第2話 始まりの朝


ピピッと甲高いアラームが鳴って、悠希は目を覚ました。

寝ぼけた目を擦り、身体を布団から出して、すぐに布団にくるまる。


「さむぅ…今何度だよ…」


寝起き早々に身体を刺す寒気に顔を歪めて身を震わせながら、枕元のスマホに手を伸ばす。

画面を操作し、表示された気温を見て、悠希の意識はようやく覚醒した。


「…2℃」


いくら冬と、12月と言えど、早朝なので仕方ないのかも知れないが、氷点下近いのは如何なものか。

そろそろ暖房をつけて寝ないと凍死してしまうのではなかろうか。

そんな事を考えつつ、悠希ははたと考える。


二度寝か、活動を開始するか。


今の時刻は午前7時。


普段なら学校があるので四の五の言わずにさっさと起きて活動を開始するのだが、何せ今日から冬休みだ。


高校二年生にして帰宅部所属の悠希は、朝練などという勤勉な活動とは無縁のため、二度寝することに何ら問題はない。


しかし、いくら恒温動物と言えども、寒い中での活動は鈍ってしまう。

それなら比較的暖かくなる時間まで寝てしまっても良いのではなかろうか。

それに、最近は寝不足気味だったので丁度良いのではなかろうか。


「う~ん」


数秒間唸って考え、悠希は心を決めた。


――活動しよう。


一軒家に独り暮らしである以上、やることは山積みだからだ。

それと、『どんな時でも平常心』という、悠希の伯父である克巳かつみの家訓があったからだった。


寒さに震える身体に鞭打って、布団をめくってベッドから降りる。


「う~さむさむ…」


クローゼットからパーカーを引っ張り出して羽織り、部屋を出て一階へ降りた。


リビングに入り、電気と暖房を着ける。


朝食を作る前に隣の和室へと入る。


悠希の家の和室は仏間も兼ねており、隅の方に仏壇がある。


悠希は仏壇に向き直り、仏壇に置かれた面影さえもおぼろげな両親の写真に、『おはよう』と短く言って和室を出た。


「さ、飯にするか」


ほんのりと重くなった心を誤魔化すかのように呟いて、冷蔵庫を漁る。


この10年近い独り暮らしには慣れたもので、ささっと朝食を作る。


今朝は『パンのベーコンとスクランブルエッグのせ』とは悠希が命名しただけだが、要はただのトーストの上にこんがり焼いたベーコンとスクランブルエッグをのせただけの物で、なんら特別なことはない。


