起こらない未来。消防士は有害図書を燃やす仕事に取って変わった。有害図書と言っても、ほぼ全ての本が該当してしまうディストピアな訳だが。

 読み耽っていると「せーんぱいっ」と、声が聞こえた。

 少し顔を上げる。栗色のショートヘア、快活な幼顔と薄焼けの肌を持つ女子。嵯峨野夏希さがのなつきだ。

「ああ、夏希か。てかお前もう中三だろ? いいのか、こんな所で油売ってて」

「やだなぁ、私も下校中ですよ」

「いや、お前の中学の区域はこの駅使わないだろ」

 はははと、誤魔化し笑い。まあいいか、こいつが不意に現れるのは今に始まったことじゃない。

 夏希は隣に座る。

「そういえば──」

 俺は唐突に話題を振る。

「知っているはずの人間なのに一瞬、誰だっけってなる現象について、お前何か知らないか?」そう訊ねると、分かりにくかったのかポカーンとした表情を浮かべた。

「つまりだな」と咳払いして続ける。

「ずっと同じクラスメイトで、約半年も顔を合わせているはずなのに、誰だこの人?ってなったりする現象って何か知らないか?」

「あ、ああそういうことですか、てっきり私の事かと思っちゃいました」

「ん?」

「いえ、気にしないでください。んーあんまり聞いたことがありませんね。その人とはよく話したりしますか?」

 俺は少し考えた。記憶を辿る。奇妙な事に、どれも輪郭がボヤけていてハッキリとしない。

「・・・・・・多分、ないと思う」

「そうですか。じゃあ答えは簡単ではありませんか? 全く話したことない人なら、印象も残らないでしょうし」

「まあ確かに。だけどさ、その人すげー目立つんだよ」

「ふうん。でもその人は先輩にとって、そういえば居たな〜程度の人ってことなんじゃありませんか?」

 納得はいかないが、そう考えるのが妥当だな。

「まあ、人間の記憶はいい加減だからな。よく話すお前でさえ、どうやって知り合ってどうやって仲良くなったのか正確に覚えてないし」

「はい! そういう事にしときましょう」


04

 上履きがフローリングを摩擦し、音がこだました。体育の授業でバレーボールをやっている。

 ふぅ、と一息つきながら俺と竹彦は腰を下ろした。男子は休憩タイム。女子は今まさに紅白試合をやっている。

 一人がトスすると、夢咲が垂直に跳躍し、鋭いスパイクを放った。際どいコースへ落下し、得点になる。

 これで、彼女は三点目だ。

「はは、夢咲は何やらせてもスゲーわ」

 俺は驚きながら「もしかして、アレでバレー部じゃないとか言わないよな?」

「オマエなぁ、バレー部は深瀬。夢咲は初心者」

 前者は俺だって何となく知ってた。問題は後者だ。

「あれが初心者ねぇ・・・・・・」

「分かるゼ、信じられないよな」

「バレー部員は立つ瀬がないな」

「立つ瀬じゃなくて、深瀬な」

 チョップをかましてやった。


 昼休み、本でも読もうかと思い立った時、夢咲がこちらへ駆け寄ってくる。

「ねえ、三紙君」

「へ?」

「昨日は本当にごめんね。何かお礼したいんだけど」と、両手で人差し指同士を合わせたり、クルクル回しながら言った。

「いや、別にいいよ」

「良くないよ!」

 そんな事言われましても。

「大袈裟だって。よくあることだろ?」

「え、私、ハグされたの初めてだよ?」

 人聞きの悪い事を言うな。

「とにかく、何かお礼させて欲しいの」

 これでは埒が明かない。何か、彼女を納得させる方法はないか。軽い頼み事とか? でも、何がある? 考えろ・・・・・・。

「──あ」

 俺は学ランを脱いだ。

「え!? そういうのはちょっと!」

「何勘違いしている? ボタン、ほら袖口の辺り。外れちゃってるだろ? これを縫って欲しいんだけど、頼めるか?」

 そう、あのまま放置してしまっていたのだ。

「本当だね。うん! 任せて!」と学ランとボタンを抱えて勢いよく飛び出して行った。

 それから少し時間が経ち、昼休みも終わろうとしていた頃、彼女は戻ってきた。

「じゃーん!」

 そう言いながら、学ランの袖を広げた。

 おお、早い上に、ちゃんと出来てる。

「流石だな。本当に助かるよ」

 受け取ってもう一度見てみると、赤い糸で縫われていた。

「ごめんね、赤しか無かったの」

 出来ることなら黒でやって欲しかったが、仕方がない。

「サンキュー」

 俺は学ランに袖を通して、着席した。頬杖をついて、家に帰ったら何をしようか考えていると、まだ夢咲が留まって居ることに気がつく。

「ん?」

 一瞬だが、さっきまでの溌剌はつらつとした笑顔が消え失せ、素の表情をしていたように見えた。

 直ぐにいつもの笑顔に戻ってウインクをした。そのままスタスタと自分の席へと戻った。


 昇降口、外履きに履き替えてつま先を二回ノックして整える。

 後ろからタタタ、と小走りで駆け寄る音が聞こえ振り返る。

 夢咲天里ゆめさきあめりだ。白い髪がフワッと揺れ、それをつい目で追ってしまう。

「三紙君、一緒に帰ろうよ」

 なっ──。

 周りから注目され、冷や汗をかいてしまう。

「い、いいけど・・・・・・」

 俺たちは並んで歩く。校門を潜るまでが遠い。やはり周りの目が気になる。

 分かってはいたが、夢咲がここまで注目の的だとは。

 さっきから動揺し過ぎだ。これでは、非モテ全開ではないか。クールを装え。

「言っておくが、俺はこれから駅前で買い物する」

「そうなんだ。じゃあデートだね」

 彼女は照れくさそうに、言葉を返した。

 比較的新しめな花屋を通り過ぎ、横断歩道で立ち止まる。

 深呼吸。宵の明星を見つめた。

「付いてきても、何も面白くないぞ」

「気にしないよ」

 気にしない、か。そうだ、俺は何を自意識過剰になっているのだ。ならばこちらも、一切気を遣わない。

 配送トラックが目の前を通り過ぎると、冷たい風が吹き、俺の浮かれた熱をもかっさらって行った。

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