第33話 忘れてしまったこと

家に帰ると、何か違和感を覚えた。急いで靴を脱いで家の中を駆け巡る。

「何かを忘れている。忘れてはいけない、何かを忘れている、なんだ?」

 家具の位置、冷蔵庫の中、参考書の種類。家中探しても、何を忘れているのか、すらわからないことが、また心に焦燥感を植え付けた。

「何かが足りない。でも、それはなんだ?なんなんだ?」

この日は悶々としながら、ベッドに入ることになった。シグマからの報告よりも頭を駆け巡る何か。どれだけ考えても思い出せないのが気持ち悪かった。

だが、この日以来、違和感を感じることはなかった。家に帰っても、特に何もない。普通。違和感があったことが不思議だった。


 次の休日、インターホンが鳴って目が覚めた。訪問販売か宗教勧誘だと思い二度寝を決めこむが、何度も鳴り続け二度寝どころじゃない。

「・・・」

 この手の人間は中に人がいると分かれば一気に雪崩れ込んでくる厄介な人たちだ。ネットでも度々話題になっているから対応しないのが一番だ。そう二度寝に理由を付けて枕に顔をうずめる。

 数分鳴り響いたインターホンはぴたりと止むと、今度は携帯が鳴り始めた。枕元にある携帯に不本意ながら手を伸ばすと、画面には神前の文字。急いでベッドを飛び出し、玄関ののぞき窓を見ると。とってもとっても笑顔な神前がいましたとさ。前回のようなワンピースではなく、動きやすそうなジーンズに、ティーシャツで。

 玄関を開けると、ドアを掴み強引にこじ開ける神前。まるでスプラッターホラー映画のワンシーンのようで、思わず手を放してしまい、ドアが全開になる。

「おはよう、治人君」

「お、おはようございます。か、神前さん。今日って、その何かありましたっけ?」

「ちょっと用事がね。前回のようにアポは取ってないけど、シグマから絶対に中にいるって話を聞いていたから」

 取ってつけたような笑顔でこっちを見つめてくる。こんな場所じゃなければ、脳内フォルダに保存していたのだけど。

「あいつなんでわかるんだよ⁉」

「長年の付き合いでもなければ、カメラでも設置されてるんじゃないかなぁ?」

 思わず周辺を見るも、考えてみればシグマの作った世界なのだから監視もできて当然なのだ。それよりも、人を中に入れることはないと散らかったままだ。

「居留守を使ったことは謝りますから、その、要件は何でしょうか?」

「そうね、まず夏日だから中に入れてもらえると助かるかな」

「いやでも、あまり掃除が」

「気にしないから」

「こっちが気にするんです!あと、ちょっと数分だけでも」

「だめだね」

 とっさの静止を振り切り玄関で靴を脱ぎ、こっちを一切見ず、ためらいもなくリビングに入っていった。リビングには大量のお弁当の容器が積み重なり、ゴミが床に落ちているわけではないものの、週二のゴミの日では決して見ない汚さ。どうも急に掃除する気力が落ちず、掃除しておらず、ゴミも二週間に一回出している程度。しかも稀に忘れて三週に一回。

 一人暮らしあるあるだろうが、初めは部屋を綺麗にするためにこまめに掃除するが、半年も経てばサボって周一ペースになる。それがどんどん尾を引き、半月に一回あるかどうかになってきてしまう。“現代”でも同じような状況になっている。

「一人暮らしとは聞いてたけど、もう少し節度を持とう。シグマから聞かされていたけど、ちょっとイメージよりも酷い。いやでも、この状況を見るに元々は几帳面のはず」

 神前の視線の先には溢れかえっているゴミ箱。ゴミ箱を隠すように置かれたゴミ袋は燃えるゴミ、プラゴミ、不燃の種に分けられ、ペットボトルや缶も分別され袋でまとめてある。無意識でまとめていたらしい。

「過去の出来事のトラウマとかかな、これは仕方ない。まったく人の世話をするのは良いけど、自分のことができてないと説得力がなくなるぞ」

「はい、すいません。今片しますので」

「私も手伝うよ」

「そんな、悪い。神前はソファにでも座って」

「こんな状況で座る方が抵抗あるよ」

 明日は月曜日で火、金のゴミの日にはまだ時間があるが、プラゴミは出せる。そもそも、大半がプラゴミなのである程度まとめて、前日投入が可能な賃貸前のゴミ集積ボックスに入れた。この時代からゴミ集積場はカラスの被害を避けるためどこも箱型になった。箱自体を地下に埋め、集積時に箱が上昇しゴミ収集車に直で入れられ人件費も浮くようになっていった。当然ながら“現代”でも、同じだった。

