厭劇のヒロイン

@apri_lfool

第1話 

厭劇えんげきのヒロイン

プロローグ 

 私が私を嫌いになるまでに、さして多くの時間はかからなかった。

 この地味な顔も、この普通の名前も、このいびつで陰鬱な性格も。そして何より、頭抜けた才能が何一つとしてなかった凡庸さも、その要因たり得た。 

 しかし、私が私を殺すまでに、多くの時間がかかったように思う。

 挫折の繰り返し。人生の惨さを知っておきながら、私は初めて夢を志してしまった。

 漫画家。我ながら上達はしたと思う。絵も物語の組み立ても。

 それでも天才や鬼才には敵わないと分かっていた。故に高校を卒業し、漫画のノウハウを学べるデザイン系の専門学校に入った。

 講師の朱森ユミコ──正直、彼女が何の分野で活躍し、実績を残した人物なのか理解してない。印象としては、サブカルオタク風の風変わりな女性。エスニックなファッションが似合ってない、煌びやかな人。

 ある日のこと。課題で制作した、私の力作をみた彼女による批評はこうだ。

「うーん・・・・・・結論から言ってしまえばつまらない。伝えたいことが煩雑で分かりにくい。自信がないのかな、エゴが見えない。今回のテーマである、ナラトロジーにおける主人公の出発は──」

 もうそこからは、頭が真っ白でよく覚えていない。

 挫折まみれの人生を映画のフィルムのように再生される。

 ・・・・・・そうか、これが走馬灯って奴なのか。

 彼女を殺すか、それとも自分が死ぬか。そんな考えから抜け出せなかった私が嫌いだ。

 溺れ、苦しさに藻掻くこともとうに出来なくなり、意識が薄れゆく。

 今際の際で願う。

 ──生まれ変わったら、幸せになれますように。


01 

 午前八時半頃。俺は校門を潜り、欠伸あくびをした。

 眠たい目を擦ると、雲隠れしていた太陽が顔を出した。日光が眼球を刺激し、思わず片手で遮った。

 昇降口の手前に差し掛かかった時、誰かに背中バシッと叩かれ「よう!」と聞き覚えのある声が聞こえた。

 俺は振り返る。

「竹彦か」

 笹浦竹彦ささうらたけひこは、中学生の頃からの友人である。短髪で、目鼻立ちがハッキリとしていてる。俺よりも身長が高く、如何にも運動部男子って感じだが、いつもライトノベルを読み耽っているオタクだ。

三紙碧みかみあお君、落し物です」

 竹彦はニヤリと笑いながら、突き出した拳を開いた。掌には、学生服用のボタン。  俺は着用している学ランを確認すると、確かに袖口付近にあるはずのボタンが一つ外れていた。

「おお、本当だ。よく俺のだと分かったな」

「真後ろに落ちてあったからな。感謝しろよ?」

「はいはい」と、言いながら受け取りポケットにしまう。

 そのまま俺たちは教室へ向かう。一年D組、何の因果か同じクラスである。腐れ縁と言うに相応しい。

 教室に入り、賑やかな空気に包まれながら、俺は一人の生徒に目が移る。

 真っ白な髪、驚くほど整った顔は人形のようで、瞳は青く宝石みたいに煌びやかだ。花も恥じらう、そんな美女。

 ──誰だっけ?