好物のココアを淹れて、テーブルに運び、席に着く。


「いただきます」


手を合わせて、お決まりの言葉を口にして、ココアの入ったマグカップの縁に口をつける。


流れ込んでくる液体は温かくほんのりと甘い。冷え切った身体を温めるには最適な代物だ。


「ほふぅ~」


喉から胃へと、身体の芯へと伝わって行く優しい熱に身体を弛緩させ、ため息を漏らす。


落ち着いたところで、悠希はテレビの電源を入れ、ニュースのチャンネルに合わせる。


ニュースでは連日騒がれている連続殺人犯についての報道がされていた。


今週に入って2件。先月だけでも十数件。


今年で合計したら何百件に上るのか。


巷を騒がせる殺人鬼は未だに捕まっていない。


というのもだ、正体が分からないのだ。


日本の警察は優秀だが、ふらっと現れて殺す。殺人の痕跡は残しても、自身の遺留物は一切残さない。


そんな神出鬼没の完璧な殺人をされては、特定のしようがない。


そんなだからか、ネットではそれはそれは根も葉もない噂が出回り、メディアがセンセーショナルな報道をした結果、その特徴からこう呼ばれるようになった。


《切り裂きジャック(ジャックザリッパー)》と。


ここまでは、既に毎日のように聞いている訳で、悠希自身『またかよ…』と若干食傷気味なので聞き流していたのだが、ニュースキャスターの発言で我に返る。


『今回は末栄市で起きており…』


「まじかよ…」


末栄市は悠希の住む街で、正確には東部に悠希は住んでいる。末栄市は四方を山に囲まれた田舎町で、ここ四、五年で都市開発が進んでいる街である。


『末栄市及び、周辺地域の方々は夜間の外出を控えるように…』


「用心しないとな…」


これまでの犯行は全て夜間の路上で行われ、民家などへの侵入は無かった。


それが故に、外出を控えるように言っているのだが、戸締まりにも気をつけなくては。


とは言え、自分が標的になることなど有り得ないと思っているわけだが。


そんな事を考えていると、ニュースはクリスマス関連へと変わり、悠希はテレビを消した。


「そうか、今日はクリスマスか…」


忌々しげに呟く。


独り暮らしが故なのか、悠希は行事感覚が薄い。


クリスマスと言えば、プレゼントとかカップルがキャッキャウフフするのを連想するが、サンタさんは中学生で来なくなったし、まして人肌などとは無縁である。


クリスマスのお祝いと言っても、独りで行う物ほど空しいことはない。


何も考えずに過ごすことにして、いつの間にか、ほとんどを胃に収められたトーストの最後の一かけを口に入れ、パサつく感覚と空しさをココアで強引に流し込んだ。


「さ、片付けっと」


椅子から立ち上がり、皿を下げて台所の流しに置く。


そのまま皿を洗おうと、流しのレバーに手を伸ばした。その瞬間。


「…っ!!」


名状しがたい違和感と足下からぞわぞわっと這い上がってくる悪寒が全身を包んだ。


「守谷悠希様ですね…?」


まるで、悠希の感じた違和感に応えるかのように、男の落ち着いた声がリビングの入り口から響いた。


「誰だ!」


咄嗟に振り向き、そこに立っていた侵入者の姿に、悠希は目を疑った。


そこに立っていたのは、二メートルもある大柄な体躯を黒い紳士服で包み、顔に純白の仮面を着けた男だった。


仮面のせいで性別は判別しないものの、声と体格からそう推察した。


その住宅街には似合わず、浮世離れした身なりに愕然としつつ、悠希は思考する。


一体何者だ?克巳伯父さん?

それにしては、あまりに体格が良すぎるし、趣味が悪すぎる。


いやそもそも、どこから入ってきた?

玄関なら音が聞こえるはずだし、窓からにしたって、戸締まりはしっかりしているはずなのでそんな事は有り得ない。


泥棒。あるいは、考えたくないが切り裂きジャックか。


いずれにしても、最善の行動を取るべきだ。


男との距離はざっと4、5メートル。


これなら、スマホの緊急通報機能で十分間に合う。


最悪殺されても、腐る前に死体は見つけてもらえるわけだ。


悠希は男に視線を合わせたまま、牽制の意味を込めて、流しの下の収納から包丁を取り出して刃を向け、ポケットからスマホを取り出し、画面を操作する。


そして、『警察』を選択するために一瞬だけ視線を手元に落とした。その瞬間。


悠希の全身を突風が叩いた。


「…え?」


一瞬、何が起こったか分からなかった。男が目の前に、目と鼻の先に立っていた。


「それは困ります」


冷然と男は言うと、悠希の両手首をガシッと握る。


「っ、あっ!!」


襲いくる圧迫感に耐えきれず、呻き声をあげ、手が開いてスマホと包丁が滑り落ちた。


ここで、悠希はようやく理解した。


男が目にも留まらぬ、風圧を生み出す速度で詰め寄ってきたこと。そして、純粋な力でねじ伏せられていると言うことを。


――こいつ…人間か?


何も、悠希自身に何らかの特異な力があるだとか、武術の心得があるとかそういう理由で思った訳ではない。


およそ、目の前にいる人間の運動能力?身体能力?が人並み外れていたからだ。


「っつ!離せっ!!」


手首への圧迫感に絶えきれなくなり叫ぶ。


「これは失礼」


男はハッとしたようにそう言って、悠希の腕を離した。


解放され、紫色に鬱血した手をさすりながら、自分より30センチほど上にある男の顔を見上げる。


抵抗など、意味を成さない。


スマホと包丁に手を伸ばしてもどうすることも叶わないだろう。


純粋な暴力が悠希に諦観を覚えさせた。


――いや、だめだ


諦めてはダメだ。


確かに悪手を打ったが、まだなんとかなるはずだ。


ならない確率の方が大きいが。


とは言え、男は先ほど手首を握ったときに素直に離してくれたのだ。


なら、慎重に言葉を選べば会話をして活路を見いだす余地があるのではないか?


いや、そうでなくては死あるのみだ。


そんなことを考えていると、男が口を開く。


「もう一度伺います。あなたは、守谷悠希様…ですよね?」


「…何が目的かは知らないですけど、あなたの言う通り、俺は守谷悠希です」


素直に答えると、男は念を押すように再度聞いてくる。


「2013年1月×日生まれ、父は勝也。母は千夏。10年前の『大晦日の惨劇』で両名が死亡し、父方の伯父である克巳の養子として引き取られ、末栄市で生活を開始。現在17歳で高校二年生の守谷悠希様…で、お間違いありませんね」


