第6話 悪魔の悪戯
朝、夢から覚めるときの感覚に似ていた。起きているけど、寝ている。でも、体の自由はなくて、意志の自由はなくて。あり得ないことをそのまま受け入れてしまうような、まどろんだ感覚を数十秒味わった瞬間。
目が覚めた。
見慣れた天井と匂いは今と変わらない。それなのに懐かしさを感じるのはなぜだろうと、疑問に思ったとき頬に何かが伝った。
「お、お兄ちゃん。泣いてるのかな。あ、朝だよ起きて」
「純玲・・・?その姿今と変わってない?」
エラーを検知。再起動します。
ノイズが走り、視界がただの黒に染まったことすら理解できず、目を閉じた。
記憶を修正・・・・・完了。
→再開します。
ノイズが走り頭に違和感が残った。
見慣れた天井と匂いは今と変わらなかった。それなのに懐かしさを感じるのはなぜだろうと、疑問に思ったとき頬に何かが伝った。
「えっと、お、お兄ちゃん。泣いてるのかな。朝だよ起きて。大丈夫だよね」
「純玲か。おはよう。あんまり変わってないところを見るに高校なのかな」
「ど、どういうこと?お兄ちゃんは今日から高校だよ?早く起きないと開始早々遅刻しちゃうよ」
言われるがまま支度をしていく。慣れているような、そうでないような感覚の中、ネクタイを締め、制服は新品なのに慣れた手つきで袖を通す。
過去に来たという実感はなく、過去を夢で見ている感覚に近い。枕元にある当時使っていたスマホを取り出し、日付を確認すると六年前の四月一日と、過去であることは間違いないようだった。
ここがVRだと言われなければわからない程、現実的。鼻をくすぐる春のいやらしい花粉も再現されているようで、鼻水が止まらず花粉症の薬を純玲が持って来ていた。ここは素直に改善点だと思い、頭の中にメモを残すように口に出した。
「花粉症はマイナス点だ」
リビングに向かうと簡素ながらも美味しそうな朝食が用意されていた。まだぼんやりとした頭で席に着く。そしてぼんやりと、トーストにかじりつく。朝食を食べたのは久しぶりで、思わず目を瞑り天井を見上げた。
「何してるの?変な、お兄ちゃん、遅刻するよ。私もう出るね。いってきます」
「あーうん、いってらっしゃい・・・ん?」
テレビに映るニュースには七時と表示されていた。高校の入学式は八時からだが、家から高校までは約三十分。悠長なことをしている場合ではなかった。学校では十分前に廊下に整列を始める。準備のことを考えると時間に余裕はない。社会よりも人口密集地な学校だからこその決まりだ。
急いで支度を済ませ、家を出る。時折、スマホを見て時刻を確認して、視線と汗を気にして高校まで早歩きで向かった。
結論からすれば間に合った。鞄を置いてそわそわする心を押さえて、ココも作りものだと思い込むと時間は瞬く間に過ぎていき、入学式を終えるまで「そういや、こうだったな」と小さく口に出すことがあったものの、おおむね記憶通りだった。問題を起こして辞めた前生徒会長の負債を背負いながら、仕事していた生徒会長のスピーチも、来年には警察のお世話になって居なくなる頭がさみしい教頭も、記憶通り。思い出してばかりで生徒会長の名前は聞けなかったが、覚えていた。神前 玲奈。確かそんな名前だ。
細部まで忠実に再現出来ていて、ミノネクトの仕組みが気になるが、シグマのことだ。説明が下手で聞いてもわからないだろう。
入学式が終わって、教室に戻って所説明も終わり、教室から出ようとしたら声をかけられた。若干幼さが残った青年の声。懐かしい。
この時代に来て懐古してばかりいる。当たり前の話だが。
「おい、中学から同じとはいえ、同じクラスになったんだから、挨拶ぐらいしに来いよ、治人。こっちは今か今かと待ってたんだからよ」
「冬彦。別にいいだろ。腐れ縁みたいなもんだから。今さら挨拶なんていらないだろ、あとさっさとヘッドロックを外してくれ、そろそろ苦しい」