 そんな疑問が浮かぶ。同時に、覚えてないことが可笑しいとさえ思えた。

 彼女は複数人の男女に囲まれて、和気藹々わきあいあいと歓談している。そんなさまを見て、俺は自分の疑問に対する興味が失せた。

 どうでもいい、そう心の中で呟く。


 数学の時間。2次関数だ。

 数学は俺にとって唯一の得意分野だった。といっても、それは中学校までの話だ。

 中学生の頃、俺は数学を徹底的に勉強した。何故かと言えば、みんなが苦手な科目なら一番になれる可能性があると、そんな風に考えていたからだ。

 俺は他者の興味が如何に恐ろしいか知っていた。

 小6の時、クラスで一番勉強が不得手だった奴がいた。日本史の授業で戦国時代に入った辺りから、そいつが飛ぶ鳥を落とす勢いで成績を伸ばした事実を知っていたからだ。

 どの分野においても、俺はそういう奴には勝てないとその時確信した。自分が凡人だと理解していたから。

 しかし結局、今の俺には数学は得意でも何でもない科目になってしまった。 

 ・・・・・・理由は語りたくない。 

 そんなことを考え耽っている間に、授業は淡々と進んでいく。

「じゃあ、例題。次の2次関数グラフをかけ。また、その頂点と軸を求めよ」

 教師がそう言うと、問題を板書した。 

 y=2x²+8x+3

 俺はノートに式を書いて解いてみる。

 すると、すぐに教師が「はい、そろそろ指名しますね〜じゃあ夢咲天里ゆめさきあめりさん」 

 ん? と俺は首を傾げた。

 先生はクラス間違えてるのか? そんなクラスメイトいない筈だが・・・・・・。

「はい!」と、クラスのど真ん中から元気な声が聞こえた。立ち上がったのは、白髪の美女。

 ああ、夢咲さんか。俺はなんて阿呆な疑問を持ったのだろう。

 夢咲さんは、正真正銘うちのクラスメイトではないか。薄情な自分を恥じなければ。

 彼女は求められた頂点(-2、-5)と軸 x=1を導き、十字のグラフに谷のような放物線を描く。

「はい、正解です」と教師は拍手すると、クラス全体も拍手で賞賛した。

 俺も周りに準えて拍手する。

 あれ? 高校では生徒が正解したら拍手する風潮があるんだっけ? いや、どうでもいいか、見事見事。

 次の問題も、その次の問題も、夢咲さんが指名され正解する。

 続く日本史も英語も現代文も、夢咲さんが指名される。その度に正解。


02

 昼休み、俺は竹彦と学食で昼食を食べていた。喧騒──今日は一段と居心地の悪さを感じる。

 俺はカレーを口に運びながら突拍子もなく訊いてみた。

「なあ、夢咲さんって一体何者なんだ?」

「へ?」

 竹彦は手を止めて「夢咲?」と、考える素振りをした。

「ああ、夢咲か」

「やっぱりお前も引っかかる所があるのか?」

「あるね」 

 おお、と俺は安堵して「というと?」と続けて訊いた。

「オマエが、特定の女子に興味津々な所」

 落胆した。

「ちげぇよ。俺みたいな日陰者が、あんなキラキラした女子に気があるわけないだろ。俺が気になったのは、そんな高嶺の花のことを今まで忘れかけていた自分自身のことだ」

「どゆコト?」

 だよなぁ、と自身の疑問の意味不明さに打ちひしがれる。

「よく分からねーけど、夢咲のこと知りたいんだったな。人気者さ。眉目秀麗、文武両道、温厚篤実、まるで欠点がない。男子にモテモテさ」

 まあ、イメージ通りだな。話を聞きながら調整豆乳のパックを手に取り、ストローを刺す。

「女子生徒達から妬まれそうだな」と言いながら豆乳を飲み、喉を鳴らした。

「そういう話は聞かないな。だから完璧と言われる所以なんだろーな。敵を作らない」

 完璧ねぇ。その言葉に気色の悪さを覚え、己の人間の小さを痛感する。

 カレーを食べ終えて、ウェットティッシュで口元を拭いていると、何者かからトントンと肩を優しく叩かれた。

 俺はゆっくりと振り返る。潮真衣うしおまい、クラスメイトの女子だ。

「三紙君、昨日未提出だった課題ちゃんと出した?」

「あ・・・・・・」

 持ってきてはいたが、提出するのをすっかり忘れていた。それを聞いた竹彦が悪い顔してカカカと笑った。

「笹浦君も人事じゃないでしょ? 評定下がっちゃうよ」

「委員長〜そんな悲しいこと言わないでくれ」

「マジ助かったよ。午後一で出してくる」

 潮は溜息混じりに「もう、三紙君はもう少ししっかりしてると思ってたのに」と言った。

「コイツ、阿呆だからな。さっきだって、夢咲のこと忘れてた何とか言って」

 おい、言いふらすなや。

「夢咲さん?」

「ところで潮は夢咲と親しかったりするか?」

「えーっと・・・・・・」

 暫く潮は考え込んだ後「全然話したことないかも?」と歯切れの悪く言った。 

 潮ならもしかしたらと思ったのだが、当てが外れたか。俺は腕組みをしながら少し考え事を巡らそうとした。

 潮が眉をひそめながら「いいから早く出してきなさい」と言った。

 俺は慌ててトレイを持ってその場を後にした。


「失礼しました」

 軽くお辞儀し、職員室のドアを閉める。

 校内の放送ではバッハの『ブランデンブルク協奏曲 第五番 ニ長調 第三楽章』が流れている。

 廊下で騒ぐ男子生徒達、それを横目に歩く。

 目の前でバサッという音と共に、しゃがみ込んだ若い女教師。ファイルや筆記用具を落としてしまったらしく慌てている。

 俺は床に散らばった文房具を集めて手渡すと、はにかんだ表情でお礼を言われた。照れくささを感じ、俺は足早にその場を去った。

 教室へ戻ると、窓際でクラスの男子達が談笑していた。俺はその輪に混ざる。

「三紙はどっち派?」

「何の話だ?」

「胸か尻か」

 猥談かよ。まあどっちかと訊かれると──。

「尻だな」

「うわっこいつ絶対むっつりだ!」

「ほっとけや」

 すると、女子達の黄色い声が聞こえ、何事かと見渡す。どうやら廊下で何か行われているらしい。

 俺は気になり、廊下に出てみる。

 少し離れた場所に居たのは、夢咲と言い合いになっている三人の男子生徒。誰なのかは知らないが、一つハッキリとしている事はその男子らは全員美男子であることだ。

 ウルフカットで犬歯の鋭い男が「オレ以外いねーだろ」と言い、垂れ目で長身な男が「私では駄目ですか?」と言い、中性的で色白な男が「僕を選んでください!」と言った。

 唖然──何だこれは。

 まるで少女漫画のワンシーンではないか。

 ・・・・・・この時既に、俺はある種の非現実的な推察が浮かんでいた。

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