Day19 爆発

 ドォォン、と地響きのような音と共に部屋の壁が揺れたのは、そんな時だった。今更何が起ころうと大層驚きはしないが、なんて忙しない場所だ、と飽き飽きした。

「上で爆発が起きたようです」

 上で爆発が起きたようです、ではないが。ここではそんな事が日常茶飯事なのか?

 レイニーは、数秒の沈黙の中でジッと天井の方を向いて、耳を澄ましていたようだった。そして、場所と事態に見当を付けたのか、スックと立ち上がりながら、掌の中のロンを見た。

「ここでお待ちになりますか? 何も無い部屋なので、退屈してしまうかもしれませんが……」

 レイニーの気遣いの方向性は、よくわからない。この期に及んで……と思いながら、ロンは無言でレイニーの首元にスルスルと登っていった。

 一緒に行く、という合図だと読み取ったレイニーは何も言わず、壁に掛けてあったストールを一枚取り出すと、ふわりとゆるく首元に巻いた。

「息苦しくはないですか?」

 髪の中に潜り込もうとした姿から、人目に触れることを避けようとしていると踏んだのだろう。ロンがストールの下でこくりと頷くと、レイニーもニッコリと笑いながら頷き、二人は部屋の外へ出た。


 ロンは、ストールの隙間からそっと首をもたげて外を見た。

 白い城だった。石の材質は不明だったが、滑らかで粒が均等で、白い粘土のように見えたが、表面に僅かに真珠様の光沢を擁しているようだった。モルタルや漆喰とも異なる。大理石でもない。異世界の建材だと思った。

 入り込む影が淡く、曖昧だ。窓の方を見る。朝のように思えたが、その空には深みがなかった。青空というものも、結局は宇宙の色だ。その抜けるような青い色とは程遠い、まるで水彩絵具を流し込んだような、偽りの空だと思った。

 ロンは、少しずつ、ここが「月」と呼ばれる場所であることに、実感を得るようになってきた。一見すると地球のように見える。まるで変わらない場所にも思える。しかし、じっくりと観察すればする程、その差はむしろ残酷なほどにハッキリした。

 ロンはふと、フレイズの付き人として、ある貴族の邸宅に招待された日のことを思い出した。その屋敷には赤子がいて、是非フレイズにも顔を見て欲しいと、子供部屋に案内されたのだった。青空や夜空を模した天井、精巧な鳥のモビール、カラフルな木馬、兎のぬいぐるみ。かわいい子ですね、と笑いながら遠巻きに子供を見つめるフレイズの後ろで、ロンはその、毒々しいばかりに作り物だらけの部屋を、寒々しい気持ちで見ていた。

 あれと同じだ、と思った。子供をあやす為の作り物のような――。


「ロン様。私は少し、友人に会って参ります」

 声を落としながら、レイニーはそう語り掛けた。二人は、大きな観音開きの扉の前にいた。その扉の隙間から、もくもくと煙が上がっている。まさかその友人というのが、この奥にいるんじゃあるまいな。ロンは目線でそう問い掛けたが、勿論レイニーには伝わらない。

「少しだけ、ご辛抱下さい」

 ちょん、とレイニーの白い指先が、ロンの小さな黒い頭のへこみに触れた。まるで幼い生き物にするかのような甘やかした態度に、ロンの眉間の皺は更に深くなった。

「エス、エス。爆発音が聞こえましたが、大丈夫ですか?」

 扉を開けた瞬間、一気に煙が吹き込んでくる。ロンは反射的に目をしかめたが、多少煙臭いだけで、苦しさは感じない。どうやら、レイニーが薄い風の層で、自分達を包んでいるらしい。ややして、中からゲホッゲッと咳き込む音と共に、「大丈夫じゃないよ~!」という、間の抜けた女の声が続いた。

「レイニー! レイニー来てくれたの!? わーんっ!! ねぇ聞いてよォ~~!!!」

 煙の中から現われた女は、両手を万歳の形に持ち上げたまま、レイニーにしがみついてきた。最初は、苦しさのあまり倒れ込んできたのかと思ったが、そうではなく、単に泣きついただけだった。

