Day04 触れる
死は、安らぎなど与えない。
少なくとも、私には。
「聖なる人を騙し、殺し、あまつさえ口封じの為、そのご子息の命をも狙った。あの方々がお前に何をした。身寄りの無いお前を助けたのだろう。言葉を教えたのだろう。異国から流れてきた、お前達のような得体の知れぬ兄妹を、そうして生かしたのがあの方々だというのに!」
「恩知らずの裏切り者……やはりよそ者など信じてはいけなかったのだ」
「側近として信頼を得たのも、全てを奪う為の布石だったのだろう」
「……汚らわしい!」
「苦しんで苦しんで、苦しみ抜いて死ぬがいい!」
最期の時。
いたぶられた体にも、まだ神経は通っている。流れる血は残っている。……痛む心は、残っている。
エペ様。あの人が殺される様を、見ていることしか出来なかった。
あまつさえ、この始末。罪を着せられ、生け贄にされて。
……ああ。くだらない。
今はただ、この縄が口惜しい。折れた脚を動かしたい。打ち付けられた釘を引き抜きたい。
ああ、アン。アン。
私の妹。
お前はどこに行った。無事に逃げているのだろうか。
それとも。
「火を放て!!」
肌に張り付く、油を染み込ませた
磔にされた体が揺れるのは、まだ体が痛みを訴えているからだろうか。火傷による筋肉の痙攣、終わりゆく生命の叫びだろうか。
どうでもいい、どうでもいいんだ。
アン。私は、お前さえ奪われるのか。
許さない。許さない。
この身が灰になろうとも、お前達を決して許さない。
火よ、私の体を包み、砕け。血を沸かせ、肉を剥げ。骨まで黒く染め上げろ。
この炎は既に私の一部。泣き叫んで懺悔する声を期待して、口を塞がなかったのだろう。口の中で呟いた呪文は、誰の耳に届かずとも、既に呪術として成立した。
「……おい」
「火の回りがおかしい……」
「こんなに燃える筈がない」
「……火の粉が! 燃え移る!!」
「街が燃える!!」
人は皆己の内に獣性を抱く。
胸を粟立たせるような残酷を、遠くから観覧することに飢えている。
その乾いた欲望が燃料となる。お前達が絶望の淵に落ちるまで、この炎は決して消えない。
私の生命は尽きてゆく。それでも、魂は剥き出しとなって、むしろ力強く輝くようだ。
暗い暗い、輝きだ。
呪いの炎。たとえ、灰になろうとも。
永劫に、お前達を呪い続ける。
◆
「――…………」
自分の意識がここにある、ということに、まずは諦めにも似た気分になった。
深い眠りに落ちていたが、起き上がるべき体もない。目のないままに見て、脳のないまま思考する。
……どうして、目覚めてしまったのか。
落胆の溜息をつこうにも、吐き出すべき息も動かすべき肺も、そこにはなかった。
この男の名は、ロン。
かつて地球上で長く、広く浸透していた宗教組織、女神教会に所属する魔術師であり、聖人殺害の罪で火刑に処された後は、彼らに徒なす呪われた不死者として、闇の中で燃え続けていた。
多くを殺し、恨みを買い、恐れられ、拒絶された。ロンにとって、それらは何の抑止力にもならなかった。
彼の中には確かな憎しみがあったから。他の誰にも覆せず、また購いさえ求められない、決して埋まることのない空洞が、ロンの火を永続させた。自身さえ薪に焼べて、痛みさえ忘れるような永劫の闘争の歴史の中で。
……しかし、それも過去のこと。
遙か彼方に消え去った筈の、太古とすら呼べる昔のこと。
「…………」
ロンは、形のない体を動かし、周囲を見た。
ずいぶん殺風景な部屋だ。生活するにあたって、必要最低限の物しか置いてはいない。よほどのミニマリストなのか、無趣味なのか。……かと思えば、色彩に調和はない。バランスというものを考えていないのだろうか、と思考しながら、視線を向けた。
ソファの上で、一羽の小鳥が死んでいる。……いや、どうやら、眠っているだけらしい。
鮮やかな檸檬色の羽を畳んで、首を羽毛の中に入れ、小さくなって眠っている。カナリアだろうか。周囲に、鳥かごのようなものは存在しない。
放し飼いか……そう思いながら、暫しの間、その小さく呼吸する、柔らかな鞠のような体を見ていた。
「…………」
ふと、指を伸ばしたのは、何の気まぐれだったのか。
無論、体を持たないこの男に、触れる為の指先もない。ただ概念として存在する意識が、幽霊のように動いて、せいぜい少しばかり空気が揺れるくらいのもの……その筈だった。
「……んっ」
カナリアの羽毛に触れた瞬間、軽く呻くような声がした。
「!」
パチン、と何かが弾けた。静電気のように、金色の光の粒が、ロンを照らして――その瞬間だけ、そこに『体』が現われた。
光の膜を纏うように、暗闇で光に照らされるように。呆気に取られている内に、弾けた光は収縮し、再びロンの姿は空気の中に消えていった。
「……ん……あれ……? 私……いつの間に、眠って……?」
もぞもぞ、とカナリアが目を覚ました。ただの鳥ではない、ということは、とっくに分かっていた。
カナリアは目を瞑ったまま、しばしぼんやりと佇んでいた。そして、少しあくびをするように嘴を開けると、次の瞬間には、スルリと人間の姿に変身していた。
黒く長い髪を持ち上げながら、ゆっくりと起き上がる。
そして、柔らかな白い頬で、もう一度あくびをした。
(続く……)
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