つらつらと、悠希の来歴を暗唱して見せた。


この情報に間違いは一切無い。完璧なプロフィールだ。


「まぁ、ここまで聞くことも無いでしょう。このような特殊な来歴を持つ人物はあなた以外に絶対にいないと言って良いでしょうから」


ひとりで納得するように頷く。だが、それとは対称に、悠希には納得のいかないことがあった。


「なんで…なんでそんなこと知ってるんだ?!」


その疑問は尤もだった。


守谷悠希という少年の事情を知る者は片手で数えられる程度しかいないはずなのだ。


メディアにすら伏せられた情報を一体どこから手に入れたというのか。


まるで、男がストーカーのように見えて、途端に気持ち悪くなり始める。


「そのことについても後からお話ししましょう。まずは、話を聞いていただけますね?」


「…分かりました。降参です。聞きますよ。というか、聞かなかったら殺されそうですし」


手をヒラヒラさせて降参の意を重ねて示すと、少々不満そうに男が言った。


「心外ですね。こんなことをしていますが、殺すつもりはありませんよ…まぁ、間違っていたなら記憶を弄るだけですから」


「…」


トンデモナイことを言ったが、そこに触れたら話が捩れるので腹に貯めておく。


「では、本題に入りましょう。立ち話で難ですが、時間もありませんし仕方ありません。守谷悠希様。私は案内人と申します。貴方を神の元に導くために参上いたしました」


「…はい?」


何と言ったか理解するのに、たっぷり数秒を要した。そのあまりに突飛な単語に思わず呆けた声を漏らす。


「…か、神って…えぇ…?」


「まぁ、その反応をされるのも無理は無いでしょうが、しかし、事実なのです」


真剣な声音で言うが、悠希はなんと言葉を返して良いか分からなかった。


案内人はそれに構わず話を続ける。


「守谷悠希様。これから私の申し上げることは紛れもない事実。本当の事なのです。七日後の一月一日を迎えるとき、世界は滅びます。それを阻止するべく、神は新たな神を選定する《バトルロイヤル》を行うことを決定しました。

守谷悠希様。貴方は選定対象である《候補者》のひとりに選ばれたのです」


「…はい?」


つい先程と同じ反応をする。


鳩が豆鉄砲を食ったような顔とはそのことを指すのか、案内人の言ったことはあまり理解し難いことだった。


いや、言葉自体は無論理解していた。


というのも、案内人の発言は統合失調症の患者のソレととれるものだ。


精神科医の言葉に『患者の発言の内容を理解しようとするとこちらまで気が狂う』というものがある。


そのことを悠希は無意識的に思い出し、理解を拒んでいた。


「そういうことで、守谷悠希様。私に着いてきてください」


「いや、は、え…そう言われても…」


拒否は出来なかった。いや、しようがない。


すれば、案内人曰く、記憶をちょちょいと弄るそうだが、どうも普通に殺されてしまいそうな気がした。


「守谷悠希様。一つ、申し上げ忘れていたことがございます」


「忘れていたこと?」


「はい。それは、この選定の儀の報酬についてです」


「報酬?」


「はい。最後に生き残ったたったひとりにのみ、『あらゆる願いを一つだけ叶える権利』が報酬として与えられます」


「願いが叶う…」


たったそれだけが、悠希の頭の中で反響した。


もし、それが本当なのだとしたら、あの日死んだ皆んなを蘇らせることができる。


ーーだったら、俺は…


悠希の心は決まった。


これが、統合失調症患者の妄言ならそれまでのことだし、すぐに分かることだ。だが、本当のことならば。


「どうされますか?今すぐご決断ください。代わりを用意するにも、貴方の記憶を弄るにしても、あまり時間がありません」


少しだけ焦ったように案内人が言った。


「…それは、どんな願いでも叶うんだな?」


「ええ、およそ、ヒトの考え得るいかなる願いでも、一つだけ叶えることが出来ます。そうでもなければ割に合わないでしょう?」


「ああ、そうだな」


「では、どうされますか?」


「行くよ。連れて行ってくれ」


悠希は決然と言った。


「では、参りましょう。神の世界へ」


案内人はそう言うと、悠希に背を向けて指を鳴らした。


何が起こるのかと悠希が見守っていると、目を疑う現象が起こった。


案内人が一歩踏み出したかと思うと、忽然と姿を消したのだ。


「…え?何が起きて…」


理解を超えた現象が起こり、頭に疑問符を浮かべていると、案内人の声が響いた。


「守谷悠希様。早くこちらへ来てください」


「来いって言われても…」


「ワームホールのようなものですから。真っ直ぐ歩くだけで結構です」


「ワームホールって…」


随分SFチックな単語というか物が出てきたことに驚きつつ、案内人の消えた地点を改める。


「これは…」


空間が揺らいでいる。


夏場のアスファルトが加熱された時に見せる蜃気楼であるかのように。


試しに指を突っ込んでみると指が消えた。しかし感覚はある。


「大丈夫だよな…?」


不安になりながら呟く。


「ええい、ままよ!」


勢い任せに、悠希は一歩踏み込んだ。

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yours 無銘 @mumei523

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