 レイニーは、絡みついてくる女をよしよしとあやしたまま、次々と窓を開けていった。煙が外に出ていくことで、ようやく中の様子も見えるようになった。

 まるで錬金術師の部屋のようではあったが、状況は無惨としか言い様がない。散乱した硝子の破片や、テーブルの上で未だブスブスと泡立ち、半ばスライム状になっている、液体のようなもの。椅子は爆風で吹き飛ばされ、完全にひしゃげてしまっている。女は、白衣を所々焦がしつつ、白い髪や顔まで煤で汚した傷だらけの体で、さめざめと悲嘆を訴えている。その割には、妙に元気がある。本当は、別に悲しんでもいなさそうだ。

「また失敗だよォ~。やっぱり俺、実験下手なのかなァ?」

「どうでしょう……まだ45回、暴発しているだけですから……」

「最初は予定通りやろうと思うんだよ。ちゃんと計算してさ、これとこれを組み合わせれば、新しい成分が抽出できるって事前に計画書まで作るんだけどォ……始めたら、「つまんな!」って思うワケよ。だから大胆なアレンジをさァ」

 アホなのか、とロンはレイニーの首に巻き付きながら思う。

「エス。まずは火傷を癒やしましょう。ここでいいですか?」

「うん、いいよ~。フェザーズが来たらどうせ片付け始めなきゃだし」

 わかりました、とレイニーは頷くと、エスと呼ばれた女は躊躇いもなくレイニーに抱きついた。女の、巨大とさえいえる程大きな左右の乳房が、むにゅっとレイニーの胸板に押しつけられた。ロンは急いで背中側に逃げ込みつつ、彼らの様子をそっと見下ろした。

 レイニーが口の中で小さく何事かを呟いた。聞き取れなかったが、それは短い呪文の詠唱のようだった。祈りの言葉にも近かった。

 パァ、と二人の足元が光り輝いた。レイニーを中心に、白い光の粒が舞い上がり、粒子のように二人の周囲を舞ったかと思うと、すぐに消えた。粉雪が風に吹かれて舞い込んでも、肌に触れれば瞬時に消えてしまうように。

「ふぅ~、ありがと! もう痛くないよ」

 エスが顔を上げると、その顔には既に傷一つなかった。爆発による火傷も、硝子で切ったであろう切り傷も、全て消え失せている。彼女はレイニーの体から離れると、やれやれと白衣を脱いだ。

「そちらのお召し物にも、補助魔法を掛けましょうか?」

「今はいいや~。まずは掃除しないと!」

「手伝いますよ」

 いいって、治してもらっただけで十分! そう振り返って笑うエスの顔が、急に引き攣った。

「あ、クリアネス。おはようございます」

 レイニーが深々と挨拶をする。クリアネスは、背後に「うわ~!」「また派手にやったね」「ヤバ!」などと口々に言い合うフェザーズを従えながら、完全に怒り心頭という顔で、腕組みをしながら扉の前に立っていた。

「レイニーもう行った方がいいよ」

「しかし……」

「いいから!」

 エスに小突かれながら、そっとレイニーはそっと扉の外へ出て行く。フェザーズと小さく手を振り合いながらその場を後にすると、階段にさしかかった辺りで、凄まじい音量の怒鳴り声が聞こえた。


「先ほどのお方は、クエススションという方です。次にいらしたのが、クリアネスという方で……二人とも、私の友人なのです。魔王様にお仕えする為に、共に作られて……」

 ロンは、やけにくたびれたという気持ちで、ぼんやりとそれを聞いていた。朝から昼へと変わりつつある時間。レイニーは一度、部屋に戻ることにしたらしい。その道すがら、小さな声で、ポツポツと話を続けた。

「クリアネスと一緒に居た小さな子達は、フェザーズといいます。彼の分身なのですが、とても可愛らしくて、個性的なのですよ」

 分身が個性的なのは、どうか。本末転倒ではないか、とも思ったが、深くは追求しない。

 悪魔という連中は、やたら生命力に溢れているらしい。遠慮も忖度もない、それぞれの我のぶつかり合いのようなものを見せつけられて、ロンは一人で疲れた気持ちになっていた。

 唯一得られた朗報としては、どうやらレイニーの体に触れているだけで、多少の魔力が得られると言うことか。クエスションと呼ばれた悪魔が真っ先にレイニーに抱きついてきたのも、その意図があってのことだろう。つまり、こうして彼の体に巻き付いて行動を共にしているだけで、少しは回復が見込めると言うことだ。同時に、この謎に満ちた世界についても、見聞を広げられるだろう。一石二鳥、ということだ。

「…………」

 ――いや――かなり、面倒だな。

 ハァ、とロンは一人で溜息を吐いた。


(続く……)

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