第19話 イメージの崩壊と心変わり

「こ、今度は俺から」

「う、うん」

それでもこの羞恥プレイを早めに終わらせようと、小さくカットしたタルトをフォークで乱暴に刺し神前の顔に持っていく。

「あ、あーん」

「あーーん」

 口に含んだ瞬間、神前は両手で顔を隠しながらラングドシャの食べるときよりも明らかに速いスピードで咀嚼を始めた。

「お、美味しいよ。うん。美味しい。あははは」

 そう言い切ると、まだ熱いであろうカモミールティーを一気飲みした。ゲンブがやりすぎたかなと苦笑しながら水を差し出すと、一気に飲み干し、カンッ!とコップがいい音を立てた。

「いやあ、いいもの見れた。うん。満足満足」

「はぁ、はぁ。確かにこれだと味わかんなくなるね」

「ほんとに。いい味なのがもったいない」

「わりぃわりぃ、なんか嬢ちゃんの方が浮かない顔してると思ってよ、からかったんだ。何かあったんだろ?何か話すんだろ?お邪魔なら厨房行ってるぜ」

「いえ、大丈夫です。助かりました。おかげさまで結構楽しめたので、ね。治人君」

「そうですね」

 してやられたと笑う神前に体育館裏の浮かない顔の面影は確かになかったことに胸をなでおろすと同時に、ゲンブが不思議な人だと思った。入店してそれほど時間は経っていないが、顔を見ただけである程度状況を把握する。この仕事を長くやっていれば身に着くものなのだろうかと疑問に思った。そして、そもそもこんな店あっただろうかと思ったが、ここら辺に来たことがあまりなかったため確かめようがなかった。

「そうかい。しっかし、よくこんな店に入ってきたね。入りにくいだろう?見た目はぼろいし、窓から見えるのは男が喜ぶフィギュアばっかり」

「ええ、入りにくいとは思いましたが。良い匂いのするお店だなって思って。そのまま入っちゃいました」

「匂いか。ハハハッ、ここに来る奴はみんなそう言う。ふう~、良い匂いのする店だってな」

 再度葉巻を口にしたゲンブは店内を見渡して、語りだした。

「この店は借りものみたいなもんさ。あたしの旦那が一度でもいいから店を出してみたいってな。内装もこだわるから赤字覚悟さ。始めは乗り気じゃなかったよ」

「旦那さんがいらしたんですね」

「ああ、数年前に死んだけどな、いや、気にすることじゃない。これが初めて見ると旦那よりもあたしの方がこの店を好きになっちまってよ。あんたらみたいに面白い奴が来るもんで案外続いてる。それに支えてくれる奴もいるしな」

「そうだったんですね。それでこの内装」

 見渡すとこっちが恥ずかしくなるようなフィギュアが所狭しと並んでいる。スクール水着をずらしたものから、和装を崩したもの、わざわざ別パーツで謎の光を再現して隠した全裸まで。よく営業できると思うほどだった。フィギュアの中には知っているものもあった。

「あれは、アルソラのスケールフィギュアだ。こっちはハレバレ。スケールフィギュアばかりだ。旦那さん、ゲームとかアニメが結構好きな方だったんですね」

「坊主はそっち側に詳しいな、そうさ。旦那は二次オタだった。迫害される二次オタの憩いの場にして見せるって言ってたっけな。出会った場所も中古ゲーム店だったしな」

 凄い人も居たもんだとほっこりしたところで、携帯の時計を見ると十八時前だった。純玲からの連絡はなく、こっちからも連絡はしていない。そろそろ帰ろうかなと思ったとき、神前は少し寂しそうにしていた。

「そろそろ、行く?」

「ああ、純玲、妹ががうるさいので」

「なんだ?実妹を含めた禁断の三角関係か?」

「ただの妹です。特別な思いもありません。ただ、最近妙に怒りっぽくて、速めに帰ろうかなと」

「あ、なるほどな。いいお兄ちゃんでもあり、こんな美人な彼氏さんか。大変だな」

「ほんと、彼氏じゃないですよ」

彼氏として見られる一方、神前と釣り合っているのかと考える自分が居て、少し複雑な気持ちになりながら、カウンター下に置いていた鞄を取ろうと手を伸ばしたが、その手を神前につかまれた。神前は手をつかんだまま、耳元でささやいた。

「まだ一緒にいちゃだめかな?」

「・・・、あ、はい」

「おうおう、熱いね~」

 あまりに甘い声だったので脳の処理が追い付かなかった。ただ、時間がない気がして、断ろうとしたとき、目の前が真っ暗になった。

 目を開けているのに光のない暗闇の世界が広がっていた。どこを向いても同じ世界で、どっちが上か下かもわからない。歩いても足音がむなしく響くだけ。

 不意に指を鳴らした音がして、音の方向を向くと眩しいくらいの光がこっちにやってきていた。なんとなくその光に向かって歩くと、あたりは光に包まれ眩しくて目を開けていられず、目を閉じた。


