Day24 ビニールプール

「これ、透明感があって綺麗だけど」

 研究室に入ってきた魔王に、新しく作った素材を見せてみた。

 彼は、30cm四方ほどのその薄い膜を伸ばしたり、灯りに照らしたりしながら、薄らと微笑を湛えていた。つまり、全く感情の動きのない顔で。

「なんだか、ぐにぐにしていて気持ち悪いね」

 いらないかな。そう言いながら、クエスションの手にそれを返した。


「……それで?」

「これよ」

 クエスションとクリアネスの前には、小さな器があった。いや、器と言うには形が奇妙だった。膜のように伸ばした管を空気で膨らませて、それを三段ほど重ねた下部を分厚い面で覆い、その内側に水を流し込んである。紙や布のように水を通すこともなく、内側に堰き止めたまま、一滴も漏らさない。半透明の生地が光を浴びて、テーブルの上に水の模様を描いている。

「ビニールっていうんだけどさ……水も通さないし、適度な弾力もある。何より軽くて、空気を通せば膨らんで安定もする。画期的な素材だと思ったんだけど……魔王様のウケが悪くて。だからもう、これは研究終了なんだけど。最後に、こういう風に使えるんだよって、造ってみたのが、このプール」

「……ずいぶん、小さくないか」

「仕方ないじゃん。素材がこれくらいしか残らなかったんだし」

 クエスションは、椅子にボスッっと体を預けながら、背伸びをする。

「俺も、やる気なくしちゃったしィ」

 クリアネスは、腕組みをしながらそのまま立って、その小さなビニールプールを見ていた。青や黄色の彩色がしてあるビニールは、硝子のような落ち着いた光沢も持たず、木のような馴染みもない。触るとツルツルしていて、少し指でつついただけで全体が揺れる。弾力は、煮込んだ貝のようだ。確かに、魔王様があまり好まなそうな材質だな、とクリアネスは思った。

「空気を抜けば、畳めるのか」

「よく気づいたね。そう、使わないときはしまっておけるの。劣化にも強いし」

「木の桶や風呂も水は通さないが、畳むことは出来ず場所を取るし、移動にも向かない」

「そうそう! そうなんだよ。日々の暮らしには、かなり役に立つと思うんだ。でもさァ」

 別に、役に立つものなんか、誰も求めてないのかも。と、クエスションは天井を見ながら呟いた。

 魔法の力で、大抵のことがどうにかなる社会だ。一人一人が役割を持ち、それをこなしていけるのなら、他に多くは求められない。食事が摂れて、友達がいて、仕事をして。それをただ繰り返しているだけでも、それでみんな満足して、平和に暮らしているような場所で――何十年も、何百年も。

「何か新しいものを造っても、意味ないのかもなァ」

 そう、クエスションは誰に向けるでもなく、自嘲する気力すらないまま、言葉を続けた。殆ど無意識に、諦めるように。

「…………」

 クリアネスは、何も言わなかった。クエスションも特に返事を求めていたわけではなかったから、しばらくの間そうして天井を見上げたまま、ぼんやりしていた。

 チャプ、という小さな水音に気がついたのは、その時だった。クエスションはガバリと起き上がり、目を丸くした。

 クリアネスは、本体である雀の姿に戻っていた。小さな茶色の翼を広げて、フルフルと、小さなビニールプールの中で羽を洗っていた。

 クエスションの視線に気がついても、気にせずに膨らんだベージュ色の胸に水を浴びた。水の球を羽の上で転がして、やがてスイッとビニールプールの青い縁の上に止まったが、クリアネスのほんの小さな体重でも、プールはぐらりと揺れたから、慌てて飛び立ち、代わりにクエスションの肩に飛び乗った。しばしの沈黙を挟んだ後、まるで何事もなかったかのように頷いた。

「水浴びをするには、丁度いい」

 お前もどうだ、とクエスションに振り向く。クエスションはフッと吹き出し、やがてケラケラと笑い出した。

「俺は本体が鶴だから、もっとデカくないとダメだよォ」

「じゃあ、もっと大きなものを造ればいい」

「本気~?」

 笑いすぎて腹筋が攣りそうだ。ハァ、と溜息を吐きながら、クエスションは目尻に浮かんだ涙を拭った。


(続く……)

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