Day25 報酬
「レイニーちゃん、これ焼いたから食べてよ」
「いえ、私は、その……」
いいからいいから。報酬だと思って受け取ってよ! そんな言葉と共に、アップルパイの入った箱が、次々とレイニーの腕の中に投げ込まれていく。レイニーが慌てふためきながらアップルパイを受け取る度に、肩の上で休憩していたロンの不機嫌ゲージが上がっていく。
「オレ達の自慢の林檎畑、最近元気なかったからさぁ」
アライグマの悪魔は、壮年の男の体を杖で支えながら、フフンと鼻歌を歌うように背後に拡がる林檎畑を振り返った。
「レイニーちゃんが歌ってくれたお陰で、ずいぶん葉の色艶が良くなったよ。また新しい実を付けたら、一番にお城に届けに行くからね」
「ありがとうございます」
フラフラしているレイニーの顔は、アップルパイの箱が積み重なって殆ど見えない。頭頂部だけがほんの少し見えているくらいだ。その頭がぺこんとお辞儀をして、またぐらりと箱の山が危なげに揺れた。
「…………甘い」
レイニーの肩の上で、ロンがぼそりと呟いた。背中側や髪の中に引っ込んでいても、この噎せ返るような甘い香りからは逃れられない。砂糖と、バターと、林檎による暴力的な芳香……匂いだけで、既に口の中が甘ったるくなってくる。
「フフ……この香りだけで、お腹がいっぱいになってしまいそうですね」
レイニーは、相変わらずフラフラしながら、箱の山を運んでいる。元々視力ではなく音や距離感によって歩行を行なっていたレイニーに、目の前が見えない程の大荷物というのは、そこまでの問題にはならないようだったが、単に両手が塞がり不安定というだけで、かなり難儀そうではあった。
――悪魔であれば、魔法をもっと便利に使えないのか。という問いには、
「風の魔法でしたら、少しは覚えがありますけれど、繊細な食べ物を運ぶには向きません」
と返され、魔族は瞬間移動が出来るのではないか? という問いには、
「えぇと……エーテルの海を移動する能力、でしょうか。大昔、地球で暮らしていた方々の中には、そういう能力をお持ちの方もいらしたと聞き及んでいます。しかし、我々にはとても、そんな芸当はできません……」
と、申し訳なさそうに返された。
悪魔といっても、全く万能ではないのだな。そう思うと、多少興ざめする気分にはなったが、同時に不思議と気が緩むようだった。ロンは、それを親しみと呼ぶことを知らなかった。
「ロン様」
レイニーが、アップルパイに埋もれながら、ぽそりとロンの名を呼んだ。
「ここは、ロン様にとって、どんな場所にお見えでしょうか」
それは問い、というよりも、会話の中のささやかな呟きのようだった。
……長く長く、地球が滅んだことすら知らないまま眠っていたロンにとって、月は完全なる異境の地。そして、そこで暮らす人々も、人間とは異なる存在だ。
今はロン自身も、人とは遠くかけ離れた存在であるとはいえ(死した地点からそうであり、人間を捨ててからの方が長かったが、今は人のカタチさえなくしてしまった)、彼がこの月においてイレギュラーな存在であることには変わりはない。彼がこれからどうなるのかも、分からない。此処で生きてゆくのか、再び眠りにつくのか、あるいは……。
「…………」
ロンは返事をしなかった。その代わりに、レイニーの肩の上でとぐろを巻いていた体を解き、するすると腕を伝って降りた。
そして、まだ温もりを宿すアップルパイの箱の表面を、コツンと軽く顎で叩いた。
「……フフッ、そうですね。少し、休憩にしましょうか」
そこは高台にある公園で、他には誰もいなかった。レイニーとロンがベンチの上に腰を下ろすと、そこからは魔王の城館が、白い大きな影のようにそびえ立っている姿が見通せた。
(続く……)
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