第31話 焦ったシグマ・・・?

 多分偶然会ったシグマを連れ三人で、R&Mまで来ていた。俺たちを見てゲンブは「なんだ修羅場か?」といつも通り葉巻を加えて笑っていた。

「マーちゃんはいつも通り、カモミールでいいな?デザートは?」

「デザート〇ーグル」

「そんな物騒な物あるわけないだろう?あー、サービスで抹茶のムースをつけてやろうか?」

「やめろ、そんなもの、死んでも食いたくない」

「なら私はその、抹茶のムースとダージリンのファーストフラッシュで」

 日頃の恨みを晴らすかのような満面の笑みをみせるゲンブに、抹茶を使ったお菓子が好みなのだとみているこっちがわかるほど、無邪気に頼む神前。そんな神前を、瞼をびくびくさせてシグマは信じられないという目で神前を見ている。

シグマは抹茶が大の苦手、抹茶というか緑茶関係というべきだろうか。何か別のものに調理しても食べず、匂いも苦手らしい。一度中学で抹茶を飲む機会があったときは、青ざめた表情で一気飲みして、そのあとトイレに引きこもっていたのを今でも覚えている。飲むもの苦手なのだが、一番は抹茶アイスがダメだという。あれを嬉々として食べる人間が信じられないと言うほど大っ嫌いだそうだ。

いつ神前の胸倉をつかむかわからない状況に加え、さっきのシグマの行動により非常に疲れ、俺はカウンター席に額をくっつけて頭を冷やしている。

「兄ちゃんは?」

「なんで、この状況で普通に会話できるんだ。さっきから胃が痛い、俺はリンゴミルク、ホットで」

「はいよ」

 二人はカフェに来るまでには打ち解けていた。主な話題は俺の愚痴。無駄にカッコつけるだの、良いところはあるけど臆病だとか、そんな感じ。

「まさか、一匹も釣れないなんて思わなかった。僕と一緒に管理釣り場に行ったときは、数匹上げてたのに」

「管理釣り場?そんなのが」

 最終的な釣果も酷いものだった。シグマが言った通り、ボウズで。シグマは二九匹と、明らかにヤバイ釣果なのに、新記録までは行かなかったと嘆いていた。最高記録は三二匹だそうだ。

「あ、ゲンブ、僕ターキーレッグ追加で。さっき釣り堀行ってお腹すいてるんだよね」

「このカフェそんなものまであるのか!私もターキー一本!」

「あいよ、兄ちゃんは・・・ターキーよりも胃薬が必要そうだ」

 ゲンブ一人では持ち運べないものをロボットが運んで、ドリンクは手渡しで受け取った。本当に胃薬と水を用意してもらって、ゲンブには感謝している。

 何とも言えない苦さの粉薬を水で流し込み、うなだれているとそのゲンブが話しかけてきた。

「大変そうだな。まあ、あの頭のいかれたマーちゃんが居れば無理もないか。そうだな、デート中をマーちゃんに茶々入れられたか」

「おしいですね、思いっきり怒られて、なんで告白しないの⁉って怒られました」

「そりゃひでえ、兄ちゃんもタイミングや覚悟ってのがあったろうに。しかし、なんでせかしたんだろうな」

「シグマは理由のないことはあまりしないタイプなので、何かしらあるとは思うんですけど、シグマってほら、あれじゃないですか。過程は自分で解決して結果だけを見せるタイプ」

「それが利点でもあり、兄ちゃんみたいな人からすれば迷惑だもんな。ふぅ・・・、いや、一般的に迷惑だな。間違いない。政治家が急に難癖付けて税金上げるようなもんだしな」

「ですね」

 丁度良く暖められたリンゴミルクを一口。市販品ではない、手間暇かけられたと思われるリンゴの風味が口いっぱいに広がって、胃薬の苦さを打ち消した。

 シグマの行動には必ずと言っていいほど理由がある。俺にFDVRを使わせたり、俺に神前の過去を話したりなど、色々やってきたが必ず裏がある。一般人と一緒で基本的に感情で動くが、感情に流されるのは初めだけで、最後には合理的な理由になっている。

「美味しい。すごくあったまります」

「そうかい、良かったよ。まあでも、・・・ふぅ、マーちゃんを擁護するならば、最終的にきっと兄ちゃんのためになると踏んで、行動したんだろうな。人の行動の中で一番厄介なのは善意のある行動なんだが、マーちゃんの場合、悪意とも取られてしまうから余計たちが悪いな」

 ゲンブは葉巻を吸い、目を細めて上を向く。旦那を思い出してなのか、言葉を選んでいるのか治人にはわからない。それでも何かを言うとしているのは理解できた。

「ゲンブさん、俺は・・・」

「治人とどんな関係なの?結構長い間一緒にいるみたいだけど」

二人は気になる話をしていた。楽しそうな雰囲気を壊すような、神前の言葉でさえ、なんでもないと言わんばかりに即答するイメージのシグマだったが。神前からの質問に一瞬ビクッとして、窓の外を見て言い淀んだ。当人を除いた全員は黙って思わずシグマを見た。