小学校五年から高校卒業まで同じクラスだった、園田冬彦。悪友というか、冬彦が女たらしで俺にまでレッテルが張られていた時期があったほど、女には目がない、ありていに言えば下半身ゆるゆるのクソ野郎だ。
高校卒業後は特に話すこともないため、疎遠になっていた。四年前以降、電話の一本もしたことはなかった。実際会ってみると案外うれしいものだった。
「それにしても生徒会長さん美人だったよな~お前もそう思うだろ?あ~あの白い肌を自分の色で染め上げたいね~」
「高嶺の花だ。あきらめろ」
「そうでもないぜ、うちの兄貴が生徒会にいるから、会おうと思えばフラグを建てられるのさ」
「寒葉さんに殴られろ」
冬彦のお兄さんの、寒葉さんは目の前の女たらしと違って非常に真面目だ。成績は常にトップで運動以外は何をやらせても人並み以上の結果を残す。俺らとは違って必ず結果を残すできる兄貴分だ。国民的RPGのガチ勢でもあり、対戦ゲームの楽しさを教えてくれたのも寒葉さんだ。
「でも、うちの兄貴新学期だってのに風邪引いたんだよ。オリエンテーション?だかの企画とかもやるっていってたな」
俺は眉を上げた。記憶の齟齬に出くわしたのだ。記憶通りなら寒葉さんは高校も皆勤賞だったはずであり、シグマもしくは江梨が手を加えた可能性が十分あるということだ。理由を考える手真っ先に思いついたのは、シグマの悪戯という名の善意だった。
シグマと江梨の意思でいじろうと思えばいじれるのかと、自覚した瞬間だった。
「め、珍しいな。あの人、中学の頃は皆勤賞だったろ」
「なんでだろな」
「知らん。悪い物でも食べたんだろ。それより、うちの兄貴が休んだからこっちに仕事が回ってきて、生徒会長さんとお近づきに慣れないもんかな」
「そんなおいしい事起こるわけないだろ。第一・・・」
「第一なんだよ」
俺と生徒会長が接点を持ったのは二年からだと言いかけてやめた。もしここで、言ってしまったらどうなるのだろうか。テストを再度繰り返すことになるのではないのか?と思ったからだ。同時に、テストなのだから何してもいいのでは?と思いもして、両方を天秤にかけて安定を取った。試すのならば、別の事で試した方がいいだろうと判断したからだ。
「第一仕事を回されるんだろ?面倒なことはしたくないよ。何か得するわけでもないし」
「生徒会長さんとお近づきになれる」
「・・・そうだな。そういえば、シグマは?」
「シグマ?ああ、あいつか、あいつなら、ほら窓際の」
冬彦が指さしたのは、桜吹雪を眺めているセミロングのシグマ。一人だった。誰からも話しかけられず、一人。中学の頃はきっかけがない限り話すことはなかった。
今とのギャップがありすぎて反応に困ってしまった。
「そっか、じゃ俺帰るわ」
「なんだよ、お前がいれば、お前さえ居てくれば大抵の無茶ぶりはなんとかなるんだからよ~」
冬彦の説得は下駄箱まで続いた。ここで承諾すれば丸投げされることは、長年の付き合いで目に見えている。冬彦にメリットはあっても、俺にはないと思ったとき、シグマの言葉を思い出した。
『まぁいいか。そのメモ帳を再現しとくから参考程度に恋愛でもすればいいと思うよ』
ついメモ帳を入れていた胸ポケットを触った。中学から入れていたなじみ深いメモ帳の硬さを感じた。
「恋愛をしろ、か」
「お?お前も生徒会長さんに気があるのか?あるなら初めに言えよ~みずくせーな」
小声を聞かれ、びっくりする俺に冬彦は目を煌びかせながら、詰め寄った。にやけながら肘でつつく姿に、ため息を吐いて適当に誤魔化す。
「ねぇよ、あれだよ、今日のネット占いに書いてあったんだよ」
「そんな占いを信じる奴だったとは、ほら、占い通りに生徒会室に行くぞ」
「そもそも、俺と生徒会長とじゃ釣り合わないだろ。話すことはできてもその先に行っても、スペックの差にこっちが絶望するわ。そもそもあの生徒会長である―――」
「なにやら、私の事を噂している新入生が二人と」
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