 プラゴミ以外もまとめ、袋を二重にして段ボールの中に閉じ込めてベランダに置いておきカラス対策と臭い対策をした。掃除する中、黒光りする虫やコバエに臆することなく対処していく様は、雄々しく性別の認識を間違えそうになった。俺が古い認識のままなのかもしれないが。

 ゴミ出しだけでなく、掃除機をかけて床を拭き、トイレや浴場までも一通り掃除した後の部屋は汚部屋から、一般的な部屋に様変わり。それでも神前は首をかしげていた。                                                                                                                              

「どうかしました?」

「凄い違和感があるのよ、いえ、一般論からでも、個人的主観からでも、物が少なすぎるわ」

 あるのはソファーとテレビ、勉強に使っている机以外は、冷蔵庫や電子レンジなど生活必需品だけ。テレビも直置きで、個人的なものがほとんどない。強いて言うならば、テーブルの上にあるノートパソコンぐらいなものだ。

「まるで、独身無趣味男性会社員・・・いえ、それ以上に物がない。なさすぎる」

「そうですか?別に苦労はしませんが。ノートPC一台あれば大抵のことはできますし」

「男子高校生でもここまでのミニマリストはいないと思う。シグマが言っていたから来て正解だったよ」

「また何か言ってました?」

「ああ、好きになる人間の本性を見てこいって。正解だった」

 言われてドキッとした。そうだ、なにのんきな会話をしているんだ。おもいっきり嫌われる要因を見せつけて、その上片付けまでさせるなんて。ああ、嫌われたな。もし二度目・・・いや、三度目があるなら気を遣おう。諦めるのは早い方がいい。

 落胆する俺に、神前はにやりと悪い顔で笑った。

「なんというか母性本能をくすぐられるね、ダメな男って」

 安堵感と共に別のことが気になってしまった。

自分のことを悪く言われている・・・のだが、同時に神前の好みが危うい。このままでも神前は好きになってくれるのでは?という悪魔のささやきを振り払って冷蔵庫に向かった。

「あはは・・・麦茶でも飲みます?ペットボトルですけど」

「いただくよ」

 麦茶とコーラ、ちょっとした調味料しかない冷蔵庫から二本麦茶を取り、片方を神前に渡す。「ありがとう」とちゃんとお礼を言える神前に惹かれつつ、キャップを開けて何度ものどを鳴らして飲む。一仕事終えたときに飲む飲み物は一層美味しく感じて、つい半分ほど飲んでしまい、神前に笑われた。

「笑うのはいいけど、他に用事があってきたんじゃないのか?」

「そうだ、すっかり忘れてた。実は陣・・・お父さんのことなんだけど。メールが届いたんだ」

 神前のスマホを差し出した。画面には今日の日付と共に、神前家に伺う旨が書かれていた。実の娘に対して少々事務的なメールではあったものの、実の父親に会えることに喜んでもいい状況なのだが、神前の顔は芳しくないようだった。

「なにかあるんですか?まさか、義父が拒んだり」

「それもあるかな、お義父さん・・・紛らわしいな。叔父さんに話しても冗談半分でまともに取り合ってくれなかったよ。迷惑メールだろうって」

 迷惑メールは流石に意識が低すぎると思うが、さっきまでの自分の部屋を晒してしまった以上批判するのは場違いだと思って口を固く結んだ。

「それで、他の理由は?」

「笑わないで聞いてくれる?」

「会うのが怖い、以外であれば」

「・・・」

 頬を若干茜色に染めて目をそらす神前。完全に図星。

「生徒会長ですよね・・・」

「生徒会長でも、人間だから。緊張する時ぐらいはある」

 掃除が終わり、さっき掃除したばかりの冷房を付けているがお互いに汗をかいたため、シャワーを浴びに還った神前に習いシャワーを浴びた。再度リビングに戻ると、ふと、神前はなぜ自分のために掃除をしてくれたのかと考えて、自惚れとわかっていながらも顔を赤くなりながらも、無理やりにでも笑って昼食の準備をした。

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