「そうだな・・・言葉にしてもいいが、“私“たちは定義することを避けているとだけは言っておくよ」

「それは好きと嫌いならどっち?」

「か、神前」

「いいんだ、治人。いつか聞かれると想定してたから」

「もしかして、ふぅ・・・釣り堀でせかしたってのにも関係する理由があるのか?」

 シグマはうなだれるように頷き、冷え切ったカモミールを一口含むと、俺を見て笑い、何かを言って数秒見て天井を見上げた。


一瞬、視界が白くなった気がした。

俺はそのことを覚えてないし、何度見たのかも覚えてない。


でも、シグマの目はどこか悲しそうで、どうしようもない壁にぶつかったときのような諦めの目をしていた。

「好きか嫌いかで言えば、好きだ。人としても個人的にも。ただし、性的にはどちらでもない」

「どちらでもない。というと、原因は障害の?」

「半分以上は、そうだ」

 シグマはカウンターに視線を落とし、目を閉じること数秒。再度目を見開く。これまで気にすることなかった小さな“違い”に気づいた。瞼の開口角度が微妙に違い、さっきまでは十割開いているとすれば、八割程度開いて物を見る目が鋭くなっている。

「男の俺たちが障害になっている。体は女性で、心の奥底には女性の心がある。にも拘らず、今の心の大部分は男の感覚なんだ。そのうえ記憶の今日共有までしているからな、ストレスにならないとでも?」

「なるほどね。向こうに所有権があるんな」

「これが妙なものでね、誰にでもこの体の所有権があるんだ。誰かが交代を希望した時に、主人格が許可をすれば誰でも交代できる。問題点は、その主人格はいつまでたっても奈落の底に引き籠っていることだけどな。小さな人格は多くあるし、俺らみたいな主人格クラスが何とかやってるさ」

 シグマのことを全て理解しているわけじゃないが、大体のことは頭の片隅に入っていた。そもそも主人格を知っているのは治人ぐらいなものだ。

 リンゴミルクを一口、飲む。自分のことも言われたのだから気になるものの、シグマの言動が気になって聞いてしまう。

「つまり今後治人君に対して、異性として見ることはないと?」

「ないだろうな、この体の主人格、及び他の人格は少なくとも今後十五年はしないだろうな。それ以上はどうあっても確証は取れないさ。未来を覗ける万華鏡でもあれば別だけどね」

 渋い顔をしてカモミールティーを飲み干し、ゲンブに水をもらって一気に飲み干す。メニューを開かずにアイスコーヒーを注文した。ゲンブは少し笑って厨房に入っていく。

 シグマは俺らの方を向いた。いつもに比べ態度が横暴な気がする。外側だけが違う別人。

「今の俺からすれば、ただの友人だな。いつものあいつならどうかは知らないけどな」

「大体理解したよ。すみません、こんな質問をして、シグマと呼べばいいのかな?」

「呼び名はそれでいい、いちいち変えるの面倒だろうしな」

 ゲンブが厨房から出てきて、アイスコーヒーを受け取ると、半分まで一気に飲み干した。

「あー、美味い。ハーブティとかの香りより俺はこっちだな」

「本当に別人。失礼だとは思うけど、面白いね」

「ああ、俺たちもそういってくれた方がやりやすいもんだ。ゲンブ、俺にも一本」

「ダメだ。これ高いんだ」

 男の人格に変わったシグマと話してアイスコーヒーが数分でなくなったと思えば、「帰ると」言い残して、勘定して帰ってしまった。嵐のような奴なのは、どの人格でも変わらないようだった。

 取り残された神前と俺は何とも言えない雰囲気なった。待ち合わせて遊んだ三人のうち、一人が急に帰ってしまったときのあの雰囲気。

神前がいつ、「帰る」と言ってもおかしくないことに、内心焦っている。自分がいることに気づく。確かに、神前も場を考えず込み入った質問をした。でも、先にそうしたのはシグマだから、両成敗になると思う。内容を度外視にすればの話だが。

シグマが自分の話をしたがらないが、時折、今回の様に男性の人格に入れ替わることで話すことがある。面倒事を押し付けられているようで、男性のシグマは気に入らないと毎回のように愚痴っている。そう、今回の様に入れ替わるのに多少の時間が必要なこともあれば、ノータイムでシームレスに変わることもある。違いは俺にすらわからないが、何か理由があるのだと自分の中で決めつけて、深入りしないようにしている。

「シグマに対して、君がどんな対応をしているのか気になって。ごめんね、変な空気にしちゃって」

「いいさ、あいつのことは気にするな。それにいつかは聞かなければいけない事だろう?兄ちゃんを手に入れるためにさ」

 シグマと同じように、無言で窓の外を向く神前。傍から見れば、恋敵がいないことの確認が取れたと喜ぶところなのだろうか。それでも神前が口を開かないのは、この結果が望んだものではないからだろう。

結果からすれば、再度シグマに催促されたのだ。「早く付き合ってしまえ、出ないと私たちは彼とどうなるかわからない」と。明確に一五年と言ったが、“

人は昨日言ったことと真逆のことを明日言う生物だ“と言った人間の言葉に説得力はないだろう。

 結局この日、神前は相槌以外で口を開くことはなかった。

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