Day07 洒涙雨
「ねーえ、レイニー。顔を上げな。大丈夫、誰も怒ってないからさ」
クエスションの掌の中で、黄色い小鳥が蹲っていた。
首をすぼめているが、眠っているわけでないのは、プルプルと震えている姿からすぐにわかる。
クエスションは、その姿を見下ろしながら、ヘヘヘ~とニヤニヤ笑った。小さきかわいい生き物だなぁ、食べちゃいたいなぁ、アーン。などと口を大きく開ける真似をすると、掌の中の小鳥は、より一層大きく震えた。
「冗談、冗談だって。……ネ、ホントにさ。むしろみんな心配してたよォ? レイニーみたいな真面目ちゃんが、寝坊で遅刻するなんて珍しいって」
俺なんか、毎日テキトーに過ごしすぎてて、もう誰からも何も言われなくなっちゃったよ、アハハ! ……そう笑う声を背後に、レイニーがもぞもぞと、小さく頭を出したことを、クエスションは見逃さなかった。
「……し、失敗、を……」
「うん?」
「失敗を……あまり、こんな……こと、したことが、なかったので……自分で自分に、驚いてしまって」
うんうん、と頷きながら、クエスションは椅子の上で大柄に脚を組み直した。長い足がコンパスのようにくるりと動き、黒いズボンが軌道を描いた。
「あるあるだよねェ。ま、レイニーはいつも働き過ぎなくらいだし、むしろもっと休んでさァ、好きなことすればいいと思うけど」
「好きなこと……歌うことです」
「いいじゃん」
「皆さんの前で……」
「それじゃ仕事じゃん」
うぅ……と、もう一度すぼまりそうになるレイニーの首を、クエスションの指先がそっと撫でる。
「じゃあ、落ち込んだレイニーに、素敵な昔話をしてあげよう。人間達が、夜空で光り輝く星に託した、悲しくも美しい、恋人達の物語を」
「……星?」
レイニーが、クエスションの指の腹にふわふわの羽をくっつけながら、そう尋ねた。
「星……頭の上で、キラキラと光るもの、と聞いています。光る……というのは、温かい、に近いとも」
「うん。温かで、丸くて……見上げていると、胸が清らかになるような」
「へぇ……」
「そんな星達の中でも、特に明るく光る二つの星があってね。その星に、牽牛と織女という名前を付けてさ……その星の間には、天の川っていう大きな川があってね」
「川が? 空に?」
「小さな星が集まった川さ。小さな星は、砂粒よりももっと小さくて……」
レイニーは、掌の上からフワッと飛び立つと、彼のすぐ隣の椅子の上に、人の姿になって現われた。クエスションはニコリとする。彼の顔が、興味でキラキラと輝いていたからだ。
「聞かせてください。天の川……星の川は、どうして牽牛と織女の間に?」
「それがこのお話の肝なのさ。昔々、あるところに……――」
クエスションはそうして、『七夕伝説』をレイニーに語って聞かせた。
レイニーは頷きながら、時に素朴な疑問を口にし、その度にクエスションはレイニーの掌の上をなぞりながら形を教えたり、自らが牽牛や織女、天帝になりきったりした。レイニーの表情は、すっかり明るくなっていた。
「……そうして、年に一度の逢瀬の日である七月七日に降る雨を、洒涙雨と呼ぶことになったんだ。逢えるのは、たった一日だけだからね。時間が来て、また別れなければならなくなった時のあまりに大きな寂しさや悲しみが、雨となって地上に降り注ぐ……なんて、言われているのさ」
「そうなのですか……」
溜息を吐くように、レイニーはその物語に聞き入っていた。そして、暫しの間余韻に浸るように、少しぼうっとしていたが、やがて小さく口を開いた。
「私も……友であるエスやクーに会えない間は、少し寂しいです」
「俺も♪ でも、恋人との別れってのは、きっともっと寂しいよォ」
「そうなのですか? ……十分、寂しく、侘しく思えますが……もっと、とは」
想像出来ない、とでもいうように、レイニーは頭を振る。
「恋……というのは、それだけ苛烈なものなのですね」
レイニーは、クエスションの方に顔を向けながら、そう静かに呟いた。しかし、それが誰に向けるわけでもない、彼の内から溢れた独り言なのだろうということを、クエスションは理解していた。だから、何も返事をせず、ただ黙って聞いていた。
「……歌いたく、なりました」
すっく、とレイニーは立ち上がる。突然のことで、クエスションは「お?」と気の抜けたような声を上げることしかできなかった。
「七夕の歌――洒涙雨の歌を。この喉で、奏でてみたくなりました。聞いてくれますか? エス」
「ええー、最高じゃん! 聴きたい聴きたい、ねぇ歌ってよ、レイニー!」
はい! ……少しでも、お話をしてくれたお礼になればいいのですけれど。そう、はにかむように笑いながら、レイニーは少し軽く喉を整えて……歌い始めた。
レイニーは宇宙を知らない。空を知らない。けれど、教えてくれた、空の輝きへの想像と理想を、いっぱいに詰め込みながら。
朗々と、その全身で奏で上げた。エスは頬杖をつきながら、静かに静かに、目を閉じている。
その歌声は大きな川の流れのように、城の中をたゆたっていった。
(続く……)
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