Day22 賑わい

 レイニーの長い髪の間に隠れるように、ロンは黒い鱗で覆われた胴を忍ばせながら、時折そっと大きな銀の粒のような目を開いた。髪の隙間から時折覗く、その爬虫類じみた眼差しは、反射する光と混ざって、誰にも気づかれることはなかった。

 城館の外をご案内致します、とロンに小さく告げて、レイニーは歩き出した。数分も経たぬ内に、先ほど窓から見下ろした街並みの中へと入っていった。

 白亜の森のように建物が建ち並んでおり、所々に植物が茂っている。……が、その多くは、地上で見ていたものとはまるで異なるようだ。火のような赤い色をした、繻子のような質感のユッカ(に似た木)や、花火のように幾重も色彩豊かな花弁を広げる巨大なカーネーション(に似た花)や……。

 ロンはレイニーの耳元に声を掛け、立ち止まるよう促した。そして尻尾の先でちょんちょんと肩を叩き、更に座れと合図を出す。レイニーはニコニコと嬉しそうにしながら、ちょこんとその場に身を屈めた。

 レイニーの体を伝って下へ降り、植物の側に降りた。随分小さくなった両手で、そっと植物に触れる。

 サラ、と指先に触れる感覚。それは紛れもなく、生の植物のそれだった。……表面上は。もう一度、今度は魔力を爪に込めて、触れる。すると、ざらりと砂のように、そこだけ崩れた。

(……やはり)

 これは、作り物だ。この世に存在する万物は、第一質料であるエーテルで形作られているという。この植物は、それらエーテルに形を与え、「それそのように」形作っているものだ。生成された物体には背景がない。遺伝子も、理由も持たない。だからこそ自由な色や形を、好きなように与えられる。

 ロンは、自身の直感は正しかったと認識しつつ、うんざりした気持ちにもなる。スルスルと、素早くレイニーの腕を伝って肩の上に戻ると、憮然とした表情で顎を乗せた。

「失礼致しますね」

 レイニーは、ロンが崩した花の茎にそっと指先を添え、指の腹で優しく弾いた。そこはすぐに元の形に戻った。立ち上がりながら、ロンの背中にもそっと触れる。彼がなけなしの魔力を放出したことを知っていたからだ。ロンは背中に僅かな温もりを感じながらも、憮然とした表情を崩さなかった。

 そのまま歩いていると、レイニー様、レイニー様と、次々と声を掛けられる。その半分は退屈な世間話で、もう半分は、怪我をしたから治して欲しいだの、調子が悪いから歌って欲しいだの、そのように縋る声だった。

「はい、お任せ下さい」

 レイニーは全ての声を聞き、全ての願いに答える。だから歩みは全く進まない。むしろ引き返すことさえある。

 街に暮らす悪魔達は、やはりレイニーらと同じように、動物を化身としているようだった。そのモデルとなっているであろう動物は、その殆どが地上でもよく見られたような生き物だ。尻尾や耳や翼の形状から、それと分かった。獣人と異なるのは、彼らが肉の体ではなく、エーテルで構成されている点だ。

 魔族は――親や兄弟を持たない。地球をあまねく包む魔力エーテルから時折生み出される結晶のようなものだ。波が泡を生み出すように、貝が真珠を生むように。その時、そのように、突然生まれる。悪魔は、その中でも「自我エゴ」を持った者に付けられる名だ。その他の精霊達は、自我など持たない。あるがままにそのように在り、そのように消えていくだけの泡沫だからだ。

 悪魔とは、自身が泡沫であることを良しとはしなかった連中だ。

「…………」

 ロンがジッと、慎重に姿を現さないままで監視している間、レイニーは人々を癒やし続ける。

 治して、レイニー。歌って、レイニー。周囲の賑わいが高まるほどに、悪魔達も多く集まってくる。

 次第に大きくなっていく人混みの輪に向かって、時に手を伸ばし、その手を握らせて魔力を与えて。時に喉を震わせて、腹と胸に力を入れながら大きな美しい声で歌って。レイニーは自身の魂から湧き出る魔力を、それこそ泉のように与え続ける。惜しげも無く。

(餓鬼のようだ)

 この街には医者がいないのだという。レイニーという、癒やしの魔力の源泉が一人いるならば、医者も、医術も必要ないというわけだ。大変に合理的だ。

 ロン自身も、レイニーの魔法には大きく救われている。むしろ、この場で最もレイニーの力を必要としているのは、他ならぬロンであろう。それでも、こうして次々と力を啄まれていくレイニーの姿を見ることは、最初こそ滑稽に映ったが、途中からはいっそ憐れになった。

 レイニーは少しも困った顔や、嫌悪の表情を取りもしない。はい、と素直な声で返事をするばかりで。

「……そうですね。だけど、私の力が、必要とされているのならば」

 疲れないのか、とロンに尋ねられたレイニーは、僅かに掠れた喉を自分でさすって癒やしながら、小声でこう答えた。

「応えたいのです……なるべく。私に……こうして出来ることが、あるのだから」

 ロンは何も言わなかった。好きにすればいい、と吐き捨てることさえしなかった。

 ロンは、フレイズの死んだ時のことを思い返していた。

 人々と愛し、愛され、また深く慈しみ敬愛された聖人が急死した日、国中は大騒ぎとなり、嵐のような悲嘆の声が満ち溢れた。

 その時、多くの信者が涙ながらにこう願った。せめてあの方の髪が欲しい。指が欲しい。爪が欲しい。血が欲しい。ほんの少しでいいから、と。

 その声を封殺し、一欠片さえ奪われないよう遺体を警護する方が大変だった。棺の中を一目見ようと、触れようと、或いは体の一部を千々に奪おうと、次々と伸ばされる多くの人の腕。ロンはその時の暴動寸前の混乱を思い返し、口元に知らずに笑みが浮かんだ。ぐにゃりと、歪むように。

(求められるがままに与えていると)

 いつか、全てを奪われるぞ。と、ロンは決して言葉にはしなかった。

「ロン様?」

 ふと気づくと、レイニーの白い指先が目の前にあった。ロンは、一瞬の間の直後、突然パクリと、その指先に噛みついた。

「あたっ……」

 鋭い牙へと変化した歯が、レイニーの白い指の腹を破った。ほんの僅かに、血の水滴を吸い出す程度ではあったけれど。濃密な魔力が喉に流れ込んで、噎せ返るほどだった。

「……フフ。すいません、お口に合えば良いのですけれど……」

 ゆっくり、ゆっくり飲んでくださいね。……気遣わしげなその声に、ロンはむしろ嫌気が差して、口を離した。大体、原液は重すぎて、続けて飲んではいられなかった。

「あ、もうよろしかったですか……?」

「…………」

 ロンはプイと首を逸らし、スルスルと再び肩の上に戻る。

 レイニーはロンの動きを暫く待っていたが、彼がただとぐろを巻いて寝たふりをしていることを把握すると、ゆっくりと立ち上がった。

 まだ、慰安の道程を続けるらしい。ロンは既に、その道行きに興味を失っていた。


(続く……)

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