 「遠隔でやると少しラグがあるのか。これは考え物だな。それに効果もあまり期待できないか」


 目を開けると喫茶店だった。ただ、時間がないという感覚はなく。誰かに言わされるように「わかった」と口に出していた。

「それじゃそろそろ行きます。お会計お願いします」

「はいよ、一緒に?それともバラバラに?」

「一緒で、私が払います。誘ったのは私なので」

ボーっとしているうちに、二人で外に出ていた。

思考がまとまらない。何か大切なことを忘れている気がしている。だけどそれもどうでもいい気がして、ただボーっとしている。

「大丈夫?なんかボーっとしてるけど」

 神前の言葉で我に返った。暗闇や謎の光のことを覚えてなどいなかった。そんな一瞬の出来事を忘れていた。

「あ、うん。大丈夫。それより、お会計」

「いいの、私が誘ったから。あとこれ、ゲンブさんが」

 百個中一つ埋まったスタンプカードを渡された。裏に注意書きが書かれていた。

『R&Mスタンプカード 

このスタンプは来場の方で、ゲンブが気に入った人のみが発行するスタンプカードです。お会計時に一つスタンプ、どれだけ注文しても一つのスタンプとなります。

 百個集めた方にはゲンブに対して何か一つお願いを聞いてもらえます。公序良俗を守ったお願いにしてください。

 再発行は致しませんのでご了承ください』

「凄いスタンプをもらってしまったな。というか、貯められる気がしないな百個って」

「確かに百個は無理かな・・・それで、どこか行くところでもあります?」

「それは、ついてからの内緒かな。ここから行くとょっと大変だけど」

 内心期待していた。どんなところに行くのだろうと。おそらくイメージとは違う場所なのだろうと思ってはいても、下心の混じった期待をせずにはいられなかった。

 R&Mから二時間に満たない程度歩いた。街から離れ、住宅街へ。そこから山へ。道中コンビニに寄って、飲み物や軽食を買って行った。神前は何か買っていたようだったがよく見えなかった。

久しぶりに長時間歩いたせいか、体が悲鳴をあげていた。精神的には何ともないのだが、体の節々が笑っているのが、歩きながらでもわかった。長距離移動で余裕がなく、会話はあまりない。神前も必要最低限の会話以外してこなかった。

そうして着いたのは野球ができそうな開けた公園だった。夜なので当然誰もいないため、音がすると少し怖かったが、その度に神前がかわいらしい悲鳴をあげるので不安ではなかった。

「大丈夫なんですか?こんなくらいところに来て。前回散々おびえていましたよ」

「今は、ここなら大丈夫。それより、ほら上」

 神前は指を空に向けた。

「今は平気だよ。ここは星が綺麗だから」 

夜空には幾万の星々が輝き、星の海を作っていた。東の空には綺麗な満月が二人を照らしていた。この幻想的な風景に言葉を失っていた。こんな景色は二次元の中やテレビのバライエティぐらいだと思っていた。

 この景色を好きになるのに時間はそれほど必要じゃなかった。この世界がVRの中であることも忘れて、ただ満点の空を見続けた。

 不意に神前が口を開いた。

「座らない?さっきコンビニでレジャーシートを買ったんだ」

「お言葉に甘えさせてもらいます」

 小さなレジャーシートに二人で座るにはピッタリすぎて、体が少し当たっている。神前の体は柔らかいのに所々しっかりと筋肉がついている良い身体だろうと思った。もう少し触れていたいと考えるのは欲を出し過ぎだろうか。

「ほんと、ここから見る星は綺麗。前に本当のお父さんに連れてきてもらったことがあって、その時はお父さんにおんぶしてもらいながら、連れてきてもらった記憶。その記憶だけが唯一、本当のお父さんに関する記憶なんだ」

「そうだったんですか。それで、暗いところが苦手なのに」

「そう。暗いところは嫌い。だから、ここに来るのって一人じゃ難しくて。でも、君と一緒なら。治人君と一緒なら、自分でいられる気がして今は平気。多分今だけだけどね」

 見上げ続けて首が痛くなって、神前を見た。そしたら神前もこちらを見ていた。神前はニヤッと童女のような笑顔を見せた。地上の星も綺麗だと初めて思った。


しばらく星を見つめて、家に帰ると、リビングにラップが掛かった夕飯が置かれていた。慣れた手つきで電子レンジに入れてハッとした。

「やべぇ、純玲に何も連絡してなかった!」

 急いで純玲の部屋に行ってノックした。数回ノックしても返事がなく、寝ていると判断した。どうして忘れていたのかわからなかった。その旨を伝えると怒らせてしまいそうで、ただストレートに謝罪だけのメールを送信した。

 次の日の朝。純玲はいつも通りに起こしに来てくれた。ここ数日の様子が嘘のようで、いつもの明るい純玲だった。

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