Day11 飴色
あの男が戻ってきたならば――と、ロンは無人の部屋で考えていた。
(この時代と場所のことを詳しく知る為には、あの男を利用する他はない)
実体化できる程度の魔力も持たず、ただ意識だけの存在となっている今のロンに、出来ることはあまりにも少ない。かつて人々に恐れられた怨念の獣としては、落ちぶれたにも程があるが、風景どころか地形すら変わっているほどの時が経っているのだ、仕方があるまい。
自分の、透過した掌を見下ろす。夜になり、街明かりが僅かに差し込むだけの部屋の中で、動かした指先が幽かな反射のような光を放った。
(あの男が持つ、強力な解呪の魔力。私を解放したばかりか、余剰の魔力によって僅かとはいえカタチを与えた。……洗脳するか、催眠を掛けるか。あるいは眠っている間に少しずつ魔力を奪うか。……ともあれ、私を治すよう働きかけることができれば)
実体を得る為の魔力は容易に手に入るだろう。そう、ロンは見当を付けていた。
その時、トン、と何かが部屋の扉に当たる音がした。
噂をすれば、とそちらを振り向く。しかし、なかなか部屋に入ってくる気配がない。ごそごそと、探るような気配と、苦しげな息遣いが聞こえる。
(……?)
ここの家主たる男は、強力な魔力の持ち主だ。悪魔という種族であるならば、それこそ息をするように、魔法を扱うことができるだろう。どうやら彼は目が見えないらしかったが、その不自由さえ感じさせぬ程の精度で細やかに魔力を扱い、平然と生活を送っていた。……その筈だったが。
ガチャリ、とようやく不器用に扉を開けると、雪崩れ込むように、男が部屋に入ってきた。
「…………」
ロンは、その姿を見て虚を突かれた。
(…………強盗にでも遭ったのか?)
それとも、拷問にでもかけられたのか。ロンは訝しげに、ぐったりと扉に寄り掛かる男の姿を見下ろしていた。
青ざめた顔に精気はなく、呼吸は荒く、浅い。何度も胸を上下させて、辛うじて生を繋いでいるかのようだ。
ぽた、ぽたと水滴が落ちる音がする。見ると、手首に深い傷があった。
悪魔の血は人の血とは違う。人であっても、高位の魔術師であればその血は魔力による燐光を放つものだが、悪魔は個体によって血の色自体が異なるという。彼の流す血は、鮮やかに映える朱色で、帯のような飴色や山吹色の濃淡を描きながら、金色の光の粒が煌めいては揺れていた。まるで腕から火が漏れるかのようで、一瞬その鮮やかさに見入った。
「……あぁ……ぅッ……」
苦しみを吐き出すように、そう呻いた後、ガクンと体が動かなくなった。死んだのか、と暫し観察していたが、まだ胸は動いている。そもそも、悪魔とは死ねば塵となって消えるのだったか。ならば、こうして実体を保っている以上、ただ気絶しただけか。
「…………」
ロンは、どこか呆気に取られるような、不可解な気持ちで、その有様を見ていた。
魔力を奪ってやろう、と思っていた相手は、まるで干からびた残骸のようになっている。ここには何やら恐ろしい怪物でも棲息していて、憐れにも襲われたとでもいうのか。
いや、とすぐに考えを打ち消す。男の腕についた傷の回りには、青痣があった。それは明らかに、ヒトの掌の形をしていた。
なるほど――何者かに、魔力を奪われたのか。
(私よりも先に)
ゴッ、とロンの中で燃え上がるものがあった。
怒り、というよりは「不満」だった。自分が目を付けていたものを、勝手に味見されたような気分だった。
ロンは、男の傍にふわりと透明な体を引き寄せ、気を失った顔を見つめる。
多少衰弱しているだけで、死の危険からは程遠い。どういう造りになっているのか、これほどまでに魔力と血液を奪われているにも関わらず、心臓がドクドクと脈動し続け、次々と新たな魔力を泉の如く生み出し続けているらしい。
どれだけ本体が傷付こうが、魔力を吸われようが、この回復性能であれば無尽蔵に回収ができるだろう。……悪意があれば、加虐の的にすることすら。
ロンの口元に、残忍な笑みが浮かんだ。なんて憐れな生き物なのだろう、と。
今の状態のロンに、出来ることは何もない。しかし、ただ黙って、近くで見ていた。
深く閉ざした瞳は、寝ても覚めても何も映さない。それでも、瞼は小さく、辛そうに震えている。ロンはその瞼の上に、そっと、自分の透き通った掌を重ねた。
「…………」
そういえば、この男の名は、なんだったか。……それすら、ロンは知らない。
掌の下で、いつしか、瞼の痙攣は治まっていた。
「…………ぅ……」
やがて、レイニーは目を覚ました。目覚めても、景色の暗いことには変わりはない。
しかし、鼻先に触れる白檀のような仄かな香りが、彼を苦痛の檻の底から、そっと、静かな夜へと引き戻したように感じた。
レイニーは僅かに取り戻した力を振り絞って、ゆっくりと、立ち上がった。
(続く……)
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