Day05 蛍

 チラ、と暗闇の中で光が生まれて、すぐに消えた。

 かと思えば、再び瞬いた。しかしその光は、先ほど消えた光とは別のもののようだった。

 ――魔王の居場所を探し、ついにこの暗い部屋に辿り着いたクリアネスは、ゆっくりと舞い飛ぶその光の乱舞に、思わず息を止めて見入った。

 その飛翔には音がない。ただ、いつしかふわりと浮かび上がり、緩やかな光の軌跡を描きながら、移動する。

「……蛍、というんだ。この虫は」

 言葉を失っているクリアネスに、魔王アッシュは突然声を掛けた。クリアネスはハッと白い制服の襟を正して、暗闇の奥に向けて敬礼した。

「突然お声掛けしてしまい、申し訳ございません」

「いいよ。気にしないで。……それより、時間があるなら少し見ていけば」

「ハッ……しかし、」

 言葉を続けようとした唇の動きが、止まる。クリアネスの足元に、ずるりと木に根が絡まった。そして、クリアネスの細く小さな体をそのままずるずると引き摺るように、彼はほぼ強制的に、魔王のすぐ側まで連れ出されてしまった。

「綺麗だろう?」

 スゥ、と飛び回る蛍の光に、魔王の横顔が照らし出された。

 薄青い肌の上を、仄かな金色の光が漂って、光源がずれていく。整った、などという言葉では表現できないような、精緻に造形された彫像のように滑らかで、美しい顔。額に彫り込まれた、藤色の蝶のような入れ墨。黒い髪には瑠璃色の光沢があり、伏せた赤い瞳の上を、いくつかの光の球が、小さな粒になって瞬いていた。

 そして何より象徴的な、長い長い、伸びやかな曲線を描く一対の黒いツノ。

 先端で僅かに交わらず、楕円のシルエットではあるが円として完成はしていない、その巨大なツノが、王冠の代わりに頭上で鈍い光沢を放っていた。

「……クリアネス?」

 ふと、魔王の顔がクリアネスの方を向いた。クリアネスは自分がぼうっとしていたことに気づき、慌てて頭を下げた。

「も、申し訳ございません。あまりにも、その、綺麗だったもので……」

「うん。変わった生き物だろう? こうして光りながら飛ぶんだ。夏になると、水辺でね……」

 魔王がそっと掌を掲げると、その指先に一匹の蛍が留まった。

 ゆっくりと、呼吸をするようなリズムで、光の球を抱きながら。

「場所と、温度と、生育環境と――試しに整えて、放ってみた。もちろんこれらは本物じゃない。エーテルを組み合わせて作った、ただの試作品だけど」

 指先を動かして、蛍を宙に帰す。蛍は何事も無かったかのように、再び暗闇の中へ溶けて、またどこかの輝きに混ざる。

「君達の暮らしの、新しい彩りになるだろうと思ってね」

「……勿体ないお言葉です」

 頭を下げながらも、クリアネスは疑問に思う。

 魔王は、あらゆる魔力を操れる。エーテルという、万物を形作る四元素火・水・土・風の原型である第一質料を操作する能力そのものは、魔法として大なり小なり殆どの悪魔が持つ能力ではあったが、魔王のそれは規模も精度もずば抜けていた。

 殆ど奇跡にも近いような業。……こうして、過去の記録から、戯れに生物らしきものを作ることすら、造作もない。

(実際、この飛び交う虫たちが生きているのか、それとも生きていないのかなど、ボクには分からない)

 暮らしに彩りを与える為、等と軽く口にしているが、クリアネスはこの飛び交う蛍たちから、やがて底知れぬ恐ろしさを感じた。

(細やかな脚も、飛ぶための羽も、その光のメカニズムからさえ、確かな生物的な蠢動を感じさせる。魔法で幻影エフェクトとして生み出す、仮初めの燐光ではない。物質としての質量を持つ、自由に動く、それはもはや――)

 生命そのものではないか。そう思った瞬間、

 パン、と、魔王は手を叩いた。

 その瞬間、部屋中に舞い踊っていた蛍は全て掻き消えた。ぽかんとしていると、魔王はクルリと振り返って、小さく笑った。

「私に、何か用事があって来たのだろう? 言ってごらん」

「あ――は、はい」

 闇の中で、魔王の笑みだけが、薄らと浮かんでいた。

 クリアネスは胸の不穏なざわめきを抑えながら、努めて冷静に、街の外れで起きた崖崩れについての報告を始めた。


(続く……)

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