第28話 それでもシグマは

「え、ちょっと!神前‼」

 下を向いて廊下に出て行ってしまった。慌てて下駄箱まで行くも、姿は見えなかった。仕方なく、部活に戻るとシグマが部長と打ち合っているのが見えた。⒑―⒑でどうやら拮抗しているらしい。なんだか、複雑な気持ちになった。

小さな情報から調べ上げて、不明点をシグマと話し合って答えまで教えてもらったのに、全て意味がなかった。

総当たり戦なので、部員全員とやることになったのだが、どうも身が入らず、戦績は振るわなかった。

 帰り道、夕日が憎いほど綺麗で、ため息を吐くとシグマに心配された。

「どうした?なんかあったんだろ?もしかして振られたのか?なら、頭を冷やすためにもアイスでも買ってやろう」

「違うよ、神前に父親を探さないか?って提案したら、血相変えて帰ったんだ。俺何かしたのかな?」

 シグマは治人よりも大きなため息を吐いて、スマッシュのように思いっきり俺の背中を叩いた。

「痛ぁ⁉いきなりなにすんだ⁉」

「叩かれた意味より、神前の気持ちを考えてみなよ。実父に会いに行かない理由を隠している相手に、会いに行かないか?なんて言ったら、普通は怒るだろう?」

「あ」

足を止め、合わせてシグマも足を止めるとキジバトが鳴き始めた。

 神前はてっきり、実父を探しているものだとばかり思いこんでいた。引き合いに出したことはあっても、探しているとは一言も言っていないことに気づき、一気につま先から頭まで冷や汗をかいた。頭が後悔で真っ白になっていく。

「治人。このままでいれば、もう神前には会えないかもしれないね。でも、君はそんなことで神前玲奈を好きになったじゃないんだろう?」

「別に好きになってなんか」

「ダウト。認めないのは往生際が悪い」

「シグマ・・・お前に何がわかる!」

 突風が吹き背後でキジバトが数羽飛び立った。驚いて後ろを向いた。いや、驚いたなんて嘘だ。顔を見られたくなくて、後ろを向いた。きっと酷い顔をしている。

 背後で声がした。悲しそうな、でも嬉しそうな声だった。

「わかるさ、君は僕の、――――、それにここに送った張本人だ」

「・・・」

 今度は心地委良い風が通る。シグマの言葉が心に入ってきて、目を閉じると鼓動が落ち着いてくる。頭が冷え、正常な思考が返ってくる。血肉躍るような苛立ちも、自傷行為に走りそう衝動も、果ては体を動かす熱も、全部がゼロに還る。

壊れた人形を完全に直すことはできない、削ったりして直ったように見せているだけだ。なら今回も削るのかと言えばノーであり、適切に見方を変えればいい。

なんてシグマのようなことを考えて、本人に問う。

「俺はどうすればいいんだ・・・」

「さあね。私の推測では・・・神前の人の良さが功を奏したね。江梨じゃこうも行かない。そうだね、明日は制服に着替えないほうがいいと思うよ」

「・・・了解」


 翌日、言われた通りに制服ではなく、私服に着替え家で待っていた。高校に行く時間はもう十分で過ぎてしまう。シグマの推測に従ったものの、内心は心配と信頼の半分半分だった。

ゆっくりテレビを見ながら朝ご飯を食べているとチャイムが鳴った。

「時間まで計算済みだってか・・・はーい」

 身なりを整え、口を拭ってからドアを開く。

「あ、あの。昨日はごめん」

 頭を下げる神前が居た。ここまでシグマの予測通りと来ると本当に恐ろしくも、頼もしい悪魔を味方につけている気分だ

「うん、俺も神前の気持ちを理解してなかった。ごめん」

頭を上げて、「ならお互い様だね」と笑う神前の服は私服だ。動きやすいラフな格好が望ましいが、着ていたのは白い長袖の薄いワンピースに、肩には白いバッグ、小さな赤い宝石をあしらっているネックレスと、ボーイッシュなイメージの彼女らしくない。

