Day12 門番
図書館には、人間が書いた本が沢山置いてあった。それらの大半は本物ではなく、写本だ。図書館には、地球から吸い上げた知識と記憶の残滓を、『記録』として書き写す専門家がいる。彼女達がコツコツと、数百年をかけて書き続けた本の山が、図書館を形作っている。
ヤモリの悪魔・ナイヴは、たまの休暇を、もっぱら家で寝ているか、バルの端っこで酒を飲んでいるか、図書館で本を読んで過ごす。彼は他人と過ごすことが得意ではなく、基本的にはいつも一人でフラフラとしていたい。話すことも、気を遣うことも苦手だ。
月魔界は美しい都市だ。賑やかな市街地の他に、地球を再現した豊かな自然環境も整っている為、大抵の悪魔達がのびのびと過ごすことができる(ただし、海だけはないので、海洋出身者は厳しい生活を強いられているという噂もあるが……)。
しかしナイヴは、それらに特に魅力を感じない。かといって、不満もない。ただ、一人でいたかった。
そんな彼が門番の仕事に就いたのは、ある意味必然だったのだろう。
月は静かだ。魔王が張った環境維持の為のバリアは五層。内側にいけばいくほど魔力に満ちた過ごしやすい土地となり、外側にいけばいくほど、乾いた虚無へと近づいていく。ナイヴが過ごすのは第二層と第一層の中間地点。まだ空気があり、重力も維持されているが、白い砂が広がるばかりで植物はもちろん土もなく、音もなく、風もない。第一層まで抜ければ、空気も薄くなるだろう。ここはそのギリギリの地点だ。
ナイヴはここで、ただ座っている時間が好きだった。
(小説の中には、宇宙からの来訪者だとか、侵略者だとかが出てくる話もあったっけ)
広い、広い、広い、茫漠の大地の前では、思考すら鈍化する。
(もう百年以上こうしているけれど、そんなの一度も見たことがない。あれは、人間が作ったファンタジーだったのだろう)
人間は宇宙に夢を見た。届かぬ場所、辿り着けぬ場所――その果てに何があるか、誰が生きているかを豊かに空想した。人間は悪魔よりもずっと人生が短い。その短い人生で、小さな頭で、様々な空想を泡のように膨らませては胸を躍らせていたのだろう。
ナイヴはそれが夢だと知っているけれど、彼らが遺した本を読んでいる間は、そんな事実など忘れてしまう。
同じように空想の泡を頭の中で弾けさせて、同じように胸を躍らせる。そして、門番の職務に戻ってからしばらくは、どこからかUFOだの宇宙人だのがやっては来ないかと目を光らせて、一週間もすれば、それに飽きる。
誰も来ない、音もしないこの場所で、無機質な地平線を眺めながら、携帯食糧を時折口にする。足元に引いたカーキ色の絨毯の上で、時折体を横たえたり、ストレッチをしたりしながら、ずっと、この境界線を守り続ける。
(異常なものなど何も無く、起こり得もしないと、知っているのに)
――そんな仕事続けてたら、オレなら狂っちゃうよ。
バルの片隅で飲んでいる背中に、そんな笑い声が降ってきたのは、もうずいぶん昔の話だ。
(意外と、平気なんだよなぁ)
ナイヴは、闇が近づき冷え込んだ空気から身を守るため、マントを口元まで引き上げながら、体を丸めるようにして、座り直す。
思考すら曖昧になる程の退屈に潰れそうになった時は、首を持ち上げて、天を見上げればいい。
数え切れない程の星の数に圧倒され、その背後の途方もない暗闇に、絶句するだろう。そして、「嘘」だと分かったはずの空想が、「もしかしたら」に変わる瞬間を目にするのだ。
そうすると、再び地平線に目を光らせたくなる。消えた筈の高揚感が、再び胸に小さな火を灯す。
(しかし、こんなにワクワクしていて、門番が務まるのかな――)
と、たまに自嘲してしまう。もし、何か間違って、本当にいつか「UFO」などか飛んできてしまったら――思わず、迎え入れて、握手してしまうかも。
(続く……)
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