Day30 握手

「レイニー、君は意外と無茶苦茶をするんだね」

「はぁ、はぁ……えぇと、そんな、いえ、……はい」

 サインから投げ掛けられた言葉を、レイニーは頷いて認めた。まだ濡れそぼった体は冷えて、水を含んだ服を重く纏っている。彼は風の魔術を一種の防壁のように張ってから湖に飛び込んだが、それも浮上するまでは保たなかったのだろう。水面から飛び出してきた頃には、頭から爪の先までずぶ濡れになっていた。

「やっぱり荷物が惜しかったのかな」

 サインは、レイニーに雑にタオルを押しつけながらも、何も知らないふりをする。レイニーは、眉を叱られた犬のように下げながら、大人しくゴワゴワのタオルに拭かれている。

「う、そ、そう……荷物……せっかく頂いたパイが……」

「気にすることはないさ。「底」の連中も、たまに馳走が食べられて喜んでいるだろう」

「うぅ……そ、そうですね……お魚さん達に召し上がって頂ければ……」

 ぷはっ、分厚いタオルの隙間から顔を出したレイニー。その濡れそぼった髪と顔を、ぐりぐりと拭ってやる。

「いたたっ……サイン様、もう、私は大丈夫ですから……!」

 ニヤニヤとした楽しそうな笑みを浮かべながら、サインはゴシゴシとレイニーの濡れた体を拭き続ける。そうしてベタベタと触っても、あの龍の姿はない。

(……う~ん。わざわざ飛び込んでまで、助けに行ったのだと思ったのにな)

 レイニーが高い探知能力を持つとは言え、目視で確認できないのであれば至難か。水中には、落ちてゆく荷物や木片の他、大量の泡や塵も含まれていた筈だ。それらが走査を妨げ、あの極小の龍を亡失した可能性も高いか。

「レイニー、服を脱いでみないか?」

「大丈夫ですっ! 後は風の魔法で乾かせますから、お構いなく……!!」

 さすがにこのごり押しは無理があったか。レイニーも、いい加減ゴワゴワと拭かれ続けることから逃げようとしてか、ブンブンと首を横に振っている。

「ふぅん、そうか。まぁ、災難だったなぁ」

 ハハハ、と笑いながら、ボロ布の下の眼を細める。アレをレイニーが隠し持っていないのであれば、湖の底に沈んだと思っていいだろう。灰の匂いのする炎の龍。……まだ幼体の内に、始末がついたなら僥倖だ。しかし、まだどこかに生きているのなら……。

 まぁ、いいか。これよりも先は、自分の管轄外だ。

「その、サイン様……大切なお舟が沈んでしまい……」

「ああ、いいよ。どうせボロだったし……気にしてくれるなら、後でフェザーズを二、三人呼んでくれ。新しい舟造りを手伝ってもらうよ」

「その時は、私もお手伝い致します」

 ペコペコと頭を下げながら、レイニーはその場を後にした。サインはその後ろ姿をしばらくの間ジッと観察していたが、立ち止まったかと思えば「くしゅん!」と大きなくしゃみをするだけの背中を見て、やがて苦笑しながら水の中に戻っていった。


「……うわっ!?」

 ボウッ、と突然レイニーの体が燃え上がったのは、そんな時だった。

「わ、わ、わ、わっ!? ……あ、あれ。熱くない……」

 レイニーの体を包んだのは、炎のカタチをした強い光のようなものだった。そこに危険な熱さは全くなく、むしろ心地良い温もりがあり、穏やかなエネルギーに包まれているかのような、不思議な感慨をもたらした。突然のことに驚きつつも、次第にレイニーの気分は柔らかくなっていった。同時に服と髪も、凄まじい速度で乾いていく。その温かな炎がゆっくりと収束した時、レイニーの袖の隙間から、ひょこっと、ロンが顔を出した。

「あ、ロン様! ご無事で……」

「寒い」

 目が見えないレイニーでも、声色から、ロンがどれだけ不服そうな顔をしているかは感じ取れた。レイニーは困ったように眉を寄せながら、ロンの小さな体をそっと両手で包んだ。

「その……ど、どうでしょう?」

「……まだ、寒い」

「で、では。失礼します」

 レイニーはロンを包んだままの両掌を、そっと自分の胸に当てた。レイニーを形作る魔力の根源は、心臓にある。そこが一番自分の体で温かい場所であろうと、レイニーはそこにロンを導いた。

「…………」

 まだぼんやりとした頭で、ロンは不思議に思った。ここは生物の急所だ。そして、自分は悪しき龍だ。今更なんの言い訳もできない。

 罪によってこの姿になった。それだけのことをして、そしてこれからも改心する気は全くない。その様な人間が、それに相応しいカタチになった。そんな業の塊を、どうして自分の胸に案内できるのだろう。

 何も見えていない故なのか。知らないからこそか。

「…………」

 ロンは、小さく掌を差しだした。レイニーも、よく分からないまま、ロンを支えるのとは逆の指先を、そっと差し出す。

 ロンは、その指先を軽く掴んだ。それはまるで、握手でもするかのように。

(――害する気も起きない)

 今更、ではあるけれど。ロンは、そのじわりと熱を放つ心臓に、もう何の悪意も持ち合わせない自分の存在に気づき始めていた。


(続く……)

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