頭を上げて服をまじまじと見ていると、照れくさそうにしていた。

「似合わないかな、似合わないよね」

「いや、こういうのもあり。なんて言えばいいのかな、ギャップ萌え?」

「ははっ、よかった、似合ってなかったら嫌だなって心配してたんだ」

 その場で一周回って見せた。ふんわりと、揺れるワンピースに目を奪われた。

「そっちは・・・制服じゃないね。どうしたの?」

「神前に振られたから休もうと思って」

「え?はははっ、面白い冗談。ただ、準備は良いみたいだね、これから出かけるところだった?動きやすそうな服だし」

「そろそろ出ようと思ってたところだ。それで、何か用かな?」

 神前は下を向いて、言いにくそうに言った。

「お父さんを、探そうと思って。それで、一緒に探してほしい」

「・・・わかった。場所に目途はついてる?」

「まだ君が言ったように、今日は予定されてなかったから。事務所に向かってみようかなって」

「了解。じゃあ行こうか」

 二つ返事で返したことに驚く神前だが、直ぐに表情を笑顔に変え事務所があるという、隣町に向かった。電車で二駅と歩いていける距離だが、神前の服装を考え電車で向かうことになった。

「ごめんね、もう少し動きやすい服装で来るべきだったよね」

「いや見てて眼福だから、プラマイゼロ」

 電車の中なので目立たぬよう小声で話すも、周りは学生服だらけで浮いていた。神前のルックスが服装によって引き立ち、拍車をかけていたようだった。神前が気にしないように会話を続けた。それでも神前は気づいていないふりをしているようだった。

「そういえばいいの?高校」

「お互い様だ。1日ぐらい休んでも大事じゃない。そっちは?」

「右に同じ」

「生徒会長だろ?」

「生徒会長が学校を休んじゃいけない理由があるの?」

「・・・ないな。神前の日頃の行いからして一日ぐらい休んでもみんな何にも言わないだろうね」

 自信ありげな神前がまた可愛いと思えた。普段見ない格好に浮かれている自分もいるのだろう、つい目線が白く膨らんだ二つの山に吸い寄せられる。制服ではあまり強調されていなかったのだが、平均的な自分の手の大きさよりも大きいと感じるサイズだ。

「ちょっと、どこ見てるのかな?こんな、服着てるから、見るなとは言わなないけどね」

「ああ、ごめん。その、意外と大きいんですね」

「えっち・・・もしかして触りたい?」

 返答に困った。下駄箱で押し倒された夜を思い出して、視線が泳ぐ。どんな返答が正解なのか、脳内の辞書や格言、明言を探しても、そもそも関連性が一切ないのだと気づいて余計に混乱する。

 触りたくないと言えば嘘になる。触ってみたい。できることなら、許されるのなら、今すぐにも触れてみたい。ここで正直に言ったらどうなる。

「えと、あの、その」

「冗談、君はこういう、予想外のことには弱いんだね」

「すんません、否定できないっす」

 服装こそ違うが中身は一緒で、電車を降りるまでずっとからかわれていた。時折笑顔を見せていた神前は、隠し事をしながら笑っているように見えた。

 電車から降りた。隣町は田舎であり、街ではなく町と呼ぶ方が適切だった。山と住宅の間に大きな川が流れている。日本各地で川の水深が浅くなっているが、この川の水は全て雪解け水で、水深も透明度も昔からほとんど変わっていない。田舎の景色ではあるものの、この景色は他にない唯一の景色だった。川の両脇には桜が植林されており、四月のシーズンに訪れれば幻想的な景色の隠れた名所が数キロと続いている。

 神前と二人、並木道を歩くと心地いい風が吹く。

「葉桜でも見ごたえと居心地の良さは十分ね」

「住民は灯台下暗しであんまり訪れないですけどね。俺は好きですよこういう場所は」

「お父さんも・・・お父さんも好きなのかな」

 その横顔をちらりとだけ見て、前を向いた。あまりに綺麗だったから、直視なんてできるわけなかった。

「事務所、もうすぐだね」

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